供述 ―雨宮公子(3)―

 部屋に入ると、途端にむせかえるような匂いが鼻孔を擽り、木場は盛大に咳込んだ。部屋の正面にある大きな鏡台にはブランド物らしい化粧品がずらりと並べられ、その傍らにある小さな白い棚には、カラフルなマニキュアが色のカタログのように陳列している。反対側の棚には洒落た形をした香水の瓶がいくつも置かれ、混ざり合って何とも芳しい(と女の子には思えるのだろうが、木場にはどぎついだけの)香りを漂わせている。その百貨店さながらの品揃えを前に木場は唖然とした。公子はこれらのコスメを使い、毎日この鏡台の前でせっせと若作りに励んでいるのだろう。


「さて、話の続きをするとしよう」


 ガマ警部が断りもせずにソファーに腰かけながら言った。公子はその向かいに腰かけ、両手を膝の上に重ねてガマ警部の言葉を待っている。木場はおずおずとガマ警部の隣に座った。


「俺達が知りたいのは、あんたと灰塚が事件当日、何時から何時まで一緒にいたかだ。最初に言っておくが、奴を庇おうなどとは思わない方がいい。すでにあんた達は一度嘘をついている。これ以上心証を悪くする発言は控えた方が身のためだぞ」


「わかっています。ですが、あたくしと先生が嘘をついた理由はおわかりでしょう?」公子が首を振ってイヤリングを揺らした。

「先生と一緒にいたと知れれば、また根も葉もない噂が立つのは目に見えています。だから秘密にしておいたんです」


「で、実際は何時から何時まで一緒にいたんですか?」木場が手帳を取り出して尋ねた。


「夕食の後すぐに先生を部屋にお招きしましたから、九時頃です。それから一時間ほどお話をした後、先生は部屋にお帰りになりました」


「つまり、九時から十時まで一緒にいたと」ガマ警部が整理した。「下の娘が灰塚を目撃したのは、奴が部屋に帰るタイミングだったようだな」


「それで、先生とは何の相談をしてたんですか?」


 木場が尋ねた。公子は膝の上に重ねた両手に視線を落とし、しばらく逡巡する様子を見せたが、やがてため息まじりに言った。


「……主人のことですわ。先生には以前から何度か相談に乗っていただいているんです。主人がこの屋敷にほとんど寄り付かなかったことはお聞きになりまして?」


「はい、松田さんから教えてもらいました。確か結婚して一ヶ月後には、会社近くにマンションを借りて引っ越したんですよね」


「その通りですわ。屋敷に帰るのは数ヶ月に一回程度で……あたくしは結婚一ヶ月で捨てられたようなものです」公子が自嘲気味に笑った。


「屋敷を出て、友達に会いに行くことはできなかったんですか?」


「ええ、外に行くと悪い虫が寄ると考えたようで、主人はあたくしが外出することを好みませんでした。それに、主人と結婚することを知らせた時点で、友人の多くは離れていってしまいました。あたくしが玉の輿に乗ると知って、妬まれてしまったのでしょうね……」公子が寂しげな笑みを浮かべた。


「だが実際、あんたは玉の輿に乗ったわけだ」ガマ警部が口を挟んだ。

「薄給の派遣社員だったあんたは、一転して大富豪の奥方になった。豪邸に住み、何の苦労もない生活をしている時点で、自由を奪われた見返りは与えられているんじゃないのか?」


「……一般の方から見れば、そう思われても仕方がないのでしょうね」


 公子がルージュを引いた唇からふっと息を漏らし、寂しげに目を細めて続けた。


「あたくしは財産目当てで主人と結婚した。多少不自由な生活を強いられたとしても、夫の資産で暮らしている以上文句を言う筋合いはない。実際にそう友人から言われたこともありました。ですが、あたくしは何も贅沢な暮らしを望んでいたわけではありませんのよ」


「そうなんですか?」木場が意外そうに尋ねた。


「ええ。そもそもあたくしは、主人との結婚を望んでいたわけではありませんでした。ただ、当時の状況からすれば、そうせざるを得なかったのです」


「……どうにも解せんな。あんたは貧乏から脱するために雨宮と結婚したんじゃなかったのか?」ガマ警部が不可解そうに尋ねた。


「それは一面的な見方です。……実は当時、あたくしには主人と別に、お付き合いしている方がいたのです」


「何ですって?」木場が目を丸くした。「つまりそれって、ふたま……」


「違います」


 公子が断固とした口調で遮った。あまりにもきっぱりと言われたので、木場は思わず縮こまった。自分が本当にゴシップ好きの刑事に成り下がった気がしてくる。

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