供述 ―雨宮果林(3)―

「ところで、捜査の結果、雨宮の死が十中八九殺人であることが判明した」ガマ警部が改まった口調で言った。

「我々は今、これが殺人事件という前提に立って改めて関係者から話を聞いている。そこで確認したいんだが、あんたは事件当日崖には行っていないんだな?」


「行ってないわ。あんなところにわざわざ行きたがるのはパパとお姉ちゃんくらいよ」


「雨宮と姉以外の人間が崖に行くところも見なかったのか?」


「見てないわ。そもそも夜に外出する人なんてほとんどいないもの」


「外から帰った人間は見ていないか?」


「それも見てないわ。あたしが見たのは、先生がママの部屋から出てくるとこだけ」


「それは間違いなく十時だったんだな?」


「間違いないかって聞かれると自信ないけど……。時計を見たわけじゃないし、たぶんそれくらいだったって気がするだけで」


「……そうか」


 ガマ警部が不服そうにワイシャツに顔を埋めた。ガマ警部の考えていることは木場にもわかった。果林が灰塚を見た時刻が断定できれば、彼の犯行可能性を具体的に検討できる。


 例えば果林が灰塚を目撃したのが九時四十五分であれば、公子の部屋を出てからまっすぐに犯行現場に向かい、被害者を突き落として戻ってきた可能性も考えられる。屋敷に戻ってきた霧香が彼とすれ違わなかったのは不自然ではあるが、どこかに隠れてやり過ごした可能性がないわけではない。


 しかし、果林が灰塚を目撃したのが十時以降であれば話は変わってくる。

 霧香が再び屋敷を出たのは十時で、それ以降彼女は物音を聞いていない。つまり、被害者は十時よりも前に転落しており、十時に屋敷で灰塚が目撃されていた場合、彼に犯行は不可能なのだ。もっとも、正確な時刻が判明しない以上どちらも当て推量に過ぎないのだが。


「あのさ、ところで、果林ちゃんは灰塚先生の噂は知ってるの?」木場がふと思いついて尋ねた。


「噂って?」


「ほら、あの、予備校の生徒と不適切な関係を持ったってやつだよ」


 噂話が好きそうな果林のことだ。ネットに書いてある以上の話を聞いているかもしれない。横からガマ警部の突き刺すような視線を感じたが、好奇心には勝てなかった。


「あぁそれ、知ってるわ」果林があっさりと言った。「先生に聞いたことがあるの。先生って教え方も上手いし、カッコいいから女の子にもモテそうなのに、どうして前のお仕事辞めちゃったのって。そしたらその話してくれたのよ」


「そうなんだ。でも、不安じゃなかったの? その……生徒と関係を持った人に勉強を教わるなんてさ」


「全然。そもそも先生否定してたしね。プライベートで相談乗ってたのは事実だけど、変な関係にはなってなかったって」


「そうなの?」木場が意外そうに尋ねた。


「うん。でも相手の子は本気だったみたいで、付き合ってほしいって何回も言ってきたんだって。先生は断ってたけど、食事だけって言われて一回だけ付き合って、それを週刊誌に撮られちゃったらしいわ。相手の子が先生との関係を否定しなかったから、事実ってことにされちゃったみたいね」


「そうなんだ……」


 木場が感じ入ったように呟いた。さっきまで彼をなじっていた自分が急に恥ずかしく思えてくる。


「先生、講師辞めてからは工場のお仕事とかしてたらしいんだけど、お給料低いから生活は苦しかったんだって」果林が聞いてもいないのに続きを喋り始めた。


「それから一年くらい経ってから、講師時代に使ってたSNSのアカウントにパパからメッセージが届いて、うちで家庭教師をしないかって誘われたらしいわ。パパ、先生のことはテレビで見て知ってたんですって。お給料はその時働いてた工場の三倍くらいあって、先生は即効で引き受けたそうよ。お屋敷に住むことは後から聞いたみたいだけど、贅沢言ってられないからって」


「ふうん……。でも変な感じだね。お父さんは家族の交友関係を心配してたんだろ? 生徒とスキャンダルを起こした講師にわざわざ家庭教師を依頼するかなぁ」木場が首を捻った。


「パパもね、最初は他の有名な先生を当たってたみたい。でも場所が場所だから、引き受けてくれる人がいなかったんですって。それで先生に辿り着いたって言ってたわ。ま、灰塚先生のウワサも嘘だったんだから、結果的にはよかったんだけどね」


 確かに当時の灰塚の立場であれば、宗一郎の依頼は喉から手が出るほど欲しい仕事だっただろう。彼に断る選択肢はなかったはずだ。

 そう考えると、ある意味では灰塚も宗一郎に飼い慣らされていたようなものだ。自由を奪われている家族の姿を目の当たりにしながら、何も手を出せない無力感。それを思うと、木場は灰塚のこともだんだんに気の毒に思えてきた。あのやさぐれた外見や口調は、弁明の機会もなく世間から爪弾きにされたことへの憤りの表れであると同時に、自分達を抑圧する宗一郎へのせめてもの抵抗だったのかもしれない。

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