やさぐれ家庭教師
霧香の部屋を離れ、木場は廊下を挟んで向かい側にある部屋をノックした。『KARIN』というプレートの掲げられた霧香の妹の部屋だ。だが中から返事はない。木場が声を張り上げてみても結果は同じだった。
「妹さん、いないみたいですね。どこに行ったんでしょう?」
「おおかた、部屋にいるのが退屈になって屋敷の中をふらついているんだろう。まぁ聞き込みをしているうちにどこかで会うだろうから、今は放っておけばいい。あと話を聞いていないのは家庭教師だったな」
「はい。それと霧香さんが言ってた執事の松田さんですね。使用人の部屋はこの下でしたっけ?」
「そうだな。家庭教師を訪ねた後で行ってみることにしよう」
ガマ警部はそう言うと、廊下の反対側に向かってずんずんと歩いて行った。木場も小走りでその後を追った。
使用人に教えられた道を辿り、二人は一階にある家庭教師の部屋の前に到着した。例によって木場がドアをノックし、大声で部屋の主を呼んだ。ややあって、がちゃりと鍵の開く音がして扉が開かれた。
「……何だよ、うるせーな。こっちは寝不足なんだ。ちったぁ静かにできねぇのかよ」
そう言って中から顔を覗かせたのは、まだ三十代くらいの若い男だった。パーマのかかった黒髪に無精髭を生やし、胸をはだけさせた黒いシャツの袖を肘までまくり上げ、タイトな黒いパンツを履いている。身長百八十センチはありそうで、ポケットに手を突っ込んでこちらを見下ろす姿には妙に威圧感がある。ガンを飛ばすような目つきからしても、家庭教師というよりヤクザと言われたれた方がよっぽど納得できそうだ。
「あ、その、すみません。ついいつもの調子で……。あの、家庭教師の
木場がおずおずと尋ねた。灰塚の風体を前にすっかり腰が引けてしまっている。
「そうだけど?」
「あ、あの、自分は警視庁捜査一課の木場と申します。こちらは上司の蒲田警部。あの、よろしければ、事件についてお話を聞かせていだきたいんですが……」
「嫌だね。俺は疲れてるんだ。ったく、爺さんが一人死んだくらいのことで、何でこんな面倒なことに巻き込まれなきゃいけねぇんだよ?」
灰塚が吐き捨てた。飛んだ唾が高級そうな深紅のカーペットに吸い込まれていく。
「随分な言い草だな。被害者はあんたの雇い主だったんだろう?」ガマ警部が咎めるように眉を上げた。
「ふん、雇い主だか何だか知らねぇが、あいつはろくでもない人間だった。死んで当然だったんだ」灰塚が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「……聞き捨てならん発言だな。とにかく、昨日の晩の話を聞かせてもらおうか」
「あんたもしつこいな。俺は疲れてるって言っただろう?」
「警察は関係者全員から話を聞く必要がある。あんたの体調になど構ってはおれんのだ」
ガマ警部がにべもなく言った。灰塚が猟犬のような目でガマ警部を捉える。だが眼光の鋭さならガマ警部も負けてはおらず、しばらく無言の睨み合いが続いた。火花を散らす二人の間の様子はまさに一触即発で、ボクシング試合の開始前を思わせる。二人の間で視線を交わす木場は立ち位置としてはレフェリーなのだろうが、おろおろとしたその姿からはとても公正な審判を期待できそうにない。
そんな緊迫した時間が一分ほど続いたが、先に白旗を挙げたのは灰塚だった。ガマ警部から視線を外し、忌々しそうに舌打ちをする。
「……ちっ、わかったよ。話しゃいいんだろ、話しゃあ」
灰塚は面倒くさそうに頭を掻くと、扉を開け放したまま部屋の中に引っ込んでいった。
「ふん、まったく手間をかけさせる。最初から大人しく協力しておけばいいものを」ガマ警部が鼻を鳴らした。
「でも警部、さすがですね! あの恐そうな家庭教師を睨み負かすなんて。自分一人だったらあのまま扉を閉められてましたよ」
木場は賞賛の眼差しで警部を見つめたが、ガマ警部はにこりともしなかった。
「お前はビビり過ぎなんだ。相手がどんな人間であろうが、あくまで毅然とした態度で捜査に臨む。それが刑事としての鉄則だ。ましてあの男はヤクザでも何でもない、ただの家庭教師だ。それをお前は、蛇に睨まれた鼠みたいに竦み上がりおって」
「……すみません」
木場が縮こまったが、そこでふと何かを思い出した表情になった。開け放たれた扉から、室内をうろつく灰塚の姿をじっと見つめる。
「どうした? 木場」
「あ、いや……あの家庭教師ですけど、どこかで見たことがあるような気がして」
「何?」
「あ、でも、たぶん気のせいです。あんな特徴ある人、一回見たら忘れないと思いますし。たぶんヤクザ映画に出た俳優か誰かと勘違いしてるんです」
「……まぁ、確かにヤクザ染みた顔ではあったな。あんな顔じゃ生徒も泣き出すんじゃないか」
ガマ警部が苦々しげに言った。その警部の顔の方がよっぽどヤクザの親玉めいている、ということは木場は言わないで置いた。
「とにかく今は聞き込みですね! 警部が道を作ってくれましたからね。後は自分が何とかして見せますよ!」
木場は拳を握って気合いを入れると、胸を張って灰塚の部屋へと乗り込んで行った。
こいつ、本当に大丈夫か? 不安の種が増殖するのを感じながら、ガマ警部は自分も部屋に足を踏み入れた。
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