第12話 千年神話
千之助は呼吸を整えながらスイトピーから離れた。
久しぶりの地面だ。硬い道はやはり慣れないものだ。土を踏みしめながら歩き出す。
土手を登っていく。
ちらっと振り向いたが、スイトピーは仰向けになったまま身動きしない。
登りきった土手上から、鬼の国が視界に入る。
さっき放り出された道路は宙に張り巡らされ、遠くまで町並みが連なっている。
ひとの国では見たことのない色の屋根がひしめき合い、無愛想な四角い建物が連なっているのも見える。
この距離でも空へ聳えているのが分かるのだ。相当な高さがあるということだ。
土手は川に沿って進み、霞むほどに遠くなり、二箇所で道路と交差している。
自動車とひとの行き来が見えている。
その多さは、家屋の多さ以上だ。
スイトピーが言っていた。
ひとのいない所なんかあるか――と。
しかし、ないこともないのも確かだ。
土手を挟んだ川の反対側――こちらも見下ろすように低い位置に有る。川原と同じ高さなのだ。その境界上に土を盛って土手としたようだ。
千之助が立つ位置から降りてすぐの所にそれはあった。
ひとの気配のしない敷地だ。何かの工場跡のようだ。
何を作るための施設かは分からないが、ひとの国の工場よりもこの廃墟の方が最先端に思えた。
無愛想な錬鉄の門を閉ざしていた太い鎖は斬られ、下へ落ちていた。
錆びた音を響かせ、千之助は中へ入った。
「うちの占い通りだな」
赤く錆びれた建物の前にリリーがいた。
千之助は十メートル以上離れた位置で足を止めた。
「ずっと付いて来ただろうが――」
「う――……いや、お前の勝負の結果が、だ」
「僕が勝つと――? そりゃ、どうも」
「次の勝負はうちが勝つと出ているがね」
リリーは笑って見せたが、堅さが残っている。
「方角が良いのか?」
「方角にはこだわるのはもう止めたのだ」
「いい加減だな」
千之助は呆れた。
「勝てば良いのさ!」
リリーがデスサイズを振り回しながら走ってきた。
千之助にとって遠慮なく戦える場所なら、向こうにとっても条件は同じだ。
空気さえ両断しそうな音を立て、距離は縮まっていく。
千之助は二刀を構えた。
凶暴な弧を描く刃を長剣で迎え撃つ。
弾かれた――というより、湾曲した刃に絡め取られたが正しい。
意図せぬ方へ体勢を崩された。
屈んだ顔目掛け、デスサイズが戻ってきた。
千之助は足を踏ん張り、頭をそらした。頬を刃が掠めていった――安心するのも一瞬。柄の方が飛んで来た。
無意識のうちに兜割が前に出ていた。
手に衝撃――兜割が受け止めた。
が、抑えきれず、千之助は殴り飛ばされた。
地面へ落ちて、バウンドしながらも起き上がる。
リリーが追ってきた。
なるほど、デスサイズの持ち手が真ん中辺りなのだ。リーチは短くなるが、刃と柄の両方を攻撃に使える。元々長い大鎌だ。その位置で持っても長剣なみの長さがある。
しかも回してからの攻撃は、勢いに力を乗せているので、体格の貧弱さも補っている。
「ならば――!」
千之助も長剣を回転させた。手首を返し、返し、踊るように身を回す。
きん――そうして放った一撃は空気を震わせ、僅かに千之助が勝った。
リリーの身体が宙に浮いた。
千之助はそこを狙った。
だが、リリーは反った身体を戻す勢いに刃を乗せた。
懐に入ってきた千之助目掛けて刃が振り下ろされた。
受けることも、相討ち覚悟で攻撃を続けることも、千之助には不利だった。
だからそのまま飛び込み、地面を転がった。
背後で地面が突き刺される音が聞こえた。
立ち上がると開け広げな建物へと走り入った。
十メートル以上の高さで天井が吹き抜けている。
足元には線路らしきものが走っている。
荷物の運搬用のレールであろう。
それに沿って反対側へ走った。
奥には重厚な鉄扉が、錆びたままだが、薄開きで放置されている。
建物の中程で、千之助は横へ飛び退いた。
ぶん――千之助がいた辺りを湾曲した刃が通り過ぎた。
三メートルほど滑ってリリーが足を止めた。
腕力は弱いが、脚力は千之助を超えているようだ。
走って逃げながら戦う方法は使えない。
リリーが戻ってきた。
間髪入れない持続力の高い攻撃が彼女の特徴らしい。
千之助は同じ距離を保つように退がっていく。
明り取りは高い位置から底の地面を弱々しく照らしている。
屋内全体を見回せるほどの照度は無いが、必要な情報を得るには充分だ。
