捜査 ―5―

中身も黒か

 霧香の部屋を出た後も、木場と警部の間には何となく気まずい空気が漂っていた。

 ガマ警部がむっつりしているのは最初からだが、木場さえも今や黙り込み、腕組みをして何かをぶつぶつ呟き続けている。すれ違った捜査員は、童顔に似合わず難しい顔をした木場を訝しげに見つめ、説明を求めるように隣のガマ警部を見たが、ガマ警部は憮然として首を横に振るだけだった。


 木場がおかしくなった理由はガマ警部にはわかっていたが、しばらく放っておくつもりだった。

 自分達は所詮、一介の捜査機関の手足として事件を担当しているに過ぎない。必要なことは事件の全容解明であり、関係者に入れ込むことではない。この若造はそのことをわかっていないのだ。


 自分達は被害者の家族でも友人でも何でもない。むしろ彼らを疑うことが刑事としての職務だ。その使命を忘れて関係者に同情し、挙句彼らの言葉を鵜呑みにする。それは愚かな行為だ。捜査を進めるうちに目を覚ませばいいが、そうでなければ、こいつはいずれ辞表を書くことになるだろう。刑事とは、優しさや正義感だけで務まるような生易しい仕事ではないのだ。


「さて、一時間が経ったな。そろそろあの家庭教師も起き出している頃だろう。一階に戻るとするか」


 ガマ警部が腕時計を見ながら言った。時刻は四時。靴や車椅子の捜査は進んでいるだろうか。できれば夜になる前に結果が出るといいのだが。


「そうですね……。果林ちゃんもまだ戻って来ませんし」


 木場が階段の方に首を伸ばしながら言った。霧香の部屋を出た後で、念のためにもう一度果林の部屋をノックしてみたのだが、やはりまだ戻っていなかった。まったく落ち着きのない子だ。


「家庭教師に会う前に一つ忠告しておくが、くれぐれも拙速な発言は慎むことだ」


 ガマ警部が釘を刺すように言った。


「奴は被害者と口論したことを隠していたが、それだけで犯人と断定できるわけじゃない。あの娘の無実を信じるのは勝手だが、入れ込み過ぎて捜査に支障を来すなよ」


「わかってますよ! 自分だってそれくらいはわきまえてます!」


 木場が心外だというように拳を上げた。どうだか、とガマ警部は早くも疑ったが、いちいち反論するのも面倒なので止めておいた。




 再び一階に降り、木場達は東側にある灰塚の部屋へと向かった。

 木場が扉をノックすると、今度は中からごそごそと音がした。やがて鍵の開く音がして、無精ひげを生やした男が扉の隙間から顔を覗かせた。着替えないまま寝ていたのか、黒いシャツに皺が寄っている。


「……何だよ。またあんた達かよ」灰塚がいかにも迷惑そうな顔をした。「昨日の話ならさっきしただろ? もうほっといてくれよ」


「そうはいかん」ガマ警部が怯まずに言った。「何せあんたの証言に嘘があることが判明したものでな。詳しい事情を聞かせてもらう必要がある」


「嘘?」灰塚が眉を上げる。


「ああ。あんたは夕食前、雨宮が死んだ後の屋敷の扱いや、上の娘との縁談について奴と話したと言っていたが、それは嘘だ。執事の松田が、あんたと雨宮が口論するのを聞いている。どうすれば遺言や縁談の話で口論になるのか、教えてもらいたいものだな?」


 ガマ警部がじろりと灰塚を見上げた。灰塚の顔に明らかな動揺が浮かぶ。


「それに松田の話では、あんたは普段から雨宮と口角泡を飛ばしていたそうじゃないか」ガマ警部が続けた。

「だが、あんたは昨日の口論のことも、雨宮との普段の関係についても一言も口にしなかった。我々としては、あんたは意図的に情報を隠していたのだと考えざるを得ない」


「……おいおい何だよ。あんた達、俺を疑ってるってのか?」灰塚が顔を引き攣らせる。「爺さんが死んだのは事故じゃねぇのかよ?」


「残念だが、事故の可能性は限りなく低い。現場には人為的な痕跡があった。もし事故や自殺なら、あんな痕跡が残されているはずがない」


「人為的な痕跡? 何のことだよ?」


「男物の靴の足跡ですよ」木場が口を挟んだ。「サイズは二十七センチ。男性としては大きい方です。自分達はあの足跡が事件に関係していると考えています」


「……さっき靴を持って行きやがったのはそういうことだったのか」灰塚が忌々しそうに舌打ちをした。

「つまりこういうことか? あんた達はその足跡の主が爺さんを殺した犯人だと考えてる。だから俺の靴を調べた上で、俺を締め上げようってわけか?」


「当たらずとも遠からず、と言ったところだな」


 ガマ警部がふんと鼻を鳴らした。靴を調べられているのは灰塚だけではなく、関係者全員であることは話すつもりはないようだ。


「それで? あんたの靴のサイズは何センチだ?」


「……どうせバレることだから正直に言っとくか」灰塚が頭を掻く。「確かに俺の靴のサイズは二十七センチだ。でもよ、それだけで俺が爺さんを殺した証拠になるのか?」


「もちろんそれだけでは証拠にはならん。だがあんたの態度によっては、我々もこの偶然の一致を重く見ねばならんようになる。あんたも馬鹿じゃない。これ以上協力を拒めば、自分の立場が余計にまずくなることくらいはわかるだろう?」


 灰塚は黙り込んだ。ガマ警部と木場を順番に睨みつけた後、苛立ちをぶつけるように扉に拳を打ちつける。


「……ちっ、人の弱みに漬け込みやがって……。うっとうしい奴らだぜ」


 そう捨て台詞を残すと、灰塚はポケットに手を突っ込んで部屋へと戻って行った。開け放たれた扉からガマ警部も後に続く。

 木場も今度は臆さなかった。黒づくめの灰塚の背中をまっすぐに見据え、決意を滾らせて部屋へと足を踏み入れた。

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