供述 ―松田茂之(4)―
松田の部屋は、最初に来た時と幾分変わらずに整然としていた。丸テーブルの周りには椅子が二脚置かれたままになっており、松田は同じ椅子を木場とガマ警部に勧め、自分は例の座高の低い椅子を用意した。今度は紅茶やクッキーを用意しようとはしなかった。お茶とお菓子を片手に談笑する話ではないと思ったのだろう。
「それで、佳純お嬢様の件でございますが……」松田がおずおずと口を開いた。
「ああ。下の娘によれば、雨宮が原因で自殺したという話だったが、事実か?」
「……左様でございます」松田が沈痛な面持ちで頷いた。「この屋敷のご家族は、多かれ少なかれ旦那様のために辛酸を舐めておいででしたが、もっとも悲痛な結果を招いたのが佳純お嬢様の死でした」
「被害者は、佳純さんに何をしたんですか?」木場が尋ねた。「霧香さんや果林ちゃんは高校に行かせてもらえなくて、中学生の時も友人関係に口出しされたって言ってました。佳純さんもそうだったんですか?」
「はい。ただ、佳純様は霧香様とは違い、自分の意見をはっきりと申し述べるお方でした。ですから、旦那様の教育方針にも面と向かって反発され、お二人が口論をしている姿をよくお見かけしたものです。何度か家出をされたこともございましたが、そのたびに旦那様に連れ戻されておられました」
松田がすらすらと答えた。木場は手帳を取り出して情報をメモした。どうやら佳純は霧香とは正反対の性格だったようだ。霧香と同じ顔をした、勝気で行動力のある女性の姿を思い浮かべる。
「じゃあ、そういう束縛される生活が嫌になって佳純さんは自殺したってことですか?」
「それもございますが……決定打となったのは婚約の件でした」
「婚約? 佳純さんには婚約者がいたんですか?」
「はい。どこかでお名前をお聞きになったかもしれませんが……お嬢様には、
木場の手がボールペンを走らせる手を止めた。藍沢誠二。聞いたことのある名前だ。急いで手帳を捲って情報を確認する。
「藍沢誠二といえば……確か雨宮の秘書をしていた男だな」
ガマ警部が手帳を見るまでもなく言った。そこでようやく木場も情報に辿り着いた。霧香の供述のページに記載がある。五年前に交通事故を起こして解雇された男だ。
「左様でございます」松田が頷いた。「藍沢様は、旦那様が屋敷で開催されるパーティーに何度か参加されておりまして、そこで佳純様と知り合われたのです。
初めてお二人がお会いになったのは、八年前ほどのことだったと存じます。藍沢様はまだお若く、端正なお顔立ちをされた方でしたから、女性の目にはさぞ魅力的に映ったことでしょう……。それに佳純様も、年に数回の社交の場ということで、それは入念に身支度をされておいででした。お嬢様の元々の魅力を何倍も引き出すような、美しいドレスをお召しで……お二人が一目見て惹かれ合ったのは当然の成り行きといえるでしょう」
松田が感慨深そうに言った。木場はその光景を想像してみた。
スマートなスリーピースのスーツに身を包み、グラスを片手に取引先の相手と談笑する藍沢。そこへ華やかなドレスを召した佳純が現れ、会場の視線は一斉に彼女の方に注がれる。
藍沢はグラスを傾ける手を止め、時が止まったように彼女を見つめる。そして佳純も、白黒写真の中に一点だけ色彩が浮かび上がるように藍沢の姿を見つけ、他の人間などこの場に存在しないかのように、ただ彼の姿だけを目に焼きつけている――。
「……ただ、お二人の婚約は内密なものでした。旦那様はお二人の交際に反対されていたのです」
松田の言葉で、木場のロマンティックな夢想は断絶された。このまま夢想に耽っていたら、今に二人は手を取り合ってダンスを始めていただろう。
「被害者はどうして交際に反対していたんですか?」木場が首を振って意識を現実に引き戻しながら尋ねた。「藍沢さんは被害者の秘書だったんですよね? 人柄もよく知ってるわけですし、娘の結婚相手としてはうってつけだと思うんですけど」
「ええ、確かに藍沢様は立派な方でした。ただ、ご家庭が貧しかったらしく、大学には進学されなかったと伺っております」松田が答えた。「旦那様は学歴の低い人間を毛嫌いされていまして、最初は秘書として採用することにも反対されていたのです」
「それがどうして雇うことになったんですか?」
「藍沢様の知人の方が、旦那様のお知り合いでもあったようで、その方が藍沢様を紹介されたのです。
当初は旦那様も難色を示されていましたが、その方が是非にと勧められるもので、次の方が見つかるまでの補充要員のような形で採用をお決めになったそうです。ですが、藍沢様が予想以上に勤勉だったもので、そのまま雇うことにされたのだとか」
木場は頷いた。霧香の話では、宗一郎の秘書はいずれも長続きせずに辞めた(というか辞めさせられた)とのことだった。彼の気に入る者を探すのは骨の折れる仕事だったに違いない。藍沢の存在は、宗一郎にとっても棚から牡丹餅と呼べるものだったのだろう。
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