階段を上っていく。がんがんがんがんと足元が下品に鳴った。何のためにあるか分からない通路だけの二階へ上がる。
リリーは鉄の棒で組まれた足場を軽々と昇ってきた。
行き先を塞いだつもりだろうが、千之助には別のルートがあった。
すぐ側のドアを押し開けた。
二十メートル離れた隣の建物へ通じる空中連絡通路だ。
ただ、風雨に晒されすぎたのか、朽ち方が凄い。
ドアの向こうにリリーが来ている。
「ええい――!」
千之助は半分自棄になって、崩れそうな通路を走り出した。
ばんっと音を立ててリリーも現れた。
が、同じくこの通路に慄いて立ち止まった。
にやりと笑うリリーに千之助は嫌な予感がした。
それでも止まらずに中程まで来た。
リリーはデスサイズを振り回すと、二度、三度と通路の端――つまり繋ぎ目を叩き始めた。
生きている通路なら無駄な努力だが、これは死に掛けだ。既に半分以上が千切れかけている。
千之助はその意図に気づいた。
通路の下に塀があるのだ。ちょうど中間辺りだ。端を壊す事で塀へ通路を落とすと、奥の通路はまだ繋がったままだから滑り台のようになるだろう。つまり、リリーの方へと滑り落ちるということだ。
走っても対岸の建物には間に合うまい。
なら、どうする――思考は一秒。
思いつきだが、千之助は賭けることにした。
その通路上で印を結んだ。
地の神への第一の印、人間としての第二の印、術発動の印だ。
こんな人工の足場で、地の神様へ通じるかは分からないが、千之助は左足を通路へ突き下ろした。
ぶるるると空中通路が小刻みに震えた。
通路の端を破壊するのに一生懸命だったリリーが、やっと異変に気付いた。
その時には既に遅かった。
空中通路を建物へ繋いでいた箇所が崩壊した。それも両端が外れただけではなく、脆くなった手すりも崩れ落ちるように飛び散った。
ごおんっと音を立て、ほぼ板状になった元通路が塀の上に落ちた。
千之助は塀上でバランスを保つ。
これでは滑り台ではなくシーソーだ。
千之助は奥側へ体重をかけた。リリーのいる端が上げる。
ほんの一瞬――
リリーは千之助の行動に気を取られた。
下から上がってきた通路の端に気付けなかった。
建物からはみ出すように立っていたリリーを通路が掬い上げた。
錆びた鉄橋に倒れこんだ細身の身体が、急角度に滑ってきた。
奇しくもリリーがしようとしたことを、千之助が奪い取った形になった。
千之助は兜割を腰に戻し、長剣を両手で構えた。
リリーも立ち上がり、デスサイズを構えた。
止まろうとする気配も無く、滑り降りてくる。
勝負を決める気だ。
リリーは千之助の射程外からデスサイズを振り下ろした。
鎌刃が真っ直ぐ千之助の頭へ落ちてくる。
千之助は長剣を振り上げる。狙うは落ちてくる刃そのものだ。
白刃が交差する。
涼やかに高らかな音を響かせ、互いの刃が折れた。
折れ飛んだ曲刃は千之助の肩を掠め、真っ直ぐな刃はくすみのある青空を舞っていった。
耐える力を喪失したリリーが倒れ込んで来た。
千之助はリリーの足を跳ね上げた。
リリーはそのまま鉄板だけの通路から落ちていった。
千之助は役目を終えた長剣を投げ捨て、今度は兜割を引き抜いた。
背中から落ちたリリーへ向かって跳び上がった。
さすが代表者というべきか。
痛みを堪えた表情を浮かべながらも、リリーは立ち上がっていた。
今度は彼女が千之助の攻撃を耐える番だ。
刃を失ったデスサイズの柄を両手で持って掲げた。
千之助は構わず兜割を振り下ろした。
がきん――と鉄の柄は真っ二つに折れた。
力を込めた兜割は、柄のみならず、リリーの右目を掠めた。
彼女は二分された柄を放り投げて顔を抑えた。
声にならない悲鳴を上げながら、地面へ倒れ込んだ。
千之助は兜割をその首筋に突きつけた。
「うちは絶対に負けは認めんぞ!」
顔半分を血で染めながらリリーは強がった。
本心のようだ。
「僕は君の命を奪うような戦いはしたくない」
「そんな姿勢で世界が変えられるか!」
「僕はそんなこと、望んでいない――」
千之助は本音を言った。
リリーが口を閉ざした。開いている目が空を見ている。
千之助も空を見上げた。
リリーが敗北したことが空に掲示された。
それから三十分をかけて、千之助は神社へ戻った。
満身創痍――というほどではないが、かなりの疲労感がある。
階段下でさくらが待っていた。
顔を青くして、さくらが駆けてきた。
