寡黙な運転手
「お嬢様、そろそろ屋敷にお戻りになった方がよろしいのではありませんか?」
それまで黙っていた運転手が、霧香に向かっておもむろに口を開いた。
「外は冷えますから、あまり長く風に当たっておられるとお風邪を召してしまいます」
「そうですね、ごめんなさい、岩井さん」霧香が弱々しく微笑んだ。
「あの、そちらの方は?」木場が尋ねた。
「運転手の
木場は改めてその岩井という運転手の方を見やった。運転手というと、何となく年配の男性を想像していたのだが、目の前にいる男はまだ若く、三十代半ばくらいに見えた。体格は中肉中背で、顔立ちにもこれといった特徴はなかったが、その透明感のある目には不思議と人を惹きつけるものがあった。
木場が見ているのに気づくと、岩井は帽子の鍔に手をやって引き下げ、顔を隠してしまった。そのまま顔を俯ける。
「すみません刑事さん。岩井さんはとても人見知りな方なんです」霧香が言った。「でも運転はとてもお上手で、父もよく褒めてくださっていました」
「そうなんですか。この屋敷の運転手はいつから?」木場が岩井に尋ねた。
「……かれこれ三年になります」岩井が帽子を目深に被ったまま小声で言った。
「ほう、三年ということは、比較的最近この屋敷に来たんだな」ガマ警部が言った。「前の運転手はどうしたんだ?」
「それは……あの、交通事故が遭ってから間もなく退職されました」霧香が言いにくそうに言った。
「交通事故っていうと、お父さんが下半身不随になったやつですよね?」木場が尋ねた。
「はい……。ただ、事故の当日には運転手の方はお休みを取られていて、運転は別の方がされていたんです」
「別の人間?」ガマ警部が目を剥いた。
「はい。父の秘書をしてされていた方で、
「そうなんですか……。それで、元からいた運転手の方は?」木場が尋ねた。
「あの方は元々、父の住んでいたマンションと会社までの送迎を担当されていました。父は下半身不随になってからは経営を退き、この屋敷で療養するようになったのですが、通院時の送迎については引き続きその方にお願いしたかったようです。ただ、ここはご覧の通りの場所ですから、運転手の方は父の申し出を辞退されたのです」
木場は頷いた。いくら給料をはずむと言われても、こんな辺鄙で危なっかしい場所を何度も行き来するような生活はしたくないだろう。
「しばらくは使用人の方が運転を担当されていたのですが、父は気に入らなかったようで、新しい専属の運転手を雇うように何度も言いつけておりました」霧香が続けた。
「公募もしたのですが、場所が場所ですからなかなか応募がなく、僅かながら応募してくださった方についても、父は少しでも気に入らないところがあるとすぐに追い返してしまいました。私達も途方に暮れていたのですが……そこに岩井さんが来てくださって、本当に感謝しているんです」
霧香はそう言うと、真心のこもった目で岩井を見上げた。岩井が再び帽子の鍔に手をやって俯いた。照れているのかもしれない。
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