新たな容疑者

(いや、他にもいるはずだ。佳純さんの自殺によって、被害者を恨んでいた人間が……)


 木場は腕組みをして必死に頭を巡らせた。松田から聞いた話を反芻する。荒れ狂う海に囲まれた屋敷で生涯を過ごした令嬢。その麗しい姿が人目に晒されることはほとんどなく、彼女は同じように屋敷に捕われた人々と共に、影のようにひっそりと生きてきた。彼女の生涯に差した唯一の光は、パーティーで出会った美しい男――。


「……って、待てよ」


 木場ははたと顔を上げた。そうだ、一人だけいるではないか。佳純の死によって、誰よりも痛哭つうこくを受けたはずの人物が――。


「……松田さん、佳純さんが亡くなった後、藍沢さんはどうしたんですか?」


 木場が低い声で尋ねた。松田がきょとんとして木場を見返した。


「藍沢様……でございますか? 私もパーティーでしかお会いしておりませんから、詳しいことは存じ上げません。交通事故を起こして解雇されたという話はお聞きしましたが」


「交通事故が起こったのは今から五年前でしたよね。それまでに藍沢さんが辞めるっていう話はなかったんですか?」


「ええ……私が知る限りでは。ですが、なぜ今藍沢様のことが問題になるのでしょうか?」


 松田が不思議そうに丸眼鏡のフレームに手をやった。木場は神妙な顔で続けた。


「考えてもみてください。藍沢さんは、佳純さんと婚約までしていたんですよ? でも被害者に交際を反対されて、挙句佳純さんは自殺した。普通に考えたら、婚約者を死なせた人間の下で仕事を続けられるはずがありません。

 なのに藍沢さんは、佳純さんの死後も変わらずに秘書の仕事を続けた……。おかしいとは思いませんか?」


「……木場、お前、何が言いたい?」


 ガマ警部が顎を引いて木場を見据えた。警部の鋭い眼光を前にすると、大抵の人間はそれ以上言葉を続けられなくなるのだが、今の木場は気圧されなかった。唾を飲み込み、ガマ警部をまっすぐに見つめて告げる。


「被害者を殺害するもっとも強い動機があったのは藍沢さんです。彼が秘書の仕事を続けていたのは、佳純さんの復讐を果たす機会を窺っていたからじゃないでしょうか? そうでなかったら、何食わぬ顔をして仕事を続けられるはずがありません。

 そうだ、五年前の交通事故だって、ただの事故じゃなかったのかもしれない……」


 木場は腕組みをしたまま立ち上がり、ぶつぶつと呟きながら部屋の中を歩き始めた。ガマ警部は眉間に皺を寄せ、松田はぽかんと口を開けて、高級絨毯を踏み荒らす木場の姿を言葉もなく見つめている。

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