最終話 千之助の世界

 千之助は目を薄く開けた。

 日の出が大いに顔を見せてくると、空気感が白さを増す。

 視界は明るい朝の――……部屋の天井だ。

 寝てたのか――?

 身体を起こして見回すと、確かに自分の部屋だが、違和感だらけで、素直に認めたくなかった。

「まさかの夢オチ――?」

 千之助は小さくつぶやいた。その時、階下から声がした。

「千ちゃま、ご飯の用意ができましたよ」

 元気に呼ぶ声は寿黄すおうだ。

 ――階下?

 自分で納得しておきながら、二階なんてそもそもあったっけ――と腕を組んで頭を傾げた。

 ぐ――と下げた方に髪が大きく傾いた。

「何だ?」

 千之助は頭を手で触ってみた。

 頭頂からゆっくりと手を下ろしていくと、何かに引っ掛かった。

 おでこの上辺り――生え際で上へ反り返っているもの。

 それは角であった。二本ある……。

「起きろ~~千之助!」

 ドアを開けて入ってきたのは春実はるみであった。

 立派な一本角があった――。

「メール見てくれた?」

「メール――?」

 聞きなれないが――いや、理解している。

 パソコンに送受信される電子文書――か。

「今朝はまだ見てない」

「君は一週間に一回しかチェックしないじゃない」

 春実がけらけらと笑った。

 知ってるなら訊くなよ――千之助は額の角を触りながら思った。

 父も長兄も次兄も皆いた。全員に角があった。

 もちろん寿黄や義姉にもあった。

 会話の端端でこの世界が当たり前なんだ、と皆は思っているようだ。

 千之助にも物心ついた時からここで生きている記憶がある。

 それと同時に、元いたひとの世界の記憶もあるのだ。

 受け入れられているからこそ、自然に振舞えているが、平行の記憶など頭が混乱して発狂しかねない。

 皆はこれが普通と思っているのが幸いだ。

 これが世界の再構築か――。

 朝ごはんを済ませると、千之助は外へ出た。

 千年神話で走ったアスファルトの道路だ。

 なるほど、ベースは鬼の国のようである。

 和菓子の久慈間くじま――看板にはそう書いている。

 店は同じだが、洋菓子は逆に扱ってないようだ。

 純粋な和菓子を売っているということで有名らしい。家族総出の和菓子屋で、全員が天才的職人だ――と千之助の記憶にはある。

 いつの間にか次兄や春実も働いているらしい。

 二階が喫茶店で、お茶と和菓子を楽しめる――。

 二人はそこの……若旦那と若女将――ふむ……何があったのか。

 義姉の事業は、大手の配送業へと転換されているようだ。

 皆が成功している中、千之助は高校を卒業したら、道場を再開すると宣言した――ようだ。

「僕は何をしてるんだ?」

 自分のことながら、苦笑してみた。

 しばらく町を歩いていると、独特な洋服を着飾る男女が楽しそうにすれ違っていく。

 ソフトクリームを食べ歩く、女子高生二人が通り過ぎた。

 自転車、バイク、自動車、トラック――目まぐるしく千之助の横を通っていくが、全員に角がある。

 それは間違いなく千之助の日常であった。

 白心はくしん――千之助は閃いた。

 はぐれ天狗がいる山を探した。鬼の国の記憶には月鳴山げつめいさんがないのだ。

 再構築されてなくなったのか――?