「大丈夫なのか、千之助?」
これから戦う相手を気遣うさくらに、千之助は苦笑しつつも頷いた。
「でもケガしとるではないか、勝負にはならんぞ。日を改めよう」
「問題ない――」
「ないわけあるまい!」
心配から怒ってくれることを好ましく思いながら、千之助はさくらと共に長い階段を上がった。
二人は無言で、ゆっくりと石段を一歩ずつ歩いた。
どんなに時間を掛けても、先延ばしにしていた問題には直面するものだ。
境内にたどり着いてしまった。
まだかなりのひとが残っていた。
メガネは事務的な姿勢で、社の扉前に立っている。
千之助とさくらは肩が触れ合う位置で並び、メガネの三メートルほど手前で止まった。
彼はゆっくりと頷いた。
「これより千年神話、最終戦を執り行う!」
「な――おぬし、見てわからんのか?! 千之助は万全ではないんだぞ!」
さくらはメガネを倒しそうな勢いで言った。
千之助はそんな彼女の肩を抑えた。
片手に収まるほど細い骨が振りほどこうと暴れた。
「何を考えておるのじゃ! わしは認めんぞ、こんなの!」
静まり返った境内に、さくらの声だけが響く。
薄暗く澄んだ空気が優しく震えている。
千之助はそっとさくらの後ろに廻った。
軽く抱きしめる。
ひゃ――さくらは変な声を上げると、静かになった。
左肩の傷が、熱から痛みに変わりつつあるが、それ以上にこの姿勢は心地良かった。
顎の下にあるさくらの髪がこそばゆく、だが良い匂いがした。
「大丈夫だ。僕を信じて――」
いつまでもこうしていたいという気持ちを抑えて、さくらから離れた。
社の前、向かって右へ立つ。
納得いっていない態度を前面に出しながらも、少女の顔は耳までも赤くなっていた。
社の左側へ向かい、千之助を正面になるように足を止めた。
手には既に短剣を持っている。メガネが渡したものらしい。
白くなるほど短剣を持つ手は、絶対に抜くもんかという気構えが見えた。
しかも目は紅みを帯びて爛々としている。
これは恐らく、何も言わない千之助への怒りかもしれない。
後が恐いな――千之助は他人事のように思った。
メガネが手を挙げ、
「最終戦、開始!」
凛と言い放った。
千之助は兜割を引き抜いた。
――が、さくらは首を横に振り、短剣を抜かない。
「いやじゃと言っておるだろうが――」
千之助は前へ歩き出した。
さくらは気付いたが、動こうとしない。
「――わしにおぬしを殺させて、勝たせることで生き残らせようという気か……?」
さくらは手を投げ出すように下ろした。
「そんな方法、わしは認めんからな」
千之助は社の正面を過ぎた。
横目にメガネがいる。
今や周囲を埋め尽くすギャラリーと同じ立場で、息を呑んで千之助たちの動向を見守っているようだ。
「もし、おぬしが死んだら、わしはおぬしの後を追うからな!」
本気だ――千之助はさくらの噛み付くような言い方にそう感じた。
千之助の歩みは止まらない。
さくらが良く見える位置まで来ていた。
木漏れ日が境内を柔らかく照らす。
さくらが小刻みに震えている。
大きな目の下で堪えきれなくなった小さな雫が頬を伝う。
木々の隙間を抜けて純化された光は、涙の中に内包され、一緒に地面へと落ちていった。
「頼むから、おぬしを殺すくらいなら……いっそのことわしを殺してくれ――」
千之助が目の前で止まる前に、耐えきれなくてか、さくらがしゃがみこんでしまった。
「わしに千之助が殺せるはずがなかろう!」
さくらの絶叫が境内に響き渡った。
その余韻が消え去る前に、さくらは大地へ向かって大声で泣き出してしまった。
千之助がやっと足を止めた。
幼子のように泣き叫ぶさくらを見下ろした。
泣かせたのは、この世界のシステムではない。
この僕だ――千之助の胸がずきずきと痛んだ。
千之助はそっとさくらの横へ片膝を付いた。
「さくら、僕は君にそんなことをさせたりしないよ」
本当か――と、鼻の頭を赤くした顔をさくらは上げた。
「さくらだけを残したり、さくらがいなくなったりなんて、僕だって望まない」
「じゃあ――どうする気なのじゃ?」
「やれるだけはやった――後は天任せだ」
「は――?」
さくらが泣くのを忘れて鼻白んだ。
そんな鬼の娘が可笑しくて、そして愛おしくて、千之助はじっと見つめた。
思えばいつからこんなに惹かれてしまったのだろうか――。
ほんの少し一緒にいただけなのに。ましてや種族も違うのだ。
