論証(7)

「あなたは自分の顔が変わったことを利用し、別人としてこの屋敷に戻ってきた」木場が繰り返した。

「そこであなたが使った、『岩井一匡いわいかずまさ』という名前……。それこそが、あなたが藍沢であることを示す最後の根拠です」


 岩井が顔を上げて木場の方を見た。その表情が幾分険しくなっている。ここに来て、自分が追い詰められていることがわかり始めたのだろうか。


「あなたが藍沢であるとすれば、当然、『岩井一匡』という名前は偽名です。知り合いか誰かの名前を取って適当につけた可能性もありますが、自分はこの名前に意味があるのではないかと考えました。例えばアナグラムです」


「ちょっと待て、木場」


 それまでだんまりを決め込んでいたガマ警部が急に口を挟んできた。木場はびくりとしてガマ警部の方を振り返った。


「な、何ですか警部。自分、何か変なこと言いました?」


「いや、そうじゃない。だが、何だそのアナリズムというのは?」


「アナリズム……? いや、アナグラムですよ! 文字を並び替えて別の文字を作る手法です! 推理小説じゃよく使われるんですよ!」


「あぁ……何だそんなことか」


 ガマ警部が急に興味をなくした顔になった。パンプスの件と言い、ガマ警部は横文字が苦手なようだ。


「それで? こいつの名前を入れ替えると、藍沢に繋がる言葉が出てくるのか?」ガマ警部が気を取り直すように尋ねた。


「はい。一番わかりやすいのは、『藍沢誠二』という名前自体を入れ替えることですね。でも、平仮名だと上手くいきませんし、アルファベットで試しても同じでした」


 木場は手帳を取り出して机の上に置いた。ガマ警部や住民達が一斉に手帳を覗き込む。手を変え品を変え書かれた無数の文字列は、木場の試行錯誤の成果を表していた。






 あ い ざ わ せ い じ


 い わ い か ず ま さ






 A I Z A W A S E I Z I


 I W A I K A Z U M A S A






「ご覧の通り、平仮名だと字数は同じですが、『い』以外の文字は重なりません。アルファベットだとそもそも字数が違いますね。だからこれは違うと思って、別の名前を試してみました。

 藍沢にとって重要な人物といえば、やはり佳純さんです。藍沢は佳純さんの復讐を果たそうとしたわけですから、佳純さんの名前を使うのは自然なことだと思えました」


 木場はそう言って手帳の次のページを開いた。再びページを埋め尽くした文字列が表れる。






 い わ い か ず ま さ


 あ め み や か す み






 I W A I K A Z U M A S A


 A M E M I Y A K A S U M I






「平仮名の字数はやはり同じですが、今度は『か』以外の文字が合いません。アルファベットにしてもやはり文字数が違います。だからたぶん、佳純さんの名前のアナグラムでもない。

 でも、他に藍沢が使いそうな名前はありません。『岩井一匡』という名前には、やっぱり意味はないのかもしれない……。

 一度はそう考えましたが、どうしても諦めきれなくて、他に可能性のある名前を必死に考えました。その時、佳純さんの日記に書かれていた名前を思い出したんです」


「やだ、刑事さんてば、お姉ちゃんの日記見たの?」


 果林が途端に引いた顔になった。公子やメイド達からも突き刺すような視線を向けられ、木場は屋敷中の女性を敵に回したような気分になった。


「あ、いや、あくまで捜査の一環として調べただけだから!」


 木場は慌ててとりなしたが、そうでないことは自分が一番よく知っていた。氷のような視線を四方八方から浴びせられる中、ごまかすように咳払いをする。


「と……とにかく、自分は佳純さんの日記を調べて、そこにある名前を見つけたんだ。それは佳純さんが自殺した日の日記で、彼女が藍沢との結婚を望んでいたことを示していた。

 岩井さん、あなたは佳純さんが亡くなった後、この日記を読んだんじゃありませんか? そして見つけた。日記の結びに書かれた、『藍沢佳純あいざわかすみ』という署名を……」


 岩井が微かに目を見開いた気がした。

 木場は手帳に視線を落とすと、ゆっくりと次のページを開いた。前のページよりも筆圧の濃い文字列。その一つにアンダーラインが引かれている。






 い わ い か ず ま さ


 あ い ざ わ か す み






 I W A I K A Z U M A S A


 A I Z A W A K A S U M I






「ご覧の通り、アルファベットが完全に一致します」


 木場がきっぱりと言った。それを発見した時の興奮が内から呼び覚まされ、身体が思い出したように熱を帯び始める。


 ガマ警部も、灰塚達も、誰もが言葉もなく、呼吸すら忘れたように、その十二文字のアルファベットを一心に見つめていた。

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