供述 ―松田茂之(2)―

「そもそも、雨宮はなぜこんな場所に屋敷を建てたんだ? 奴には六億円もの資産があった。最初から都心にマイホームでも買えばよかっただろうに」


 ガマ警部が忌々しそうに尋ねた。毎月のローンの返済に苦しんでいる警部からすれば、家を二軒も持つ宗一郎の思考回路が理解できないのだろう。


「ええ、私も不思議でした。ただ聞くところによると、この屋敷の建設は旦那様の悲願であったようです」松田が言った。

「旦那様は大のミステリー小説好きでして、いかにも事件が起こりそうな曰く付きの屋敷を持ちたいという願望がございました。事業で成功を収め、資産を手にしたことで夢を実現させたのだとおっしゃっていました」


「え、じゃあ、この屋敷は被害者の趣味ってことですか?」木場がぽかんとして尋ねた。


「そのようです。もっとも、屋敷を建てたことで満足されたようで、実際に屋敷に帰って来られることは年に数回しかございませんでしたが」


「何ですかそれ……。じゃあこの屋敷の人達は、被害者の気まぐれに付き合わされてるってことじゃないですか」


「ええ、灰塚先生はそのことに立腹されていたのでしょう。先生はお嬢様方のことも不憫に思われたようで、高校に行かせるべきだと何度も進言されていました。ですが旦那様は、学校に行かせないために先生を雇ったのだとおっしゃり、やはり聞く耳を持たれなかったようです」


「……何か、灰塚先生って意外と悪い人じゃないのかもしれませんね」木場がぼそりと言った。「ただのやさぐれ男かと思ってたけど、言ってることはまともです」


「あぁ。だが奴にしても、なぜこの仕事を引き受けたのか謎だな」ガマ警部が言った。「家庭教師の口なら都心の方でいくらでも見つけられるだろうに、なぜわざわざこんな辺鄙な場所に来る?」


「よっぽど給料がよかったんですかね。それかあの見た目のせいで保護者からクレームが来て、クビにされて他でも雇ってもらえなかったとか」


「まぁ、奴のことは後で本人に聞くとしよう。それで、被害者と灰塚の口論を聞いた後、あんたはどうしたんだ?」ガマ警部が松田に尋ねた。


「はい。部屋の中に入ってお二人を止めようかとも思いましたが、私はこの通りの老いぼれですから、仲裁できる自信がありませんでした。ですので、そのまま食堂に引き返し、お二人が遅れるということだけ奥様とお嬢様方にお伝えしました。奥様と果林様からはたっぷりとお小言を頂戴しましたが」


 松田が項垂れて言った。自分よりも小柄な初老の男を見下ろしながら、彼は普段からこの一家に振り回されているのかもしれないな、と木場は思った。


「それから一時間ほど経ちまして、ようやく旦那様と灰塚先生が食堂にお見えになりました」松田が続けた。

「灰塚先生はまだ立腹されているようでしたが、それでも食事の時間は何事もなく過ぎていきました。

 その後、霧香様は旦那様をお連れして散歩に出掛けられ、後の方々はお部屋に戻られました。私はメイド達と共に食事の片づけをした後で自室に戻り、帳簿のチェックを再開いたしました。自室に戻ったのは九時半頃であったと存じます」


「部屋に戻る時、誰かを見ませんでしたか?」


 木場が尋ねた。もし公子や灰塚が崖の方へ行っていたのなら、屋敷から出て行くのを松田が目撃していたかもしれないと思ったのだ。


「そうですね……。メイドや掃除夫が働いているのは見ましたが、ご家族については誰も見ておりません」


 松田が答えた。そう簡単にはいかないか。木場は落胆を顔に出さないよう努めた。


「上の娘の話では、あんたは屋敷の入口のところで娘に会い、警察への通報を頼まれたんだったな?」ガマ警部が尋ねた。


「お嬢様にお会いしたのは事実ですが、通報したのは厳密には私ではありません」


「え、どういうことですか?」木場が身を乗り出した。


「ここはご覧の通り不便な場所にありますから、電波が入らないのです。ですから固定電話は設置しておらず、携帯電話を所持している者もおりません。一番近い公衆電話へ行くにも車で三十分はかかります。私は車の運転ができませんから、運転手に通報を頼みました」


「電話も使えないとは……どこまで前時代的なんだこの屋敷は」


 ガマ警部がぶつぶつ文句を言った。彼がこの屋敷の気に入らない点を挙げたら長文のリストが出来上がりそうだなと木場は思った。

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