追及(3)

「……刑事さん、もうそろそろよろしいでしょうか?」


 岩井が静かに尋ねてきた。木場がはっとして彼の方を見た。岩井は廊下に立ち止まったまま、身動ぎ一つせずに二人の会話を聞いていた。


「……霧香様をお助けしたい気持ちは私も同じ。ですから、あなたの論証に最後までお付き合いしようと思っておりましたが……やはり状況は変わらないようです。いい加減諦めて、結末を受け入れられてはいかがですか?」


「そんな……そんなことできませんよ! だって自分、霧香さんと約束したんです! 必ず真実を明らかにして見せるって……!」


 木場が拳を握り締めて叫んだ。昨晩の留置場での光景が脳裏に蘇る。全てを告白した後で、霧香は泣きながら言っていた。どうか、あの人を救ってほしいと――。

 霧香は自分が罪を被ってまで、父親を殺害した人間を助けようとした。木場は最初、どうして霧香がそこまでして藍沢を守ろうとするかがわからなかった。


 だけど、今なら想像できる。きっと霧香の中では、藍沢はあの頃のまま変わっていないのだ。初めて藍沢と出会った夜、あの澄んだ瞳で優しく微笑みかけられたその日から霧香の気持ちは決まっていた。

 そうだ、彼女が藍沢を想っていたことは、佳純の日記にも――。


「……って、待てよ」


 木場はそこで思考を止めた。






 ――






「もしかして、そこに……」


「おい木場、どうした? 何か気づいたのか?」


 ガマ警部が目ざとく尋ねてきた。木場はすぐには答えなかった。もしかしたらこれが、突破口になるかもしれない――。


「……藍沢の指紋が残っている場所が、一ヶ所だけあるかもしれません」


 木場がゆっくりと言った。その場にいた全員が虚を突かれたように木場を見返した。


「おい、刑事さんよ。どういうことだ?」灰塚が尋ねてきた。

「藍沢の自宅も職場も、今は別の人間が使ってるんだろ? 他にどこに奴の指紋が残ってるってんだ?」


「それは……もちろん、この屋敷の中です」


 木場がゆっくりと言った。灰塚が驚愕に目を丸くした。


「藍沢は解雇されるまで、屋敷で開催されるパーティーに参加していました。彼はパーティーの後、屋敷に宿泊していたそうですね。その時の痕跡が残っているかもしれません」


「で……ですが刑事様。藍沢様がお使いになっていた部屋は、専用の部屋というわけではありませんでした」松田がおずおずと口を挟んだ。

「他の方がお泊りになることもございましたし、指紋が検出されたとしても、どなたのものか判別できないのではないかと……」


「一般の客室であればそうかもしれません」木場は頷いた。「ですがその部屋が、?」


「どういうことですの?」公子が眉を顰めた。


「佳純さんの日記によれば、藍沢が屋敷に泊まった夜、彼女は藍沢と逢引きをしていたようです。彼女は藍沢を自室に招き入れ、そこで一夜を過ごした……。つまり、。特にあの日記は、佳純さんの死後に藍沢が読んだはずですし、紙という材質からしても、指紋が付着している可能性は高いと思います」


「じゃあ……もしその指紋が、運転手さんの指紋と一緒だったら?」果林が恐る恐る尋ねた。


「二人が同一人物だという証明になる。いかがですか? 岩井さん」


 木場が岩井の方を振り返った。だが、岩井はなおも動揺した様子を見せず、ゆるゆるとかぶりを振って言った。


「お言葉ですが……刑事さん、あなたの論証には一つ、穴があるようです」


「穴?」木場が目を眇めた。


「考えてもみてください。私は三年前からこの屋敷に勤めているのですよ。仮に私の指紋がその部屋で見つかったとしても、屋敷に住んでいる以上不自然ではないと思いますが」


「では、あんたは以前にあの部屋に入ったことがあるというのか?」ガマ警部がじろりと岩井を見やった。


「……はっきりとは覚えていません。ですが、見ての通りこの屋敷は広いですからね。勤め出して間もない頃に、部屋を間違えて入った可能性は否定できないと思います」


「あぁ言えばこう言う、か。まったくしぶとい奴だな」ガマ警部が忌々しそうに舌打ちをした。


「殺人犯の嫌疑をかけられているのですから、そう簡単に認めるわけにはまいりません」岩井が落ち着き払って答えた。


「そもそも、五年も前の指紋が本当に残っているのでしょうか? 屋敷内の部屋は、どこもメイドや掃除夫の方々が隅々まで清掃されています。藍沢様の指紋も、すでに拭き取られてしまっているのでは?」


「それはそうだが……おい木場、どうなんだ?」


 ガマ警部が木場の方を振り返った。木場は口元に手を当てて考えこんだ。


 もし、佳純の部屋から検出された指紋が岩井のものと一致したとしても、それは岩井が勤めを開始してから付着した可能性があり、彼が藍沢と同一人物だとは断定できない。本当にそうなのだろうか?

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