供述 ―雨宮公子(4)―
「その方とは、主人と出会う前からお付き合いをしておりました」公子が続けた。
「派遣の仕事をしている時に出会った方で、
あたくしは彼のアパートで同棲していて、貧乏ながらも幸せな生活を送っていました。ただ……彼は工場勤務で、やはり薄給の身でしたから、到底結婚が望めるような状況ではありませんでした」
公子がそこでふっと遠い目になった。しばらくぼんやりしていた後、大理石の灰皿に煙管をとんとんと打ちつけ、溜まった灰を落としてから続ける。
「そんな矢先に主人と出会い、結婚を前提とした交際を申し込まれ、あたくしは心が揺らぎました。女ですから、誰しも一度は結婚を夢見るものでしょう? まして相手は有名な実業家の方です。こんなチャンスは二度とないとも思いました。ですが、高峰さんのことも愛しておりましたから、どうしても別れを告げることができませんでした。
そうしてどちらとも関係が断てないまま数ヶ月が過ぎた後、とうとう主人との関係が高峰さんに知られることになりました。その当時、あたくしは主人と何回か食事に行くようになっておりましたが、それ以上の関係にはまだ発展していませんでした。それでも高峰さんは怒り、主人との関係を解消するようにあたくしに迫ったのです。
あたくしは迷いましたが、結局は高峰さんを選ぶことにしました。主人と関係を続けるうちに、あの人の人間性が見えてきたものですから、一緒になっても幸せな結婚生活は望めないことに気づいたのです。
ですが……、その時のあたくしはまだ、主人を本当に理解していたわけではありませんでした」
公子はそこで一旦言葉を切った。煙管の火皿におざなりに葉を詰め、ライターで火をつけた後、気だるげに白い煙を吐き出す。
「……あたくしが主人に別れを切り出した数日後、高峰さんから会社を首になったという話を聞きました」公子が仏頂面で言った。
「高峰さんの勤めていた工場は主人の会社の傘下にあり、主人が手を回したことはすぐにわかりました。アパートの家賃も払えなくなり、あたくし達は立ち退きを命じられました。
あたくしは高峰さんに、どこか別の場所でやり直そうと言ったのですが、高峰さんは何も言わずに、あたくしを置いてアパートを出て行ってしまいました。行き場所をなくし、あたくしが一人途方に暮れていたところへ再び主人が現れ、自分と暮らすように言ったのです」公子はそこで露骨に顔をしかめた。
「あたくしは主人が高峰さんに何をしたかを知っていましたから、当然、そんな誘いは撥ねつけようと思いました。ですが考えてみてください。その時のあたくしは家もなく、仕事もいつ首を切られるかわからない状況です。そんな女に何ができましょう? あの人は支配欲が強く、欲しいものは何でも手に入れないと気が済まない性格です。両親や友人を頼ったところで、あの人が執拗にあたくしを追いかけてくることは目に見えていました。
あたくしは、決してあの人から逃れられない……。ならば観念してあの人と一緒になり、せめて金銭的に不自由のない生活をしよう……。そう考えてあたくしは主人と結婚したのです」
公子はそう言って話を終えた。煙管の白い煙が音もなく立ち昇り、空気の淀んだ部屋に充満していく。
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