 焦りながらも、地形にひとの国の記憶を照らし合わせてゆく。

 国道七号線とぶつかる環状三号線――そこから左側へ。

 川を北上する遊歩道を見つけた。

 集落は集合団地へと変わっていた。

 大きな建物が密集し、視界は非常に狭かった。

 川はきらきらと綺麗だが、整備され、釣りは楽しめそうになかった。

「色々と残念だな」

 呟いて、さらに北上すると、忽然と山が現れた。

 ひとの国の記憶から、それが月鳴山だ。

 右側に民家が立ち並び、左側には工場の塀が続く、歩道から石段が山へ向かっている。

 千之助は石段を上がると、展望台が現れた。

 団地よりも高い位置で、街が見下ろせる。

 小さな遊具とベンチが数客ある。

 憩いの場になっているようで、幼児を連れたお母さんが三組ほどいた。

 千之助はそこで足を止めず、奥の茂みへ入っていった。

 展望台からは暗くて見えず、あると意識できないようになっているのだ。こ

 れこそ結界であった。

 植込みからは整備のされていない山道となり、中腹辺りで開けた場所へ出た。

 木々を背負うように建つログハウスは、白心の住む庵だ。

 勝手知ったる何とやら――入ってすぐの、一番大きな部屋へ向かった。

 見慣れた、鼻が長くて、白い肌の天狗が、縁側に胡坐をかいていた。

 風に吹かれるように、静かに目を瞑っている。

 梢を抜けた淡い日差しが、長い睫毛を転がり、頬の丸みから零れ落ちていた。

 なるほど、よく見れば女性なんだ――今更ながらに千之助は思った。

「よく見なくても女性だよ」

 不機嫌そうに言うと、白心は茶をすすった。

「そういえば、読心術があったんだっけ」

 千之助は笑いながら彼女の隣に座った。

 土の香りは湿り気を帯びて濃さを増していた。

 見上げると、樹冠で切り取られた空が、風で揺れて形を変える。

 距離感を喪失しそうな、薄青い空は見ていて全く飽きなかった。

「そんなことだから、お前だけ二年も遅れて目覚めたのだよ」

 白心はやはり不機嫌そうだ。

 女性と思っていなかったことが原因かと思ったが、違うようだ。

「僕にそんなことがあったのか?」

 ありえなさそうなことさえ、千之助は全く疑問もなく受け入れていた。

 白心は呆れたようだ。

 それから十分後――

 二人は町へ出ていた。酒の買出しだ。

「お前、順応しすぎだ」

「世界が変わったのを目の当たりにしたんだ。ちょっとやそこらでは驚かんよ」

 千之助は通り過ぎる女子の目が気になってしょうがなかった。

 自分にではなく、白心へ向いている。

 ひとの国の時より、世を忍んではいないらしく、はぐれ天狗には結構ファンがいるらしい。

「同性だよ、全員――」

「そう――だよな」

 二人で苦笑しながら酒屋を目指す。

 ここへ来るまでに、ひとの世界の半分が鬼の世界に吸収されたことを知った。

 しかし鬼の世界に来た者は少なかったようだ。

 千年神話においては、覇権争い時に示した対応が大きく左右するのだ。

 つまり、ひととしての心根が試されるのだ。

 千之助とさくらを追っていた町人たちは、みなひとの国へ残らされた。

 土地が狭くなり、ひとが多く残っているということは、かなり人口密度が高くなる。

「そりゃあ、申し訳ないことをしたな」

「自業自得だよ。ひとの国が良かったから起こした行動だ。なら残れて良かったのさ。問題ない」

 古部谷こぶたにも当然、こちらへは来ていない。

 逆に畦林村あぜばやしむらのご老人たちは鬼としての頑強な身体をもらい、逞しく暮らしているらしい。

 ふうん――と千之助は自分の角を触った。

 髪を触る以上に硬く、肌に触れている以上に暖かい。

 身体的に変わったのはそこだけだ。

「世界が再構築され、鬼の国が拡張された。そこに住む人々も次々と目を覚ました」

「記憶も改ざんされてるんだよね」

「無駄な混乱は起きんさ」

 酒屋が見えてきた。

 赤と青でデザインされた、派手な幌の庇テントだ。

「お前が恐らく、最後の覚醒者だ」

「二年かかったって言ってたな」

「微妙に違うな」

 白心は店へ入り、千之助が続く。

 買い物カゴをもつ天狗が妙に所帯じみてて可笑しかった。

「笑うなよ。自分でも変だと思ってるんだから」

 そう言うと、白心は酒とつまみの吟味を開始した。

「違う――というのは何だい?」

 チーズ鱈の袋を持ち中身を確認しながら白心は言った。

「他の人は二年前に生活を始めている。さっきは『次々と』とは言ったが、実際にはそれほど大差はない。一日、二日ってところじゃないか」

「じゃあ、僕は――……」

 千之助が二年遅く目覚めたのではなく、周りと二年の差が出来た――ということだ。

