幼心は死んだらしい

八蜜 光

幼心は死んだらしい

飼っていた犬が死にました。

私が小学3年生の頃に家に来た男の子。名前はポロ。

雪のように白い毛並みをたなびかせお庭を駆け回る姿を、今でもハッキリと思い出せます。


そんなポロの死を、私は両親からのメールで知ったのです。

一人暮らしにも慣れ始めた7月に送られてきた文字を見て、私は

(ああ、またか)

と思いました。


私は、何かの死に目を見た事がありません。

いつも、私の目の届かない所で命が散っていきます。


道端で怪我をしていた小鳥は、私が学校に行っている間に。

祖父は、修学旅行の最中に。

また明日ねと笑い合った友人は、その帰り道に事故で死にました。


私は、どうやら死という概念に嫌われているようです。


だからなのか、私は死に直面した際に泣いたことがありません。

きっと今回も、泣く事は無いのでしょう。

だって、あんなに私のことを噛んできたポロです。

手首を噛まれて血が出たことだってあります。

ほら、メールが届いて3日がたった今だってポロのための涙が流れません。

私は、ポロのことが、大好きだったはずなのに。



「実感が湧かない」


それが素直な感想でした。

そうです。私は死を実感した事がないのです。

こうしてポロのことを忘れないように書き留めていても、家に帰ればポロがいるような気がします。

どれだけ繰り返してもそんな妄想をしてしまう私は、子供っぽいのでしょうか。

現実を受け入れられない、子供なのでしょうか。


そう思い至った私は目を閉じ、ゆっくりと思い出します。

ポロのことだけではない。私の世界から居なくなってしまった大切な人達のことを。


イタズラをされたり、血が服に着いたり、喧嘩をしたり、怒鳴られたり、噛まれたり。

・・・嫌なことばかりが浮かんできます。

そんな訳ありません。みんなみんな、優しかったのですから。

良い思い出があるはずです。


少しづつ少しづつ、重たい扉のような記憶を開く。


そこには、眩しい世界が広がっていました。


小鳥は自分が怪我をしているにも関わらず、抱いた私の手をぺろぺろと舐めていました。少し回復した後、餌は私があげないと食べませんでした。それが小学生ながらに何か誇らしかったのを覚えています。


祖父は私のワガママをよく聞いてくれました。お母さんには内緒だぞ。と言いながら頭を撫でてくれたあなたの暖かい手が好きでした。


友達とは、次の日ゲームをする約束でした。2人でお小遣いを出し合って買ったゲームは、結局私1人でクリアしてしまいました。ゲームコーナーで2人ではしゃいでいた時の印象程、面白いゲームじゃありませんでした。


ポロは、叱られて泣いてる私の横に来て、泣き止むまでずっと、横に居てくれました。お散歩の時は、私の歩く速度に合わせてくれて、でも怖そうな犬がいる時には前を歩いてくれる勇敢な子でした。

初めてポロが家に来た時、あまりの可愛さに、ずっとずっと、抱き締めて過ごしていたのを、思い出しました。


気づくと、喉が焼け付くような痛みが私を襲っています。

胸の内側も張り裂けるように痛くて、呼吸もどんどんと出来なくなってきました。

そして最後に、目から溢れる大量の涙に気づいたのです。

どれだけ叱られた後でも、高校の卒業式の後でも、こんなにとめどなく出てくることはありませんでした。


ああ、そうか。

泣けなかったのは、死に嫌われているからでは無かった。

私がずっとずっと、この苦しみから逃げていただけなんだ。


痛くて痛くて、止まりません。

悲しみと、申し訳なさと、後悔と。

その全てを吐き出すように、キュッと閉まった喉から声を絞り出します。


「ごめんね・・・みんな。今までずっと・・・逃げてて・・・ごめんなさい・・・」


きっと誰にも聞こえていないのでしょう。

それでも、


「ポロ・・・みんな・・・最後にもう一度だけ・・・会いたかったよう・・・」


その言葉で今まで塞き止めていたダムが決壊し、ようやく声を大きく上げて泣くことが出来たのでした。

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幼心は死んだらしい 八蜜 光 @hachi0821

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