しかも十三歳――。
心で千之助は落ち込んだ。
未だにぶつかる壁であった。
さくらは千之助に見つめられることは恥ずかしいが、止めたりはしないようだ。
逆に見つめ返す瞳に吸い込まれそうになる。
全ての障害が、障害となり得ないほどに、千之助の中で、さくらは大部分を占めているのだ。
助けた理由――確か、まださくらには言っていなかったが――今なら分かる気がする。
ずっとごまかしてきたのだ。認めたくなかった――とも言い換えられる。
きっと、これは、『一目惚れ』ということなのだ。
なるほど――
「そういう意味では、境ヶ原で君を助けた時点で、僕は負けていたのかもしれない」
「え――?」
涙で濡れた頬を手で拭いてやると、千之助は立ち上がった。
「世界よ、聞け!」
境内に、千之助の声が凛と響く。
「僕はこの鬼の子に負けた!」
さくらが足元で千之助の名前を呼んだ。
しかし千之助は止まらない。
千之助は高らかに言った。
「この勝負、
声は響かず、しかし余韻を残した。
しん――とした静寂が辺りを包んだ。
息を潜めた静けさではなく、全てが静止したような息苦しさだ。
なぜか、千之助は通じたと感じた。
木々の隙間から見える空に、さくらが勝者だと強く宣言されていた。
「なんと――」
「よし!」
さくらと千之助が同時に言った。
二呼吸の後、地が脈動を始め、空がうねりだした。
ギャラリーが慌て始めている。
「何でわしの負けは受け入れられず、千之助の負けは通ったのじゃ?」
メガネが近づいてきた。
「それはさくら殿が千之助殿から全く攻撃されていないからです」
「やっぱりね――」
千之助はそれに賭けたのだ。
メガネには角がなくなっていた。
ひとの国で会ったのと同じ人のようだが、人格は別のようだ。こうなると多重人格者というより、自も他もない存在なのかもしれない。
千之助は境ヶ原で、さくらを助けようとした際に、短刀で腕を切られている。
それを攻撃とすれば、敗北宣言は通るのだ。
「分かっておったのなら、あの二人と戦う前に言えば良かったじゃろ」
「恐らく、それでも受理はされます。しかし意味は違ってきます」
さくらが千之助に解説を目だけで要求してきた。
「あの二人と戦わず敗北宣言をしたら、戦闘放棄にしかならないんだよ」
「千之助殿が勝った事で、あなたが本当の勝利者になるんです」
「そんなことのために、おぬしは傷付いてまで戦ったのか――」
千之助は、座り込んだままの、さくらの目線まで腰を下ろした。
「僕には大事なことだったんだよ」
さくらはゆっくりと傍に寄って、千之助の肩へ額をつけた。
バカ――小さく、だが嬉しそうな声でさくらが言った。
「それでは私は行きますね」
千之助は座ったままで頭を下げた。
「世話になった」
「いえいえ、あなたたちのおかげで今までにない千年神話を堪能できました」
「そりゃ、よかった」
千之助は苦笑した。
「また千年後にお会いしましょう」
声だけがして、メガネの姿はどこにもなくなっていた。
「勘弁してくれ……」
気付くと、あれほどいたギャラリーもいなくなっていた。
景色も認識できない状態だ。
神社のようで、絵のようで、ただの白い世界のようで、気にするとなくなり、無意識にはあるように感じた。
再構築が始まったらしい。
「さて、どうなるやら――」
横にいるさくらだけが、まだはっきりしている。
「なあ、千之助――」
「ん?」
「大きくなったら、わしを嫁にしてくれぬか?」
思いもよらない言葉に千之助は笑ってしまった。
まさか、さくらから言われるとは思わなかった。
さくらがむくれた。
千之助はさくらの頭を撫でた。
頬を膨らませながらも、撫でられている。
「僕と二歳差になったら考えてやるよ」
「意地悪だな、おぬし――」
そろそろ視界が薄れてきているようだ。
さくらの輪郭もぼやけているが、怒ってはなさそうだ。
それどころか不敵な笑みも見える。
「良い女になって、おぬしの方から求婚させてやるぞ」
「その時にはお願いする」
「さあて、どうかな~~」
意地悪はお互い様だな――千之助は思った。
もう白い光には二人の影しか残っていなかった。
手と手を握り合う。
「また――会おうぞ」
「ああ――後でな」
白い閃光へ、千之助の意識は消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます