供述 ―雨宮果林(2)―

「父親は不倫の件を知っていたのか?」ガマ警部が尋ねた。


「さぁ、どうかしら。一応パパには隠してたみたいだけど、パパってそういうことには鼻が利いたから、もしかしたらバレてたかもしれないわね」


 宗一郎は車椅子生活になり、外出もままならない状態だったという。在宅時間が増えていた以上、不倫現場を押さえられた可能性は十分にある。


「……あの二人にもう一度話を聞く必要があるな」ガマ警部が険しい顔で言った。

「ところで、あんたがそれを見たのは何時頃のことだ?」


「そうねぇ。確か十時頃だったと思うわ。あたし、部屋で一時間くらいテディちゃんとお喋りしてたんだけど、途中で退屈になっちゃって。それでママの部屋の方に行ったから」


「二人を見たのは十時っと」


 木場が手帳に情報を書きつけたが、そこであることに気づいた。「……あれ?」と呟いて、自分が書いた『十時』という文字を見つめる。


「十時って……これ、被害者の死亡推定時刻じゃないですか!」


 木場が叫んだ。猛然と手帳を捲り、霧香の供述のページを開ける。


「あった! えーと……被害者が死んだのは霧香さんが崖を離れた九時四十五分から、十時に屋敷を出るまでの十五分間。もし、果林ちゃんが二人を見たのが本当に十時前後だったら、二人にはアリバイが成立することになります!」


「これが殺人事件なら、な」ガマ警部が釘を刺した。

「だが、九時四十五分きっかりに被害者を殺害したのであれば、十時までに部屋に戻ってくることも不可能ではない。現場から屋敷までは五分程度しかかからんのだからな」


「現場近くに、二人のうちどっちかが潜んでたってことですか?」


「まだ現場を見ていないから何とも言えんが、可能性はある。だがいずれにしても、奴らは嘘をついたわけだ。あの二人は、どちらも夕食後は部屋に一人でいたと言っていたんだからな」


「不倫を隠すために嘘をついたんですね……。うう、許せません!」


 憤りに任せて木場は謎の図形を手帳に書きつける。元々悪かった二人への心証が、手帳のページと同じくらい真っ黒になっていくようだった。


「ね、オジサン。あたしの話、役に立った?」


 果林の声で木場は振り返った。ただし、『オジサン』という呼称に反応したわけでは断じてない。あれはあくまでガマ警部に向けられたものだ。


「うん、おかげでちょっとずつこの一家の裏側が見えてきたよ。やっぱり一癖も二癖もある人ばっかりだったね」君も含めて、と内心で付け加える。


「そ、よかった。あたしもお喋りできて楽しかったわ。ねー? テディちゃん?」


 果林がぬいぐるみの頭を撫でた。自分が奇人と認定されたことには気づいていないようだ。


「他に何か聞きたいことある? 知ってることなら話してあげてもいいわよ」


「えーと……あ、そうだ。お父さんのことをもう少し詳しく聞かせてくれるかな?」


「パパ?」


「うん。灰塚先生が言ってたんだ。この屋敷の誰も、お父さんが死んだことを哀しんでないって。実際、果林ちゃんもあんまり哀しそうに見えないけど、お父さんはどういう人だったの?」


 果林は急に無表情になった。それまでのお喋りが嘘のようにぴたりと口を噤んでいる。


「……パパのことは好きじゃなかったわ。」

 

 果林がぽつりと言った。


「お姉ちゃんにお世話してもらわなかったら何にもできないくせに、前と同じように威張ってるんだから。学校行ってた時だって、あたしのことにしょっちゅう口出ししてきたのよ。おい果林、お前の友達はどんな奴だ? 変な男と付き合ってるんじゃないか? って。大きなお世話よ。あたしはもう子どもじゃないのに、パパはいつまでもあたしを赤ちゃんみたいに扱うのよ」


「ふむ……被害者は随分と過干渉な親だったようだ」ガマ警部が言った。「上の娘に対してもそうだったのか?」


「そうね。お姉ちゃんも高校は行ってないんだけど、あたしみたいに反発はしなかったみたい。お姉ちゃんは大人しくて、何でもパパの言うことを聞くから、パパもお気に入りだったんでしょうね。

 パパはいつまでもお姉ちゃんを傍に置いておいて、一生自分の世話をさせればいいと思ってたんだわ。でもあたしはそんなの絶対イヤ。友達とも遊べないで、こんな家に閉じ込められて一生過ごすなんて耐えられないわ」


 果林が一気にまくし立てた。その気持ちは木場にも理解できた。宗一郎はこの辺鄙な地にある屋敷に家族を囲い込み、自由を奪っていたも同然。そんな状況では、宗一郎を憎からず思うのも無理はないだろう。


 だが、霧香はそれでも宗一郎への恨み言など一言も口にせず、父親の死を心から悼んでいるように見えた。宗一郎の束縛をもっとも受けていたのは霧香なのに、彼女だけが父親のために涙を流していた。


(もし、これが殺人事件だったとしても、犯人は絶対に霧香さんじゃない。あの人は見た目だけじゃなくて、心も綺麗で清らかなんだ。そんな人が犯人のはずがない)


 木場は内心でそう呟くと、確信を持って頷いた。

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