眼鏡であります

 木場は現場を見回した。そこは上空から見ると三角の突起のような形をした場所で、先端に立つと海が一望できそうだった。屋敷周辺の地面は草地だったが、この辺りは砂地の割合が多いようで、捜査員がつけたであろう足跡が格子模様を描いている。崖の先端から三十センチほど離れた場所には白いテープが四角く貼られている。テープの内側までタイヤ痕が伸びていることからして、そこに車椅子があったのだろう。崖の後方には鬱蒼とした森が広がり、左右に触手を伸ばす木々が視界を遮っている。


「ふむ……ここは臭うな」ガマ警部が森を見ながら言った。「木々に紛れてしまえば現場からは見えん。襲撃者が身を隠すには打ってつけの場所というわけだ」


「犯人は、この森に隠れて被害者が一人になるのを待ってたってことですか?」


「おそらくな。雨宮と上の娘が散歩に出たのを見計らって後をつけ、ここで息を潜めていたのかもしれん」


「でも、森から出て被害者に近づく間に気づかれるんじゃないですか?」


「これだけ波の音がうるさいんだ。襲撃者の足音もかき消されたんだろう」


「ううん……。地理的条件が全部犯人に味方したってわけですね。犯人はこの場所のことをよく知ってたんでしょうか?」


「そうだろうな。こんな辺鄙な場所にたまたま外部の人間が居合わせていたとは考えにくい。内部の人間による犯行だと考えるのが自然だろう」


「それを確かめるためにも、現場を詳しく調べなくちゃですね。鑑識の捜査は終わったんでしょうか?」


「あの人数からしてそうだろうな。今は別の場所を調べに行っているんだろう」


 ガマ警部が現場の方に視線をやった。突起状になった崖は黄色いテープで囲われ、テープの前では制服警官が両手を背中に回して仁王立ちしている。テープの内側では青い制服を着た鑑識が地面に這いつくばったり、白い手袋をはめた捜査員がカメラのフラッシュを焚いたりしているものの、その数は疎らだ。


「あの人に状況を聞いてみましょうか。おーい、すみません!」


 木場がテープの外側にいた私服刑事に声をかけた。スーツの上に黒いトレンチコートを羽織ったその刑事は制服警官と何やら話し込んでいたが、木場の声を聞いて顔を上げた。


「あの、すみません! 自分達も現場の捜査に来たんですけど、状況を教えてもらってもいいですか!?」


 木場が大声で尋ねた。叫んでいないと波の音に声がかき消されてしまいそうだ。


「おや、初めて見る顔の方ですね。あなたは?」私服刑事が尋ねた。


「俺の部下だ。木場と言って、この春から一課に配属になった」


 ガマ警部が言った。警部の顔を一目見るや否や、私服刑事はぴんと背筋を伸ばして慌てて敬礼をした。


「こ……これはこれは蒲田警部殿! 警部殿も本件のご担当だったとは存じ上げませんでした!」


「急遽人員に加えられたものでな。こいつに経験を積ませるいい機会だと思ったから連れて来たんだ」ガマ警部が木場の方を顎でしゃくった。


「あの、警部。こちらの方はお知り合いなんですか?」木場が尋ねた。


「あぁ、こいつは一課の渕川ふちがわ。階級はお前と同じ巡査だ。お前よりは先輩だがな」


「渕川……。あ、もしかして、『黒縁眼鏡の渕川さん』ですか!?」


 木場がまじまじと渕川を見つめた。一課への配属が決まった時、同期の何人かから噂を聞いたことがある。見た目はどこにでもいる冴えないサラリーマン風なのだが、その鼻にかかった黒縁眼鏡だけが妙に印象に残ることから、苗字とかけてそう渾名されているとのことだった。実際、目の前にいる男の顔にはこれといった特徴がなく、どれだけ注意深く眺めても一分後にはどんな顔か忘れてしまいそうだった。モンタージュを作ったとしても眼鏡以外は再現できないだろう。


「はい、自分がその渕川であります! 捜査一課に配属されて早七年、今も現場一線で職務に邁進している次第であります!」


 渕川がびしりと敬礼して声を張り上げた。渕川の年齢は見た目からして三十代前半。一課に配属されて七年ということは二十代の頃から一課にいたわけで、経歴だけ聞くと優秀に思えるが、一方で階級が未だ巡査止まりとは。優秀なのか無能なのか判断がつきにくい男だ。

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