奥様は美魔女

 屋敷の中に一歩足を踏み入れると、そこにはまた時代と国境を飛び越えたような光景が広がっていた。広々としたロビーには床一面に深紅のカーペットが敷かれ、高い天井からは豪華なシャンデリアがぶら下がっている。白い壁には金色の額縁に入った巨大な絵画がかけられ、部屋の両脇では甲冑姿の騎士の置物が門番のように睨みを利かせている。ロビーの正面には吹き抜けになった二階へと続く広い階段があり、ステンドグラスの大きな窓から明るい日差しが差し込んでいる。まるで舞踏会でも開かれていそうな豪奢な屋敷だ。


「うわぁ……すごい。何か、自分が日本にいることを忘れちゃいそうですね」木場が感嘆の息をついた。


「ふん、俺に言わせればただの金持ちの享楽に過ぎんな」ガマ警部が一蹴した。

「やたらとけばけばしく飾り立てて、品位の欠片もない。おまけに西洋かぶれと来た。雨宮はよっぽど趣味の悪い男だったようだな」


「そうですか? 自分は好きですけどねぇ。こういうレトロって言うか、アンティークな感じ! 貴族にでもなった気がするじゃないですか」


「俺は庶民で結構だ。藺草いぐさの匂いがある部屋でないと眠れんからな」


 ガマ警部が鼻を鳴らした。どうやら警部は生粋の日本男児のようだ。


「で、聞き込みをするんですよね。屋敷の人達はどこにいるんでしょう?」木場が額に手を当てて辺りを見回した。


「雨宮の家族構成は、妻と娘が二人。それから住み込みの家庭教師がいるそうだ。後は使用人の連中だな。全員屋敷内で待機させているはずだが……」


 ガマ警部がそう呟いた時だった。二階へと続く階段の右側、屋敷の奥へ続く廊下からコツコツというヒールの音が聞こえてきた。


 木場がその方に視線をやると、廊下から一人の女性が歩いてくるのが見えた。ウェーブがかった栗色の髪をアップにして、耳元では大ぶりの金色のイヤリングが幻惑するように揺れている。オフショルダーのタイトな茶色のワンピースを纏い、むき出しになった白い肩と細い首からはむんむんと色気が漂っている。ワンピースの下からはすらりとした脚線を惜しげもなく晒し、足元には真っ赤なハイヒールを合わせている。皺一つない顔には念入りにファンデーションが塗られ、真っ赤なルージュを引いた唇で悠然と煙管をふかしている。年齢はわからないが、いやに妖艶な雰囲気を漂わせる女性だ。木場は妙齢の女教師を前にした男子中学生のようにどきまぎした。


「あなた……刑事さんですわね?」


 女性が二人の眼前まで来たところで口を開いた。少し低めの声音がまた色香を感じさせる。


「そうだが、あんたは? 被害者の娘さんか?」ガマ警部が尋ねた。


「あら嬉しい、娘だなんて。あたくしもまだまだ捨てたものじゃないわね」女性が婉然と笑みを漏らした。


「え。ってことは、もしかして被害者の奥さんですか?」木場が呆気に取られて尋ねた。


「正解。あたくしは雨宮公子あめみやきみこ。あの人と夫婦になってもう二十年になりますわ」


 公子が木場に向かって艶っぽく微笑んだ。よく見ると、確かに左手の薬指には、薔薇の形にカットされたルビーの付いた金色の指輪がはまっている。結婚して二十年ということはおそらく四十代だろうが、公子の顔や手には皺一つない。美魔女という言葉があるが、この女性の若さはまさに魔術的だ。自らの美貌を保つためにどれだけ金を費やしているのだろうと考えると、木場は目の前にいる女性が急にそら恐ろしくなった。


「確か被害者は六十歳を超えていたはずだが……ずいぶん歳の離れた結婚だったんだな?」ガマ警部がじろりと公子を見やった。


「あら、年齢なんて関係ありませんわ。あたくしはあの人を愛していましたもの」公子が平然と言った。


「ほう? その割にはあんまり哀しそうに見えんがな」


 ガマ警部が疑わしげな視線を公子に向けた。公子は笑みを浮かべたまま何も言わない。


 警部の考えていることは木場にもわかった。公子が何歳かは知らないが、これほどの美貌であれば男からのアプローチが後を断たなかっただろう。それでもあえて(おそらく)一回り以上年上の雨宮と結婚したのは、財産目当てであった可能性が高い。


「まぁいい。あんたと被害者の仲は調べればわかることだ」ガマ警部が言った。


「それよりも、俺達はちょうど家人に聞き込みをしようとしていたところだ。まずはあんたから始めたいが、構わんな?」


 一応疑問形を取ってはいるが、有無を言わせぬ口調でガマ警部が尋ねた。公子は優雅な身のこなしで両手を両の肘に当てると、ゆったりと頷いた。

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