事件概要

「それでガマさ……」


 木場が口を開いた。すかさずガマ警部の眼光が飛ぶ。


「……蒲田警部。今回の事件ですけど、何の犯罪でしたっけ?」


 木場は大人しく訂正したものの、ガマ警部が今度は珍種の生き物でも見るような目つきで彼を見た。


「……木場、お前、事件の内容も知らずに今まで車を走らせていたのか?」


「はい。確認しようと思ったんですけど、とにかく急いで現場に行け! って言われたもんで、情報なしで来ちゃいました」


 木場が悪気のない顔で言った。ガマ警部は眉間に皺を刻み、額に手をやって深々とため息をついた。どうやら彼の心労の種が増えたようだ。


「……いくら急いでいたとしても、事件の種別くらいは押さえておけ。放火の捜査をするつもりで強盗の現場に行くようでは話にならん」


「あ、そうですね! 今度からは気をつけます!」


 木場が生真面目に返事をした。ガマ警部は再びため息をつくと、椅子の背もたれに背中をつけ、気を取り直すように話し始めた。


「今回起こったのは死亡事故だ。捜査の進み具合によっては、自殺か殺人に切り替わる可能性もあるかもしれんが」


「さ、殺人事件ですか!?」


 木場が素っ頓狂な声を上げた。勢い余ってアクセルを踏み込み、慌ててスピードを落とす。


「……でかい声を出すな。耳が過労死する」ガマ警部が三度目のため息をついた。


「それに運転に集中しろ。集中できないのなら、現場に到着するまで一切の情報は出さん」


「す、すみません。もう大丈夫ですから、続きをお願いします」


 ガマ警部はちびた煙草を口からもぎ取ると、灰皿に乱暴に押しつけた。続けざまに二本目を取り出し、ライターで火をつけながら言う。


「死亡したのは雨宮宗一郎あめみやそういちろう。享年六十二歳。若い頃に立ち上げた証券会社を、僅か数年で市場占有率五十%もの大会社へと成長させたやり手の経営者だ。メディアへの顔出しも多く、よく経済番組にコメンテーターとして出演していた。ここ数年はめっきり見なくなったがな」


「あぁ……そういえば何回か見たことがあります。いかにもワンマン経営者っぽい人でしたね」


 木場はいつかのテレビで見た雨宮宗一郎の顔を思い出していた。ガマ警部と似たずんぐりとした体型をして、肌艶のよい顔にはたっぷりと自信が漲っていた。黒革張りのソファーに足を組んで腰かけ、オーダーメイドのスーツを着込み、悠然と葉巻を吹かしている、そんなイメージがぴったりと合う男だった。


 その番組は討論番組だったが、雨宮は歯に衣着せぬ物言いで他の出演者を完膚なきまでに論破していた。その圧倒的な弁舌に木場は脱帽しながらも、この人の下では働きたくないと心底思ったものだ。


「あぁ、実際、奴の経営にはかなり強引なところがあってな」ガマ警部が言った。

「経営が行き詰まるたびに吸収と合併を繰り返し、その一方で大規模なリストラを断行したそうだ。失業者は数千人にも上ったという」


「そんなに……」


「雨宮のやり口をよく思わない人間は多いだろうが、それでも奴には確かな実績があった。奴の金融資産の総額を知っているか?」


「さぁ……。五千万円くらいですか?」


「六億円だ」


「え、六億!?」


 木場が目を剥いてガマ警部の方を見た。ガマ警部に一睨みされ、慌てて前方に視線を戻す。


「ろ、六億って……。自分の月収とは桁が違いますね」


「あぁ。俺とお前の生涯年収を足しても遠く及ばんだろうな。その金で奴は海辺に邸宅を買い、家族をそこに住まわせていたそうだ。その上で、自分は会社近くにマンションを借りて単身生活を送っていたとか。まったく……とんだ格差社会だな。こっちは家のローンの返済に毎月喘いでいるというのに」


 ガマ警部がぶつぶつ文句を言った。庶民的な一面を見せた警部に、木場は急に親しみを覚えた。


「で、今から向かってるのが、その海辺にある屋敷ってわけですね?」


「そうだ。雨宮は昨晩、屋敷近くの崖から転落し、土左衛門となって海面に浮かんでいたところを発見された。警察には家族が通報したそうだ」


「夜に崖から転落……。被害者は散歩にでも行ってたんでしょうか?」


「詳しい事情は俺もわからん。ただ、おそらく奴は一人ではなかったんだろう」


「どうしてですか?」


「どうも雨宮は、五年前に交通事故に遭い、それ以来下半身不随の状態にあったようだ。今は車椅子生活を送っていて、一人では外出もままならん。雨宮が崖にいたということは、誰かがそこまで奴を連れ出したということだ。介助者が目を離した隙に誤って転落したか、あるいは……」


 誰かに突き落とされたか――。ガマ警部が呑み込んだその言葉に、車内の空気が急に重くなったように感じられた。


「つまり、自分達がこれからすることは、被害者が死亡したのが事故か自殺か、あるいは殺人かを調べるってことですね?」木場が情報を整理しながら尋ねた。


「そういうことだ。まぁ、雨宮の性格上、自殺の線は薄いと思うがな」


 ガマ警部が顎を擦りながら言った。木場は何度も頷きながら、カーナビにちらりと視線をやった。到着まで残り三十分。


 初めての捜査、それも殺人事件かもしれない事件の捜査を前に、木場は否が応でも気持ちが高ぶっていくのを感じた。

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