捜査 ―6―

もう一人の令嬢

『佳純お姉ちゃんは、今から六年前に自殺したの。パパがお姉ちゃんを殺したのよ――』


 果林のその言葉に、木場は脳天をかち割られたような衝撃を感じた。たとえボクシング選手にアッパーカットを食らわされたとしても、これほどの衝撃は感じなかっただろう。霧香に双子の姉がいた事実にも相当驚かされたが、その姉はすでに自殺していて、しかも宗一郎が彼女を殺したという。何もかもが予想外の事実ばかりで、木場は理解が脳に浸透するまで二、三分待たなければならなかった。


「ちょ……ちょっと待って、お父さんが佳純さんを殺したってどういうこと?」木場があたふたと尋ねた。「佳純さんは自殺したんじゃないの?」


「そうよ。お姉ちゃんは自殺した。パパのせいでね」


 果林が淡々と言った。無邪気にぬいぐるみの名前を呼んでいた先ほどまでとは違い、その口調はひどく冷たいものだった。


「……六年前に何があったの?」木場が恐る恐る尋ねた。


「あたしも詳しいことは知らないわ。知ってるのは、お姉ちゃんがそこの崖から海に飛び込んだってことだけ」果林が窓の方を顎でしゃくった。


「で、でもそれじゃあ、本当にお父さんのせいかわからないじゃないか。何か他に悩んでいることがあって、それが原因だったのかも……」


「そんなわけないわ。あたし達はみんなパパのせいで不幸になってるんだもの。他のみんなからもパパの話聞いたんでしょ? だったらあたしの言ってることわかるわよね?」


 果林が挑発的に木場を睨みつける。父親への憎悪が転移したような、鋭い眼差しだった。


「で、でも、佳純さんが自殺したのが本当にお父さんのせいだったとしても、亡くなってるんだから犯人じゃあり得ないだろう?」木場がめげずに反論した。


「フツーに考えたらそうかもね。でもあたし、お姉ちゃんはまだ生きてるんじゃないかって思うことがあるの」


「え、どういうこと?」


「ほら、よくあるでしょ? 死んだ人の魂がジョーブツできなくて、いつまでも未練のある場所に留まってるって話。

 佳純お姉ちゃんもきっとそうなんだわ。お姉ちゃんはユーレイになって、ずっとこのお屋敷に住み続けてるのよ」


「幽霊? まさか……」


「本当よ。だって閉めたはずの窓が開いてたり、誰もいないはずのキッチンから食器の音がしたり、お姉ちゃんが使ってた部屋からピアノの音が聞こえてきたりしたもの」


「いや、そんな、気のせいだって……」


 木場は引き攣った顔で笑った。だが、ひとたびそんな話を聞かされると、今もこの部屋の中を佳純の亡霊が彷徨っているような気がして、寒くもないのに身体が震え始める。


「……つまり、あんたはこう言いたいわけか?」ガマ警部がのっそりとソファーから身体を起こした。「今回の事件は、その佳純という娘の亡霊が起こしたものだと?」


「そうよ。お姉ちゃんはきっと、パパにフクシュウしようとしたんだわ。だから昨日の夜、パパが一人になった時に憑りついて、あっちの世界に連れてったのよ」


「あり得んな」


 ガマ警部が一蹴した。斧で薪を割るようなすっぱりとした言い方だった。果林がきっとガマ警部を睨みつける。


「俺は刑事になって三十年になるが、幽霊が生きている人間を憑り殺すなど、そんなオカルト染みた話は聞いたことがない。馬鹿げた妄想をするのは勝手だが、誰彼構わず吹聴するのは止めた方がいい。ここにいる木場などは、うっかり信じないとも限らんからな」


 ガマ警部は首を回して木場の方を見た。木場は雪山で遭難した人のように身体を丸め、修道女のように胸の前で手を組み合わせ、気忙しげに部屋のあちこちに視線を走らせている。どこかに幽霊が潜んでいるかもしれないと思い、怯えているのだろう。


「幽霊騒動はともかく、その佳純という娘の自殺については、より詳しい話を聞かねばならん」ガマ警部が木場を無視して果林の方に向き直った。「この屋敷の人間で、自殺の件について知っているのは誰だ?」


「知ってるのはみんな知ってるわよ。灰塚先生もその時はもう家に住んでたし、使用人の人達も十年以上勤めてる人ばっかりだから。知らないのはあの運転手さんくらいじゃないかしら」


「運転手……岩井のことか。奴が雨宮に雇われたのは三年前だったな。知らなくても無理はないか」ガマ警部が頷いた。「となると、話を聞くべきは妻か、上の娘か……」


「松田さんでもいいんじゃない? あの人、あたしが生まれる前からここに勤めてるし、お姉ちゃん達とも仲良かったから」


「確かに、執事という立場であれば、屋敷内の細々とした問題を耳にする機会も多いだろうからな。雨宮と娘の関係について、家人以上に詳細な事情を知っている可能性もある」


 ガマ警部は頷くと立ち上がった。横でまだ震えている木場に向かって声をかける。


「おい木場、聞いての通りだ。今から執事の部屋に行って、娘の自殺の件を問い質す。わかったらさっさと現実に戻ってこい」


「うぅ……幽霊なんて止めてほしいなぁ。自分、ホラー小説読むと夜中にトイレ行けなくなるのに……」


 聞いているのかいないのか、木場は両手を擦り合わせながらなおも部屋を見回している。その情けない姿を目にし、ただでさえも容量の少ないガマ警部の堪忍袋の緒が切れた。


「木場! いい加減にしろ! 幽霊ごときにビビるくらいなら今すぐ刑事を辞めろ!」


 地震を起こすほどの凄まじい怒号を前に、さすがの木場も目を覚ましてソファーから飛び上がった。幽霊よりも恐ろしい存在は身近にいるということだ。

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