供述 ―灰塚敏夫(1)―
霧香の部屋と比べると、それは随分と贅を凝らした部屋だった。周囲に張り巡らされた高級そうな布地の壁紙、美術館にでも飾ってありそうな大きな絵画、見るからに値が張りそうな調度品の数々。その光景は貴族の居室さながらで、一介の家庭教師に与えられる部屋としてはいささか豪華過ぎるように思えた。
「ずいぶんと贅沢な部屋だな。あんたがここをずっと使ってるのか?」ガマ警部が面白くなさそうに尋ねた。
「まぁね。奥さんの話じゃあ、ここは客室の中でも一番上等の部屋だって話だ。ま、こんな僻地にある屋敷に住み込みで働けっていうくらいだ。これくらいの扱いはしてもらわねぇと割に合わねぇからな」
灰塚が革張りのソファーに腰を下ろしながら言った。長い足を見せびらかすように足を組み、優雅に髪をかき上げる。黒ずくめの格好でそんな動作をするとホストのようにも見えて、妙な色気を感じさせる。自分にはないものを悉く見せつけられ、木場は何だか悔しくなった。
「さて、それでは昨晩のあんたの行動を聞かせてもらおうか」
ガマ警部が断りもせずに灰塚の向かいのソファーに腰かけた。木場もおずおずとそれに続いたが、ソファーが予想外に柔らかく、尻が沈んで危うくバランスを崩しかけた。
「昨日の晩つっても、大して話すことはねぇよ。全員で飯を食ったことは奥さんか誰かから聞いてんだろ? その後は一人でこの部屋にいたし、アリバイは証明できないってわけだ」灰塚が大袈裟に肩を竦めて見せた。
「同じ話でも、別の人間から聞けば違った情報が見えてくることはある。時系列ごとに詳しく話すんだ」ガマ警部が言った。
「ちっ、面倒だな……。ええと……まず、夕食が始まったのが七時だ」
「七時? 八時じゃなくてですか?」
木場が思わず尋ねた。灰塚がはっとした顔になったが、すぐに表情を取り繕った。
「あ、あぁそうだ。八時だ。八時になって食卓に全員が集まったんだ。俺と奥さん、爺さんと娘二人が席について、使用人の連中も周りにいたよ。終わったのが九時くらいだ。その後はまっすぐ俺の部屋に戻ったよ」
「部屋では何をしていたんですか?」
「明日の授業の準備さ。俺はこう見えても仕事は真面目にする方でね。授業の準備は前日のうちに済ませておくんだ」
「ちなみに灰塚先生が教えてるのって、妹の『かりん』さんの方ですよね?」
「あぁ。といっても、最初は霧香の勉強を教えるために雇われたんだがな。あいつが十六歳の時だよ。霧香が十八歳になったタイミングで、妹の方に鞍替えしたってわけ」
「霧香さんが十六歳ってことは、今から八年前ですか。雨宮さん一家とは長い付き合いなんですね」
「あぁ、雇われてからずっとこの屋敷に住んでるから、家族の一員みたいなもんだな。特に奥さんはよくしてくれてるよ。いつも何やかやと差し入れを持ってきてくれるんだ」
「そうなんですか」
木場は公子の嫣然とした姿を思い浮かべ、それから怪しい色気を漂わせる灰塚の方を見た。小さな疑念が脳裏を掠めたが、口には出さないでおいた。
「それで、あんたはどうやって被害者の死を知ったんだ?」ガマ警部が話を戻した。
「使用人の奴が俺の部屋に飛び込んできやがったんだ。泡食った様子で『旦那様がお亡くなりに!』とか叫んで、さすがの俺も驚いたね」
「それは何時頃のことだ?」
「さあねぇ……。飯が終わってから一時間は経ってたんじゃねぇか。一息入れようと思って、コーヒー淹れに行こうとしたとこだったからな」
「つまり、十時は回っていたということだな」
ガマ警部が言った。木場は手帳を捲りながら情報を確認した。霧香が死体を発見したのが十時五分頃で、それから屋敷に戻って執事に被害者の死を知らせた。使用人が灰塚に知らせに行ったのはその後のことだろう。供述に不審な点はない。
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