 二年――このキーワードで、何となく理由が分かった気がした。

「恐らくな」

 白心が千之助の心の声に答えた。

「道理で、僕の記憶とは違和感があると思った。皆二年、年齢を取っていたのか」

 春実も妙に大人っぽかった。

 チーズ鱈がカゴの中へ入った。

「僕はチーズ駄目だぞ」

「これは酒のつまみだ。お前は豆でも買っておけ」

 そうか――千之助は思った。

 周りは二年歳を取っているが、千之助はまだ十七歳のままなのだ。

 千之助は素直にナッツの缶詰を探してきた。

 カゴに入れる振りをして、白心の顔を見る。

 二年の歳月は影響を及ぼしていないようだ。相変わらず、口触りの良さそうな鼻があった。

 白心に半目のまま横目で見られた。

 へへへ――と千之助は笑ってごまかした。

 買出しが終わり、店を出た所で、ごついバイクが横付けされた。

 いわゆるチョッパーバイクだ。

 革ジャンにサングラスでキメたシルエットには見覚えがあった。

「久しぶりだな、久慈間千之助くじませんのすけ

「え――と、さくらのお姉さん――?」

 バイクから勢い良く降りてくると、サングラスを外した。

 厚い瞼の下で青い瞳が千之助を見た。

宝条ほうじょうのもみじだ」

 差し出された手を握り返しながらも、千之助は疑問を返した。

「久しぶり?」

「谷でわしにライフルを突きつけられたろ」

「え?」

「覇権争いの記憶が残っている者もいるんだよ」

 白心が補足した。

「当事者は当然覚えている。その外に関係者が数名、千年神話について覚えていられるのだ。――今回はもみじ殿くらいではなかろうか」

 へえ――千之助は感心した。

 自分以外に覚えているひとがいるとは、親近感を抱かずにはいられなかった。

「独眼のかしわと、隻腕のおきく――記憶にあるか?」

「名前に聞き覚えはないけど、何かすごく嫌な予感はする」

「お前が最後に戦った二人だ」

「リリーとスイトピーか……独眼と隻腕――って、僕のせい?」

 もみじが苦笑して答えた。

「傷はたいしたことはない。ただ、眼帯と包帯をしたいだけだろ」

「――あの二人なら、然もありなん」

 白心ともみじが笑った。

「勝者ではないが、功労者ではあるため、世界の構築の際に優遇されたらしい」

 千之助にそんな記憶が追加されつつある。

 広くなった鬼の国は二つの領地に分けられた。

 その領主が、リリーこと『独眼のかしわ』と、スイトピーこと『隻腕のおきく』なのだ。

 まだまだ馴染むまで時間が掛かりそうであった。

「お前、二人から国政に参加するよう言われているだろ」

「言われてみれば――」

 恨まれてはいないようだが、熱すぎる勧誘も迷惑なものだ。

「全くだ」

 白心と千之助は笑った。

 気付くと、もみじがじっと二人を見ている。

「白天狗か――」

 苦虫を咬むようにもみじは言った。

「あれ? 仲悪いの――?」

「千之助、お前には感謝している。もしお前が止めてくれなかったら、わしはこの天狗のようになっていたかもしれんのだからな」

 千之助は白心へ視線を動かした。

 白心は袋を持ったまま、視線を逸らした。

 だが、千之助は少しだけ白心を知った気がした。

 どうしてひとの国にいたのか。

 なぜ千年神話に詳しいのか。

 しかし、千之助はそこで思考を止めた。

 過去はどうあれ、白心は白心。それだけだ――。

 白心が振り向いた。少し鼻の頭が赤い。

 千之助が、にい――と笑った。

 何千年生きようと、恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。

 千之助が先にいなくなるということも考えないようにした。

「お前らのそういう仲がな、わしは気に入らんのだ」

「どうしてさ」

「わしの妹の恋敵になりうるからだ」

 もみじが腕を組んで睨んだ。今度は白心ではなく、千之助を。

「大丈夫。こいつはそんなにいい加減なやつじゃない」

 知っているさ――もみじはつまらなさそうに言うと、バイクへ戻っていった。

 サングラスをかけたところで、千之助は声をかけた。

「もみじさん、さくらは――?」

「元気さ」

「今、どこに?」

 じと――と値踏みするような視線がサングラス越しにも分かる。

「探しな。妹はお前との想い出深い所で待っている」

 それだけを言うと、もみじはエンジン音を響かせながら走り去った。

 その姿が見えなくなっても、排気ガスの臭いが残った。

「想い出深い所――?」

 千之助は頭をめぐらせ、おおよその見当をつけた。

 さて、どういう道順だろ――?

