現場検証(2)

「それで、もう一つの足跡の方は?」ガマ警部が話題を切り替えるように尋ねた。


「はい。こちらは森と崖の間を往復しておりました。サイズは我々の靴と比較したところ、おそらく二十七センチ。形からしても男性の革靴でしょうね」


「森からの足跡……? 何ですかそれ、明らかに怪しいじゃないですか!」木場が写真から顔を上げて叫んだ。


「はい。あいにく森の中は落ち葉が集積していたため、森に入ったところまでしか足跡は辿れませんでした。他の痕跡も見つかっていません」


「これ、どういうことなんでしょう? やっぱり犯人の足跡なんでしょうか?」木場がガマ警部に尋ねた。


「その可能性は高いだろうな。さっきも言った通り、この森は犯人が身を隠すのにうってつけの場所だ。雨宮が一人になったタイミングで近づき、奴を突き落とした後で森に戻り、現場から逃走する……。娘が崖を離れた時間は約十五分。十分過ぎるほどの時間だ」


「となると、犯人は足のサイズが二十七センチの男性。それに該当する人っていうと……」


 すぐに灰塚の仏頂面が木場の頭に浮かんだ。足のサイズが二十七センチといえば男性の中でも大きい方だが、身長百八十センチはありそうな灰塚なら、二十七センチの靴を履いていたとしても不思議はない。


「……やっぱりあの家庭教師が犯人なんでしょうか?」木場がガマ警部に耳打ちした。「あの人、森に行ったことなんて一言も言ってませんでしたし」


「奴が疑わしいのは事実だが、断定はできん。使用人の連中の中にも、二十七センチの靴を履いた人間がいるかもしれんからな」


「あ、そうか……。それに執事の松田さんもいますもんね」


「奴は小柄だ。足だけが馬鹿でかかった記憶もない。この足跡の主からは除外してもいいだろう」


「なるほど。でもそうなると、犯人はかなり絞られてきますよね。まず女性陣は除外されますし、身長が低い男性も……」


「いや、他の連中に関しても容疑が外れたわけじゃない」


 ガマ警部がきっぱりと言った。木場は面食らって警部を見返した。


「な……何でですか!? 森からの足跡の方が明らかに怪しいじゃないですか!」


「そう、問題はそこだ」ガマ警部が重々しく言った。

「こんな明らかに怪しい足跡が残っていること自体が不自然なんだ。まるで捜査の目をこの足跡に向けようとしているようだ。誰かが男物の靴を拝借し、それを履いて雨宮に近づいたとも考えられる。あるいはあの霧香という娘が、自分から疑いを背けるために別の足跡をつけたのかもしれん」


「そんな……警部は霧香さんを疑ってるんですか!?」


「刑事は全ての可能性を疑わねばならん。お前はあの娘に入れ込んでいるようだが、殺害の機会にもっとも恵まれていたのはあの娘だということを忘れるなよ」


 ガマ警部が釘を刺すように言った。木場は唇を引き結んで黙り込んだ。確かに、現時点では霧香の疑いを晴らす証拠は何もない。


「あのー、警部殿? 自分の出番はもう終わりなのでありましょうか?」


 渕川がおずおずと尋ねてきた。木場とガマ警部は渕川の方を振り返った。話に夢中になっていて、彼の存在をすっかり忘れていた。


「あぁ、すまん。二十七センチの足跡だが、そちらも型取りは済ませているんだろうな?」ガマ警部が尋ねた。


「はっ、もちろんであります! 二つの足型は鑑識が持ち帰っており、今から屋敷で照合が行われることになっております!」


「では、そちらは鑑識に任せるとしよう。他に目ぼしい手がかりはあったか?」


「後は……被害者の乗っていた車椅子ですね。この崖の下の岩場に引っかかっていたため、沈まずに済んだようです。現在、鑑識が屋敷に持ち帰り、詳しい調査を行っているところです。結果が出るまでにはもう少し時間がかかるかと」


「そうか。だがこれではっきりした。やはり雨宮の死は殺人のようだな」


 ガマ警部が苦い顔をして言った。木場は必死で手帳に情報を書き留めていたのだが、そこではたと顔を上げた。


「被害者の死が殺人って……どうして断定できるんですか?」


「森からの足跡だ。これは明らかに現場に第三者がいたことを示している。足跡が工作だった可能性を考慮しても、現場に人為的に手が加えられている以上、誰かが明確な意志を持って雨宮を殺害したと考えるのが自然だ」


「そっか。ってことは、これが殺人事件だって前提で、もう一度屋敷の人達に話を聞かないといけませんね」


「ああ。後発隊の奴らの聞き込みもそろそろ終わっている頃だろうからな。奴らから情報を聞き出した後、改めて家人一人一人から話を聞くことにしよう」


 木場は頷いてぱたんと手帳を閉じた。儚げな霧香の姿を思い浮かべ、彼女のためにも絶対に犯人を見つけてやるぞ、と息巻く。


「俺達は一旦屋敷に戻る。お前はまだここにいるのか?」ガマ警部が渕川に尋ねた。


「はっ! 自分はここが持ち場ですから、何があろうと離れるわけには参りません!」渕川が敬礼しながら答えた。


「そうか。せいぜい海に落ちんよう気をつけろよ」


「了解であります!」


 渕川が敬礼を繰り返した。いちいち暑苦しい人だな、と思いながら木場は渕川と別れた。


 屋敷の方に向き直り、現場から数歩離れた瞬間、もう渕川の顔は思い出せなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る