第一部 岸壁に佇む屋敷

捜査 ―1―

平日の闖入者

 四月十三日、火曜日、午前十時半。平日のこの時間は首都高速道路も空いており、誰もが渋滞に巻き込まれることなく快適に車を走らせている。見かける車種は大型トラック、カップルを乗せたミニバン、あるいは四人連れの家族を乗せたステーションワゴン、そんなところだ。人目を引く車は何もない。


 かと思いきや、けたたましいサイレンを鳴らして疾走する一台のパトカーが目に入った。周囲を走行する人々は、突然現れたこの闖入者――いやむしろ闖入車を、何事かという目で見つめた。平日の昼間から事件? それも高速道路を使わなければいけないような遠方で? そんな疑問と好奇の視線が一斉にそのパトカーに注がれていた。


 パトカーを運転しているのは若い男だった。短く切り揃えた黒髪に童顔、リクルートスーツをきっちりと着込んだその姿は就職活動中の大学生のようだ。体型は小柄で、男性の平均身長からは十センチほど低く見える。運転に慣れていないのか、顔には緊張が走り、手は傍目からもわかるほどに震えている。


 いや、彼の手が震えているのは、助手席に座る男のせいかもしれない。ずんぐりとした体格の中年の男で、苦虫を噛み潰したような顔に煙草を咥え、着古したベージュのトレンチコートのポケットに両手を突っ込んでいる。その眼光は猛禽類のように鋭く、十人子どもがいたら九人はその目を見て泣き出すだろう。パトカーに乗っていなければ、いやむしろパトカーに乗っているからこそ、連行されるヤクザの親玉に見えてもおかしくない。


 童顔の若者と、強面の中年男。一見するとかなり奇妙な取り合わせ。だが、この二人はいずれも紛れもなく警視長捜査一課の刑事だ。背広の胸ポケットにしまわれた警察手帳がそれを証明している。中年の方は蒲田次郎がまたじろう、若者の方は木場隆史きばたかしという。


 蒲田は木場の上司で、階級は警部。勤続三十年になるベテラン刑事だ。一方の木場はこの春から捜査一課に配属された新米刑事で、階級は巡査。ただし警察官としては六年目で、二年の交番勤務を経た後、去年まで本庁の交通課に所属していた。この春からコンビを組むことになった二人は、初陣を迎えるべく現場へと急行していた。


「おい木場、現場まではあと何分だ?」


 蒲田が助手席で尻を動かしながら尋ねた。歳のせいか、座りっぱなしの体勢が辛いようだ。


「えーと……カーナビによるとあと一時間です!」木場が元気よく答えた。


「一時間だと? 署を出たのは何時だ?」


「えーと、自分が出勤してすぐだから……確か八時半くらいです!」


「二時間近く高速を走らせて、まだ着かんだと? どれだけ辺鄙なところにあるんだ今度の現場は?」蒲田が忌々しそうに舌打ちをした。


「まぁまぁ、しょうがないですよガマさん。住所は東京なんですから、どうしても警視庁の管轄になっちゃいますし」


 木場が窘めるように言った。蒲田がじろりと木場を見やる。


「おい木場、『ガマさん』は止めろって言ってるだろ。部活の先輩後輩じゃないんだ。気安く渾名で呼ぶんじゃない」


「あ、すみません……。でも自分、『警部』って呼び方苦手なんですよね。いかにも階級を強調してるみたいで堅苦しくないですか?」


「……警察は階級社会だ。階級を強調して何が悪い」


「まぁそうなんですけど、自分、やっぱり直属の上司は親愛の情をこめて呼びたいんですよね。ダメですか? 『さん』付け」


「駄目だ」


 蒲田に一蹴され、木場はがっくりと首を垂れた。が、すぐに運転中であることを思い出し、慌てて顔を上げた。


「じゃあ、せめて『ガマ警部』はダメですか?」木場がなおも食い下がった。

「歴史上の偉人みたいで、ちょっとカッコいいじゃないですか」


「……駄目だ」


 蒲田が凄みを利かせて言った。木場はお菓子を買ってもらえなかった子どものように唇を尖らせた。

 事件現場への道中にしては呑気な会話。どうやら木場は、この強面の刑事を前にしても動じないマイペースな性格のようだ。彼のチャレンジ精神に敬意を表し、我々だけでも蒲田を『ガマ警部』と呼ぶことにしよう。

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