 残っている記憶と改ざんされた記憶が一致せず、地形が理解できずにいた。

「それなら、国道十五号線を北上して、国定公園に隣接している霊園を抜けるんだ。その先に山があるから、そこを登ればいい」

 白心が教えてくれた。

「そうか、ありがとう」

 千之助はおもむろに右へ走り出した。

「国道十五号線はそっちだ」

「そっちか――」

 千之助は白心の指差す方へ向きを替えた。

 確かに道向こうに大通りが見える。

 走りかけて、千之助は足を止めた。

 白心――と呼びかける。

 白い天狗は目だけで千之助を見た。

「またこれからもいっぱい遊ぼうぜ」

 白心は少し照れたように目を伏せ、手で『行け』とジェスチャーした。

 後でまた行くよ――と千之助は大声で言った。

 道を教えてもらいながら、結局千之助は迷った。

 国定公園を見つけられなかったのだ。

 ついでに霊園も分からなかった。

 何度か通り過ぎた石段の上にあった。

 やっと山にたどり着き、登った。

 月鳴山の隣の山で、頂上を越えた所に村が有る。そこが畦林村だ。通り抜ければ月鳴山で、白心の庵に行ける。

 それがひとの国だった時の地形だが、今は畦林村がなく、月鳴山とも地続きではなくなったらしい。

 つまり想い出の場所に行くには、ここから一山を越える必要があるのだ。

 千之助は躊躇いなく山へ踏み込んだ。

 近代的な鬼の国となって、まだ尚、手つかずの山がまだあるというのに驚きつつ、さくらがここにいることに、確信を持った。

 しっかりと根を生やした巨木たちの頭で、ふさふさと葉が揺れている。

 時折薄膜に包まれた木漏れ日が千之助の顔を撫でた。

 一歩一歩踏みしめながら頂上を目指す。

 その先に約束したひとがいる。

 千之助だけが二年、目覚めるのが遅かった理由。

 地形や町並みが変わってもここだけが残った理由。

 これらは一人勝ち残った者のわがままであろう。

 世界改変の際のご褒美ともいえる。

 ある意味、千之助にとってもご褒美なのかもしれない。

 同じ鬼族となり、年齢の差も縮まった。何の障害もない。

 千之助にとって、千年神話とは何だったのだろうか。

 世界を巻き込んだ伴侶探し――?

 バカバカしくも清々しい、大掛かりなイベントであった。

 いいのかねえ――千之助の自問に、メガネの声が聞こえた気がした。

 いいんですよ、楽しかったから――。

 こっちは大変だったんだけどね――千之助は苦笑いで返した。

 頂上へ達した。

 しかもあっさりと。

 前はどこをどう間違って歩いたのだろうか。

 そのまま今度は向こう側へと下る。

 そうするとすぐ目的地だ。

 今も伐採されたままの、他よりも少しだけ空が広い場所――。

 切り株の上に立って、細身の後ろ姿が空を見上げている。

「星は見えるかい?」

「まだ昼じゃぞ――」

 全く動じることなく、空を見たまま、彼女は答えた。

「心に残る星空を見てるのかと思ってね」

 千之助は言いながら近づいていく。

「いつからそんなキザな男になったのじゃ」

 ゆっくりと彼女は振り向いた。

 二年分、大人になったさくらがそこにいた。

 パーツは記憶のままの彼女だが、配置が少女を脱していた。

 あの時は全く無かった色気もあるようだ。

 跳ねた先で角になっている黒髪も、二年前より少し長い。

 ただ背はそれほど成長しなかったようだ。

 切り株に乗っていても千之助と変わらない。

 千之助は切り株のすぐ側まで行った。

「遅かったではないか! いつまで待たせる気じゃ!」

「ええええ、僕のせい?」

 理不尽な怒りを受けて、千之助は思わず言ってしまった。

 その反応にさくらはぷいとまたそっぽを向いてしまった。

 千之助は頭をこりこりと掻いて、さくらの正面の位置まで廻った。

「何か言うことはないか」

 不機嫌を装ってみせているが、久しぶりに会った緊張感を誤摩化しているのだ。

 千之助にはほんの数時間前のことなのだが。

 だからこそ彼女の内面と外面の変化、そして変わらない所が分かる。

「綺麗になったね」

 思ったことがつい口を出てしまった。

 さくらが顔を真っ赤にして口をぱくぱくしている。

 こういう所は変わらない――。

 またさくらがそっぽを向いた。

 しかし千之助は正面にいるため、全力で逸らしても横顔が丸見えだ。

「約束を覚えておるか?」

 目だけが千之助を見た。

 潤みを帯びて瞳は揺れている。

 それは儚げで、心配を重ね、でも嬉しくて。

 それらを混ぜ合わせると艶やかさに変わるのだろうか。

 二年で少女は女性になったようだ。

 覚えているよ――と千之助は頷いた。

「わしからはもう言わんぞ」

「そうだな――。今度は僕からの約束だった」

 千之助はそっとさくらの両肩に触れて言った。

「僕と結婚してくれ、さくら――」

 言葉の余韻の中で、さくらは頷いた。二本の角が優しく上下に揺れる。

 頭上の梢が祝福するかのようにさわさわと唄った。


(了)

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