供述 ―灰塚敏夫(2)―
「ところであんた、夕食の前には何をしていたんだ?」
ガマ警部が出し抜けに尋ねた。灰塚の頬が一瞬ぴくりと引き攣ったように見えた。
「夕食前? 何でそんなこと気にするんだ? 爺さんが死んだのは夕食の後だろう?」
「あんたは最初、夕食は七時からだと言った。だが実際には、夕食が始まったのは八時からだ。なぜそんな勘違いをしたんだ?」
「それは……」
「俺が思うに、夕食は本来七時から始まる予定だったんじゃないか? だが、あんたはその前に何かをしていて夕食に遅れ、実際には八時から始まることになった。だからあんたはうっかり、『夕食は七時から』だと言った。違うか?」
灰塚は答えなかった。ポケットに両手を突っ込み、視線を下げてソファーに身体を埋める。その様子を見ながら、ガマ警部が威圧感たっぷりに言った。
「警察に隠し立てはしない方がいい。あんたはさっきも被害者のことをこき下ろしていた。これ以上心証を悪くするのは得策とは思えんがな」
「……ちっ、しょうがねえな。わあったよ。話しゃいいんだろ、話しゃあ」
灰塚は反動をつけてソファーの背もたれから身体を起こすと、足を広げて座り直した。ガマ警部を真正面から見据え、挑むような視線を投げかける。
「あんたの言う通りさ。この家では、夕食は毎晩七時からって決まってる。昨日も本当はそうなるはずだったんだ。でも間に合わなかった。俺が爺さんに呼び出されたからな」
「被害者に呼び出されただと?」ガマ警部が目を剥いた。
「ああ、六時半頃だったかな。爺さんの部屋に行って、二人で話をしたんだ。三十分くらいで終わるかと思ってたのに、気づいたら一時間半も経ってて、他の連中を随分待たせちまったよ」
「それで、何の要件で被害者に呼び出されたんですか?」
木場が興味津々で尋ねた。灰塚は木場の方に視線をやると、もったいぶった調子で言った。
「……爺さんは俺を呼び出して、そう、自分の家族のことを話したんだ。奥さんと二人の娘のことをな。やっこさん、何せあの身体だろう? 精神的にも相当参っちまって、自分がいつ死んでもおかしくないと思ってたみたいでな。もし自分が突然死ぬようなことがあったら、家族のことを俺に頼みたいって言ってきたんだ」
「本当ですか?」
木場がメモを取る手を止め、まじまじと灰塚を見返した。あの豪胆なイメージの被害者が死期を悟り、一家庭教師でしかない灰塚に遺言を託したという事実が信じられなかったのだ。
「ああ。何せ俺は八年もこの屋敷に住んでるんだ。爺さんにとっても家族同然ってわけだ。娘二人のこともよく知ってるし、後を任せるには適任だと考えたんだろうよ」
「そういうものでしょうか……」
木場はボールペンの先端でこつこつとこめかみを叩いた。いくら灰塚と雨宮一家の付き合いが長いとしても、灰塚が雇われの身である事実に変わりはない。雇い主がいなくなれば、屋敷を捨ててさっさと出て行ったとしてもおかしくはない。後を託すにはあまりにも不安定な相手だ。それなのに、なぜ雨宮はわざわざ灰塚を選んだのだろう。
ガマ警部も同じ疑問を抱いたのか、灰塚に向かって尋ねた。
「だが奇妙だな。上の娘の話では、この屋敷には松田という執事がいるはずだ。執事というくらいだ。屋敷の管財人として一切合切を任されているんだろう? 自分が死んだ後のことを頼むなら、その男の方がよっぽど適任だと思えるが」
「あぁ、それはたぶん、霧香のことがあったからだろうよ」灰塚が事もなげに言った。
「霧香さん?」木場が思わず身を乗り出した。
「あぁ、やっこさん、ひとしきり喋った後にこう言ったんだ。『自分が死んだ後、夫として霧香を支えてやってほしい』……ってな」
「何ですって!?」
木場が素っ頓狂な声を上げた。ガマ警部がじろりと木場を見やる。
「何で被害者はそんなことを……。いや、それより、あなたは何て返事したんですか!? 霧香さんと結婚するって言ったんですか!?」
木場が明らかに狼狽しながら尋ねた。灰塚が途端に面白がる顔になり、必死さの滲む木場の顔を見返す。
「へぇ、刑事さん。あんた、俺と霧香のことが気になるのかい?」
「違います! これはその……職業的興味です!」
木場が顔を真っ赤にして叫んだ。灰塚は大きく顔をのけぞらせると、大声を上げて笑った。ガマ警部が何十年も老け込んだような顔でため息をつく。
灰塚はひとしきり笑った後、笑いすぎて出た涙を拭いながら言った。
「……なるほど。じゃあ、あんたの職業的興味とやらを満たすために答えてやるが、俺は断ったよ」
「本当ですか!?」
「あぁ。確かに霧香は美人だが、ちいっとばかしお上品すぎる。俺はもっとこう、色気のある女の方が好みなんでね」
灰塚が何でもない調子で言った。またしても公子の姿が木場の頭を掠めたが、懸命にその疑惑を追い払った。灰塚が霧香との縁談を断ったとわかり、安堵が胸に押し寄せる。
「さて、あんた達の知りたいことはこれで全部話したはずだぜ」灰塚が首を左右に捻りながら言った。
「何回も言うけど、俺は疲れてんだ。いい加減休ませてくれねぇかな」
「警部、どうします?」
木場がガマ警部を見やった。ガマ警部は腕組みをして渋面を作っていたが、やがて顔を上げて言った。
「最後に一つだけ聞こう。あんたは被害者を、『ろくでもない人間で、死んで当然』だと言った。そこまで言うからには、何か強い恨みを抱いていると考えるのが筋だが、あんたと被害者の間には何かトラブルがあったのか?」
「それを俺が正直に話すとでも?」灰塚が挑発するように顎を上げた。
「話すか話さないかは勝手だが、隠し立てすれば心証が悪くなると忠告したはずだ。疚しいことがあるなら正直に言った方が身のためだぞ」
「ふん。俺には疚しいことなんかないね。むしろあるのは爺さんの方さ」
「どういう意味だ?」
「俺の口からは言えないね。ただ……一つはっきりしてることがある」
灰塚がそこで言葉を切った。意味ありげな一瞥をガマ警部にくれ、たっぷり間を取ってから言った。
「あの爺さんの死を哀しんでる人間は一人もいねぇ。この屋敷の人間にとっちゃ、爺さんは疫病神でしかなかったってことさ」
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