番外 完成した世界の先へ ~孤月の願い~

 俺の母親は低い身分の貴族で、女官として王宮に務めていた。将来を誓い合った相手もいたというのに、国王に見初められて無理矢理妃にされた。


 いつも優しく常に淡い笑顔を浮かべた母だった。成長した今、あの『曖昧な笑顔』は諦めからくるものだったと痛いほどわかる。


 毒を盛られた母が最期に呟いたのは、過去に引き裂かれた恋人の名前だった。自分が母にとって何者だったのか考えると未だに苦しい。好きでもない相手との子供を育てる日々は、母に苦痛を与えていただろう。


 俺の装束の布を織りながら、母は何を想っていたのか。ミチカがその行為に愛情があると言ってくれた時、俺の心は少し救われた。


 初めてミチカを見た時、心臓が止まるかと思った。造作は全く違っても、『曖昧な笑顔』が母を思い出させた。彼女も母と同じように、王によって大事な人と引き裂かれたのかと胸が痛んだ。


 伝説の龍を召喚することに迷いはなかった。自らの命を代償にすることも。

 俺の母のように諦めた気持ちのままミチカを死なせたくないと心から願った。


 母が死に、母の不幸を知った時、俺は自分を間違って生まれた命だと思っていた。誰かの為に死ぬことでその間違いは解消されると信じていた。


 ミチカが一緒に生きたいと叫んだ時、己の本当の願いは生きることだと自覚した。生まれが間違っていても、生きているだけで誰かを苦しめていたとしても、それでも俺は生きていたい。どんなに醜い願いでも、それが本心だと認めるしかなかった。


 馬上で思案に耽っていると、正面から来る馬に乗った将星から声が掛けられた。 

「怜慧君ー、お嬢ちゃんは元気ー?」

「一昨日、会っただろう?」

 将星は王都勤務の検非違使の職に戻って多忙なはずなのに、頻繁に東我の屋敷にやってくる。早く自分の屋敷を建ててミチカと引っ越したいが、完成するまでしばらく時間が掛かる。


 俺は東我の補佐として勉強しながら王宮内の祭祀を行い、視えるようになってしまった神々との対話役も引き受けて参内している。


「明後日、美味しいお酒持って行くからねー。楽しみにしててー」

「来なくていいぞ。酒は十分にある」

 成人の儀を無事に終えた俺は、様々な酒を取り寄せている。将星が持参する酒は確かに美味いが、ミチカの作る酒肴を独り占めしたい。ミチカは二十歳になるまでは飲まないと言っている。


 ごねる将星と別れ、馬を降りて屋敷に入ると、ほのかに甘い匂いが漂ってきた。菓子は食べるだけでなく、作ることも好きだと言って、ミチカは時々甘い菓子を作っている。甘い菓子は苦手だが、ミチカが作る菓子は美味い。調理を行うくりやへと向かうと、ミチカが明るい笑顔で出迎えてくれた。


「怜慧、お帰りー! 綿碁ワタゴさんから、牛乳頂いたからを作ってみたの!」

 台に置かれた木板の上に、乳白色の粘土の塊のような物が湯気を立てて転がっている。これから切る所なのか、包丁が置かれていた。


「ちょっと待て。ワタゴって誰だそれ? 男か?」

「ほら、牛車に乗ってる女装の人。牛乳飲む人いなくて、いっぱい余ってるんですって。幻なのに牛乳は本物なのよ! 凄くない?」


 十二の宮の結界が完成した後、王都に出没する幽鬼や妖物から邪気が消えた。害が無くなった今では、夜の住人として王都の人々に受け入れられつつある。


「は? あいつ昼間に出たのか?」

「朝だけど? 門の前を掃除してたら牛車が通りがかったの」

「おい、怪しい物じゃないか魔法で確認させろ」

「えー、管狐ちゃんが確認してくれたのにー」

 嫌な予感しかしなかった。幻の牛車を引く幻の牛が乳を出すはずがないのに、目の前の壺に入っているのは紛れもなく混ざり物もない本物だった。ミチカの為にわざわざ用意したとしか思えない。


 まさかとは思うが、あいつはミチカに好意を持っているのではないだろうか。


「本当は生クリームとかバター作ってみたいけど、火を通さないとお腹壊しそうよね」

「……浄化の術を使えばいいんじゃないか?」


「あ、そっか。食べ物でも効くんだ? じゃ、生クリーム作って、レトロな固めプリン作ろーっと。皆の分も作るからねー」

 管狐たちと笑うミチカは明るくて可愛い。昔の管狐たちは悪戯好きで意地悪だったと記憶しているが、ミチカの前では、純真な子供のようにふるまっているのが謎だ。そもそも、管狐たちの目が違う。こんなに大きく輝いてはいなかった。


「あ、そうだ。明後日、火竜のラディムさん遊びに来るって」

 想定外の言葉で、俺の思考は止まった。

「は? 何であいつが?」

「私にタロット占いをして欲しいんだって。それと海の向こうの大陸ではチョコレート売ってるから、買ってきてくれるらしいの! 久々だから、めっちゃ楽しみー」


 ミチカの明るい笑顔を見ていると嬉しくなる。

 二人で生きて、笑っていられる幸せ。

 たったそれだけのことが、本当の奇跡だった。


 間違って生まれても、生きていたい。幸せになりたいという俺の本心の願いは、ミチカの最初の占い通りに最高の状態で叶った。俺はもう二度と、ミチカにあの曖昧な笑顔をさせないと心に誓っている。


 とはいえ、他の男にミチカの可愛い笑顔を見せるのは腹立たしい。

 ……そうか。……これが嫉妬という感情か。

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絵札の巫女と孤月の王子 ~タロットカード好きの女子高生、異世界を救う!?~ ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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