追及(1)
「これだけの根拠があるんです。もう偶然じゃ済まされません。岩井さん、認めていただけますね? あなたが藍沢誠二であり、そして三日前の夜、雨宮宗一郎を殺害したことを……」
木場が静かに尋ねた。岩井は白手袋をはめた両手を身体の前で重ね、じっと木場の前にある手帳を見つめている。彼が何を考えているのか、表情からはまるで読み取れなかった。
「……それだけですか?」
不意に岩井が言った。木場が面食らった顔で彼を見返した。
「刑事さんがお出しになった根拠は、いずれも憶測の域を出ません。私が藍沢様と間違いなく同一人物であるという、確固たる証拠ではない。違いますか?」
「それは……」
木場は顔をしかめた。そのことは自分でも気づいていた。極めて疑わしいが、確証ではない。
「であれば、私がお話しすることは何もありません」岩井が首を横に振った。
「お話がこれで終わりでしたら、私は失礼させていただきます。ちょうどお暇をもらおうと考えていたところですので」
「何だと、この状況で屋敷から離れるつもりか?」ガマ警部が咎めるように言った。
「旦那様がお亡くなりになった以上、私がこの屋敷にいる必要もなくなりました。まして殺人犯と疑われてまで仕事を続ける義理はありませんから」
岩井はそう言うと、きっちりと腰を折ってお辞儀をし、踵を返してロビーを後にしようとした。
「ちょ……ちょっと待ってください! まだ話は終わってませんよ!」
木場が慌ててソファーから立ち上がって叫んだ。岩井が立ち止まり、ゆっくりと振り返る。その動作は憎らしいほど落ち着き払っていた。
「確かにあなたが藍沢だという証拠はないかもしれない。でも、あの指輪にはあなたの指紋が付いていたんですよ! あれをどう説明するんですか!?」
「あぁ……そのことですか」岩井が何でもないように言った。
「あれは……そう、事件の一週間ほど前でしたか。旦那様の送迎の際、車内に指輪が落ちていたのを拾ったのです。おそらく霧香様のものだと思い、後でお返ししようと胸ポケットにしまっていたのですが、それが車椅子に落ちてしまったのでしょう。私もそれきり失念しておりました」
「でも、あなたは仕事中に手袋をはめてるじゃないですか!」
「カーナビゲーションを操作する時など、手袋を外すこともあります。そのまま旦那様の車椅子を上げ下ろしすることもありますから、指紋が付いていても不思議ではないと思いますよ」
岩井があくまで冷静に答えた。確かに被害者の車椅子にも岩井の指紋が付着していた。同じように、指輪も手袋を外した時に拾ったものだと言われれば追及のしようがない。
「くそっ! どうすればいいんだ!? このままじゃ……!」
木場は頭を掻きむしった。何か、何かないのか。岩井と藍沢を結びつける証拠が――。
「あ、そうだ!あの交通事故!」木場がぱちんと指を鳴らした。「あの資料を調べれば、藍沢の指紋が残ってるはず……!」
「いや、駄目だ」ガマ警部が苦い顔で首を振った。
「どうしてですか!?」木場が噛みつくように叫んだ。
「あの事故に事件性はないと判断された。だから関係者の指紋も採取していない。記録を調べても無駄だ。前科もなかったから、署内に奴の指紋データはない」
「じゃ……じゃあ、藍沢が入院していた病院に照会しましょう! 手術後の写真が残っているかもしれません!」
「それもすでに調べた。写真の撮影は行わなかったそうだ」
「そんな……!」
木場は絶句した。岩井が藍沢であることは今や誰の目にも明らかなのに、決定的な証拠がないばかりに逮捕ができない。こんなに悔しいことがあるだろうか? 逮捕状を請求するにしても時間が足りず、その間に藍沢には逃げられてしまうだろう。
「どうすれば……どうすればいいんだ……!?」
木場は両手で頭を抱えたが、どれだけ脳みそを絞ってみても妙案は浮かばない。腕時計を確認すると、時刻はすでに十一時四十五分を回っていた。このまま藍沢を逮捕できなければ、霧香が送検されてしまう――。
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