独白(4)
「霧香が屋敷に戻ったのを見届けてから、僕は雨宮の方へ歩いて行きました」藍沢は淡々と言った。
「波の音が足音を消してくれたので、雨宮は僕の存在に気づきませんでした。僕は彼の肩に手を置き、彼は振り返りました。
それでもまだ、彼は自分の身に何が起ころうとしているかを理解していない様子でした。だから僕はあの指輪を見せて、自分の正体を明かしたんです。あの時の凍りついたような彼の顔は今でも忘れられませんよ……」
藍沢が低い声で笑った。ぞっとするほど冷たく、残忍な笑みだった。
「僕は車椅子ごと彼を突き落としました。彼は紙切れのように痩せていて、ほんの少しの力で海に飲み込まれていきました。彼が海に沈んだのを見届けてから、僕は森へ戻りました。復讐がこうまで簡単に終わったと思うと、呆気なさすら感じましたね……」藍沢がしみじみと言った。
「じゃあ、あの足跡は、やっぱりあなたのものだったんですね?」木場が尋ねた。
「ええ。森を抜けた頃になって、ようやく靴に泥が付いていることに気づきました。このままでは、自分が崖に行ったことが気づかれてしまう……。その時、車に替えの靴が置いてあることを思い出したんです。幸い、キーは持ったままでしたから、車から靴を取り出して履き替え、泥の付いた靴は海に捨てて処分しました」
「だが、プレゼントを車椅子に戻したのはなぜだ?」ガマ警部が口を挟んだ。
「万が一、雨宮の死が殺人と判明したとしても、あの娘に罪を着せればいいと考えたのか?」
「……違います」
藍沢がかぶりを振った。憎悪に歪められたその顔に、初めて沈痛な表情が浮かんだ。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが……僕は霧香に罪を着せるつもりなんてありませんでした。指輪を車椅子に戻したのは、彼女が何日も前から用意したプレゼントを、無下に捨てる気になれなかったからです。霧香の純真な心が、あの世で雨宮を浄化すればいい……。それくらいの気持ちでした。
でも……まさかそのせいで、霧香に疑いが向くことになるなんて……」
藍沢が額に手を当てて苦悶の表情を浮かべた。宗一郎を殺めたことよりも、霧香に罪を着せてしまったことの方が、彼にとっては痛苦を感じさせるのだろう。
「……でも、それならどうして自首してくれなかったんですか?」
木場がやり切れずに尋ねた。藍沢が額から手を外して木場の方を見た。
「昨日、署の前であなたに会った時、あなたは本気で霧香さんを心配しているように見えました。だから自分も、霧香さんの無実を信じていることを打ち明けたんです。霧香さんを助けたかったのなら……どうしてあの時、本当のことを話してくれなかったんですか?」
まだ岩井一匡であった彼の前で、木場は自分が藍沢を疑っていると言った。捜査の矛先が自分に向いていると知り、藍沢はどんな気持ちだったのだろう。霧香に罪を着せたまま逃げおおせようと思っていたのか。それとも、木場に真実を解き明かしてほしいと望んでいたのか。
藍沢はしばらく黙っていた。だが、やがてふっと息を漏らすと、自嘲気味に笑みを浮かべて言った。
「それは……僕が弱かったからですよ。僕は確かに霧香を助けたかった。本当なら、彼女が逮捕された時点で自首すべきだったんでしょう。だけど……どうしても、自分から罪を告白する勇気が出なかった……。
その時気づいたんですよ。僕は結局、ただの臆病者なんだと……」
藍沢はいっそう口元を歪めた。表情こそ笑っているものの、そこに喜びの色はまるでなく、ただ嘲りと苦悶だけが浮かんでいた。
「僕はずっと、自分が正しいことをしたのだと考えていました。この屋敷の人達を雨宮から解放するため、善行を成し遂げたのだと……。
でもそうじゃなかった。僕はただ、自分の復讐心を満たしたかっただけなんです。そのために霧香を利用した。結局僕も雨宮と同じ、自分が一番可愛いだけの、最低な人間なんだ……」
藍沢が再び顔を歪めた。そこにはもう笑みすらなかった。もしかすると、彼が一番許せなかったのは、他ならぬ自分自身だったのかもしれない。
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