供述 ―灰塚敏夫(5)―

「あの、一つ疑問なんですけど、灰塚先生はどうしてこの屋敷に来たんですか?」


 木場がふと思いついて尋ねた。灰塚が短くなった煙草を灰皿に押しつけ、奇妙そうな目で木場を見返す。


「どうしてって、給料がよかったからだよ。他に理由がいるのか?」


「いや、そうじゃないんですけど……。何ていうか、ただ給料がいいだけでこんな屋敷で働けるのかなって思って。住み込みだから通勤は必要ないにしても、都心へ出るだけでも二時間はかかりますよね。友達と会うにも不便じゃないですか?」


「この歳にもなりゃあ、友達なんかいなくたってやっていけるんだよ。付き合ってる女がいるわけでもねぇし、大して不便さは感じねぇさ。聞き分けのいい娘二人の勉強を見て、美人の奥さんと茶飲み話して、おまけにこんな豪華な屋敷に住ませてもらって、こんな割のいい仕事はねぇぜ」灰塚が不遜に笑った。


「そうでしょうか……」


 木場がまだ納得がいかなかった。灰塚は公子達のように行動を制限されていたわけではないようだが、それでもこんな辺鄙な場所をわざわざ就職先に選んだのには、何か理由があったとしか思えない。


 灰塚は新しい煙草に火をつけると、口に咥えて吸い始めた。木場の話には感心がなさそうだ。


 木場は顎に手を当てて灰塚の様子を見つめていたが、そこであることに気づいた。


「……あれ?」


「どうした? 木場。」ガマ警部が目ざとく尋ねてくる。


「あ、いや、最初に灰塚先生に会った時、自分、どこかで見たことがあるって言いましたよね。あの時は人違いかと思いましたけど、やっぱり見たことがあったんです」


「何だと?」


 ガマ警部が身を乗り出してきた。心なしか、灰塚の顔が強張ったように見える。


「それで、お前は奴をどこで見たんだ?」


 ガマ警部が息のかかりそうなほど顔を木場に近づけてきた。こんな恐い顔で取り調べをされたら、あることないこと全部喋っちゃいそうだな、と思いながら木場は答えた。


「テレビです。もう何年も前ですけど、人気の予備校講師として紹介されてたんです。髪形や服装が全然違いましたから、今まで気づきませんでしたけど」


 あれは木場がまだ中学生だった時のことだ。当時流行っていたクイズ番組に、灰塚がゲストとして出演していたのだ。


 当時の灰塚は黒髪を短く切り揃え、髭もきちんと剃っており、服装も白いワイシャツにストライプのネクタイという常識的なものだった。ただ、歯に衣着せぬ物言いは当時から変わっておらず、端正な顔立ちにも面影があった。彼がテレビに出た翌日、学校で女子生徒が騒いでいたことまで一緒に思い出す。


「当時はいろんな番組に出てたと思うんですけど、ある日を境にふっつり見なくなったんですよね。自分も特に関心があったわけじゃないので、それっきり忘れてたんですけど、今からしたら不思議ですよね。どうして急にテレビに出なくなったんですか?」


 木場が灰塚に尋ねた。灰塚は煙草を咥えたまま、視線を落として黙りこくっている。


「この屋敷に来たってことは、予備校教師を辞めたってことですよね。何かあったんですか?」


 木場がなおも尋ねた。灰塚は煙草を口から出すと、まだ半分ほど残っているそれを乱暴に灰皿に押しつけた。


「……刑事さん、あんた、人の過去を無闇にほじくり返すもんじゃないぜ」


 灰塚が視線を落としたまま言った。心なしか、先ほどよりも表情が影を帯びて見える。


「俺が過去に何をしようが、今回の事件には関係ない。そうだろう? くだらねぇ野次馬根性燃やしてる暇があったら、さっさと捜査に戻ったらどうだ?」


 灰塚は傲然と顎を上げると、腕組みをして木場を睨みつけた。先ほどまでの軽口も見られず、本気で怒っているようだ。


「……警部、どうしましょう」


「まぁ、事件との関連がわからん以上、無理に聞き出すわけにもいかんだろう。聞くべきことは聞いた。今はさっさと立ち去った方がいい」


 ガマ警部が首を掻きながら言った。ガマ警部としても、過去に言及したことが灰塚の逆鱗に触れるとは思っていなかったようだ。


 木場は無言のまま立ち上がると、灰塚の眼光から逃れるようにして部屋を出た。

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