供述 ―雨宮霧香(4)―

「ところで……あの、霧香さんは、藍沢さんのことをどう思っていたんですか?」


 木場が何気なさを装って尋ねた。ガマ警部がじろりと木場を見やる。


「どう、とおっしゃいますと?」霧香が首を傾げた。


「その、さっき言ってましたよね。初めて出会った時、藍沢さんはまだ二十七歳だったって。七年前だったら霧香さんは十七歳ですよね。けっこう歳は離れてますけど、お父さんも藍沢さんのことは買ってたわけですし、縁談の話があってもおかしくなかったと思って……」


 木場がもごもごと言った。隣からガマ警部の突き刺すような視線を感じたが、必死に耐えた。


「……残念ですが、そのようなことはありませんでしたわ」霧香が寂しげに笑った。


「そうなんですか!?」木場が途端に息を吹き返す。


「ええ。私が出会った時点で、藍沢さんにはすでに交際している方がいらっしゃいました。私などは到底及ばない、素敵な方で……。ですから私は身を引いたのです」


「そうだったんですか……」


 木場は複雑な思いで霧香を見返した。つまり、もし藍沢に交際相手がいなければ、霧香と彼は本当に恋仲になっていたのかもしれないのだ。どのみち事故を起こした時点で別れることにはなったのだろうが、霧香の様子を見ている限り、彼女はまだ藍沢への想いを引き摺っているように思える。藍沢誠二、いったいどんな男だったのだろう。


「……話が大幅に脱線しているが、問題は雨宮のことだ」


 ガマ警部が痺れを切らしたように言った。


「雨宮は五年前の交通事故で下半身不随となり、あんたに介護をさせた。だがあんたはまだ若い。実の父親の下の世話など、好き好んでやっていたわけじゃないだろう?」


「……抵抗がなかったと言えば嘘になります。ですが、この家で父と血が繋がっているのは私だけですから、娘としての義務だと思えば苦痛に感じることはありませんでした」


「本当か? 他に介護する者がいないならまだしも、この屋敷には腐るほどのメイドがいるんだ。それなのに、自分が毒殺されるかもしれないという酔狂な考えに憑りつかれ、わざわざ娘を選んで介護をさせた……。あんたは被害者を憎からず思っていたんじゃないのかね?」


「……何がおっしゃりたいんですの?」


 霧香が胸に手を当てて身を引いた。揺れる瞳が不安を湛えている。


「この屋敷の連中は、多かれ少なかれ雨宮の支配下にあった」ガマ警部が苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「動機という点では、誰が雨宮を殺害したとしてもおかしくはない。だが、犯行の機会となれば話は別だ。あんたは雨宮ともっとも近しい関係にあった。雨宮はあんた以外の人間を信用していなかったそうだが、裏を返せば、あんたのことだけは疑っていなかったということだ。あんたが父親に殺意を抱いていたとしても、雨宮は気づかなかったんじゃないか?」


「そんな……! 私は……」


「警部! 止めましょうよ! 霧香さんが犯人だっていう証拠は何もないんですから!」


 木場が思わず立ち上がって叫んだが、ガマ警部は憮然として鼻を鳴らしただけだった。発言を撤回するつもりはないらしい。

 二人が話しているその間に霧香は両手で顔を覆い、そのまま手に顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。


 木場は憤然として拳を握り締めた。ガマ警部の捜査のやり口には感心したが、霧香を犯人呼ばわりすることは看過できない。


「まぁいい。今はこの辺りにしておこう」


 ガマ警部はそう言うと、椅子の手すりに手をかけて立ち上がった。唐突に至福の時を奪われ、警部の尻が抗議の声を上げたが、無視して続けた。


「もちろん、あんたが犯人だと断定しているわけじゃない。だが、あらゆる可能性を疑うのが刑事の仕事だ。あんたは雨宮と血の繋がった唯一の肉親だが、それだけで犯人から除外されるわけじゃない。肉親であればこそ、目に見えない積年の恨みがあるものだからな」


 ガマ警部はそれだけ言うと、尻の抗議を振り切るようにずんずんと部屋の入口の方へと向かった。霧香は両手に顔を埋めてさめざめと泣き続けている。木場は彼女の前に立ち尽くしたまま呆然としていたが、ガマ警部が扉を閉めた音で我に返った。


「霧香さん……」


 無意識のうちに呟き、おずおずと霧香の方に手を伸ばして華奢な肩に触れようとするが、途中で思い留まった。


 出過ぎた真似をしてはいけない。自分は刑事であり、ガマ警部の部下なのだ。たとえ霧香に個人的な感情を抱いていたとしても、その立場までもが変わるわけではない。本当に霧香を助けたいのなら、必要なのは慰めの言葉ではない。捜査を進め、真犯人を見つけ出すことだ。


 木場は霧香の姿を見つめた。その頼りなげな細い身体を、嗚咽を漏らす小さな声を、指の合間から覗く涙にかき濡れた顔を目に焼きつける。


 そうして決意の炎が心に灯ったのを確かめてから、ようやく自分も部屋を後にした。

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