第18話
「ねえねえ、誰にビッチングしてもらうの?」
ニヤニヤしながら聞いてくる三ノ輪をうっとおしいと思いながらも、島野はちょっとだけ頰を膨らませるだけにとどめておいた。余計なことを言えば、余計なことが返ってくるのはいい加減学習したのだ。
「まだそんな話になってません」
そう答えると、三ノ輪はとても残念そうな顔をした。きっと今回の件でビッチングについての報告書をまとめて一之瀬に報告したのは三ノ輪なのだ。なにしろ一之瀬や華世よりも早く、菊地の口から大いなる誤解の言葉を聞いたのは他ならぬ三ノ輪なのだ。
こんな面白い話を、三ノ輪がみすみす逃すはずがない。蓑輪自身が一番恐れている妊娠と出産を、一緒に経験してくれる仲間は、多ければ多いほどいいと思っているのだから。高校時代に知った菊地のことを棚に上げ、跡取りオメガであるにも関わらず、後継を産むのを先延ばしにしてきたのだ。そして今度は菊地と一緒がいいと駄々をこね、そうして島野までも巻き込もうとしているのだ。なんとも迷惑な話である。
「えぇ、だって、ハネムーンベイビーじゃないの?」
「一応予定では発情期が新婚旅行中にくることになってはいますけど、菊地くんが順番を守りたいと言っているから、ハネムーンベイビーはあり得ません」
「なんだよそれ、期待してたのに」
「何を?」
「決まってるだろ、新婚旅行中に昌也がオメガ化することをだよ。ああ、残念だなぁ」
三ノ輪は本当にがっかりした顔をして島野を見た。
「あーあ、匡様が和真くんを抱き潰したあと、昌也のことをビッチングするの楽しみにしてたのになぁ」
「そ、そう言うことを楽しみにしないでくれよ」
三ノ輪のとんでもない妄想に、島野は声を大にして抗議した。ことこれに関しては、主従云々などとは言ってはいられない。三ノ輪の妊娠引き伸ばし作戦に加担することになってしまう。
「でもさぁ、和真くんにお願いされたら、しちゃうんでしょ?」
三ノ輪が可愛らしく小首を傾げて言ってきた。しかしながら、その口元は完全に人の悪い笑みを浮かべている。
「そ、それは、やっぱり……菊地くんの専属護衛として、可能な限り誠心誠意対応しないといけないから」
島野は精一杯真面目な顔で答えたけれど、目が泳いでいるので本音がダダ漏れである。もちろん、三ノ輪は色々あっての島野の九年間の本音をわかっていた。
菊地が思っていることは、島野だって思っていることなのだ。ただ、島野の立場では言葉にすることははばかられる。菊地和真は一之瀬匡の運命の番であって、島野は専属護衛なのである。その運命があったから、島野は菊地と九年間濃密に過ごせたのだ。鶏卵ではなく、因果関係ははっきりとしている。だからこそ、多くを望んではいけないし、言葉にしてもいけない。望まれれば答えるだけなのだ。
「ふぅん。でもさぁ昌也」
「はい。なんでしょう」
プライベートな時間ではあるけれど、一応はまじめに対応する。
「もしも、だよ。和真くんが望んで、昌也がビッチングをされるとして、そうなった場合、相手は誰がするの?」
三ノ輪はまじめそうな顔をしているけれど、目だけがとても嬉しそうキラキラと輝いていた。それはもう、新しいおもちゃを見つけた子猫のような目をしている。
「それは、その時にならないとわかりませんよ」
島野はそう答えたけれど、それでは三ノ輪は不満であるのだ。
「えぇ、そこは匡様一択でいって欲しいんだかどなぁ」
「無理ですよ。匡様は菊地くんに他のオメガはもう抱かない。って約束しているんですから」
「いやいや、だって昌也はベータじゃないの」
「だって、ビッチングしてオメガにするんでしょ?」
「でもぉ、今はベータだもん。いいんじゃないのかなぁ」
「ダメですよ。だめ」
島野が指先でバツマークを作ると、それを三ノ輪が人差し指で断ち切った。
「匡様に抱かれれば、和真くんと気持ちの共有ができるかもしれないのに」
「そんな気持ちの共有はしなくていいんです」
島野がきっぱりとそう言えば、三ノ輪は頰を膨らませて反論する。
「だって、だって、だって、僕の初めては匡様だったんだもん。和真くんも初めては匡様だしさぁ、ここは友だちとして、昌也も初めては匡様に捧げるべきだと思うんだけどな」
三ノ輪がとんでもないことをあっさり口にしたから、島野は顔を青くして慌ててあたりを見渡した。一応はプライベートな訪問だから、監視の類はついてはいない。自宅にいるからなのか、三ノ輪はネックガードをつけてはいなかった。多分番に盗聴などされてはいないだろう。
「大丈夫だよ」
不安そうにする島野を見て、三ノ輪は笑った。
「和真くんにも話してあるけど、僕一之瀬家の四人と一斉にお見合いさせられて、お好きなのどうぞ。って言われたんだ。その時に匡様たちが喧嘩したはずみで僕が発情しちゃったから、僕の初めての相手が匡様って、みんな知ってるんだよ」
「……はぁ」
そんな馴れ初めの話を始めて聞かされた島野は、あんまりな内容に驚きすぎてまったく言葉が出てこなかった。こんなにも気を使っているのは、もはや誰のためなのかさっぱりわからなくなってきた。
「で、どうなの?昌也」
キラキラとした目で三ノ輪は島野に問いかける。もはや三ノ輪の中では、島野がビッチングを受けることが前提となっているようだ。菊地は誤解をしていただけで、本気でそれを望んでいるかは、まだわかってはいない。気持ちは完全に新婚旅行に向いていて、下手をすれば島野が結婚していることさえ忘れてしまっているのでは無いかとさえ思ってしまうほど、会社から帰ってから島野にあれこれ手伝わせるのだ。もちろん、社員食堂で島野と華世が一緒にいるのを見ても、平然と声をかけてきて、華世のことは「酒巻さん」と呼び、島野のことは「島野くん」と呼んでくる。確かに名札がそうなっているから間違いでは無いのだけれど、一応夫婦が揃っているところに毎回突撃してくる菊地の心情はいかがなものなのか謎である。
結婚祝いを送っておきながら、一度たりとも島野に「下に帰らなくて大丈夫?」なんて菊地は言ってきたことがない。つまり本気で、島野がそばにいることが当たり前になっているのだ。
「菊地くんの本音はわかりません」
島野はきっぱりと言い切った。それを聞いて、三ノ輪はニンマリと笑った。
「うん、わかった」
そう言って、人差し指を唇に当てる。
そのジェスチャーが何を意味するのか、島野はとっさにわからなかった。
「でも、昌也の気持ちはどっちなの?」
島野は慌てて人差し指で答えを作ったのだった。
木密の想い ひよっと丸 @hiyottomaru
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