論証(6)

「あなたが藍沢と同一人物だと考える根拠は三つあります」木場が三本指を立てた。


「一つ目は藍沢の年齢です。霧香さんの話によれば、彼女が初めて藍沢に会った時、藍沢は二十七歳になったばかりとのことでした。今から七年前のことです。

 つまり、藍沢の現在の年齢は三十四歳。運転免許証の生年月日も確認しましたから間違いありません。岩井さん、あなたも見たところ、まだ三十代ですよね?」


「確かに、私も今年で三十四歳になります」岩井が頷いた。「ですが、単に年齢が一致しているというだけでは……」


「そこで二つ目の根拠です」木場が岩井の言葉を遮った。

「藍沢は五年前までは、被害者の秘書としてこの屋敷に出入りしていた。もし、藍沢が姿を変えて屋敷に来たとすれば、それは藍沢が屋敷への出入りを止めて以降、つまり彼が解雇された後のはずです。

 ですが、現在この屋敷に住んでいるのは、五年以上前からいる人達ばかりです。灰塚先生が雇われたのは八年前ですし、松田さんは屋敷が購入された二十年前から勤めています。その他の使用人の人達も、みんな十年以上勤めている人達ばかりだと果林ちゃんが言っていました。松田さん、間違いありませんか?」


「は……はい」急に水を向けられ、松田がびくりと肩を上げた。


「間違いございません。私を含め、現在この屋敷にお仕えしている者は、皆古株ばかりでございます」


「つまり、藍沢が秘書として屋敷に出入りしていた五年前よりも以前から、皆さんはすでにこの屋敷にいた」木場が全員を見回した。


「もし、藍沢が他の誰かに成りすまして屋敷に来たとすれば、それは五年前よりも後のことです。

 ですが岩井さん、


 岩井がわずかに眉根を寄せる。木場は続けた。


「あなたが屋敷に来たのは今から三年前。藍沢が解雇された後のことです。あなたは屋敷内では一番の新参者であり、被害者との関わりは薄いと考えられていました。

 ですが、。なぜなら、藍沢が他の誰かに成り代わってこの屋敷に来たとすれば、それは


「……刑事さんは、大事なことをお忘れになっているようです」


 岩井が低い声で呟いた。帽子を目深にかぶり直し、顔を俯ける。何度となく見せたその仕草は、今思えば、正体を見破られないためのカモフラージュだったのだろうか。


「藍沢様は、五年前までは屋敷に出入りされていたのですよね? つまり、屋敷の方々は藍沢様の顔をご存知だったはず。私が本当に藍沢様であるならば、すぐに気づかれたはずではありませんか?」


「そうよ! あたし達みんな、あの人を見たことがあるわ!」果林が急に声を上げた。


「目がぱっちりしてて、鼻が高くて、すごくカッコよかったのよ! この運転手さんとは全然違うわ!」


 何人かのメイドが追従するように頷いた。皆、藍沢の甘いマスクに心を奪われていたのだろう。


 木場は免許証で見た藍沢の写真を思い出した。確かに彼の顔は印象に残る。当時のままの姿であれば、屋敷の人間が正体に気づいたとしてもおかしくはない。だが――。


「……五年前の交通事故の記録によると、救出された時、被害者と藍沢は全身に大火傷を負っていたそうです」


 木場が静かに言った。岩井が小さく息を呑む。


「二人の怪我の具合について病院に問い合わせました。被害者の方は上半身に火傷を負ったそうですが、目立つ跡は残りませんでした。それよりはむしろ、下半身の損傷が激しかったようですね。

 一方藍沢の方は、頭髪に火がついて顔面に大火傷を負ったそうです。病院に運ばれた時には元の顔が判別できない状態になっていたとか。整形手術が行われましたが、完全に復元はできなかったようです」


「じゃあ、まさか……」


 公子が青ざめた顔で岩井の方を見た。つられて全員が彼の方を見やる。


「はい。彼は火傷の整形手術によって顔を変えていた。だから屋敷の誰も、彼が藍沢と同一人物だとは気づかなかったんです」


 木場はそう言って自分も岩井の顔を見やった。綺麗な二重を描いていた瞼は腫れぼったくなり、鼻も低く潰れたようになっている。免許証の写真とは似ても似つかない、平凡な顔。

 だが、全てを飲み込んだ炎も、彼を印象づける清澄な瞳までは、奪い去ることができなかったようだ。

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