第48話 握れ種族の壁を超えて!寿司職人ツマゴ!5

 語り終えた寿司職人ツマゴは、ぐるりと周囲を見渡した。

 血の泡を吐くトワ。それを支えるツッコ。そして、バカップル。


「あんっコイチロー♡ そんなトコ、ダメだよぉっ♡」


 桃色オーラがあふれる。

 ツマゴは眉尻を下げて嘆息した。


「あまりお話が上手でない自覚はありますが、しゃべっているのを無視されるのは、気分のいいものではありませんねぇ」


「ああ、ごめんねツマゴさん」


 アイリの体からくちびるを話して、コイチローは不敵に返してみせた。


「イチャイチャするのに忙しくて、一秒だって無駄な話を聞いてる時間がなかったんだよ。

 あなたと違って、重たいフリをするだけで簡単に捨ててしまえるような関係じゃないものだからさ」


 ツマゴは柔和な顔立ちのまま、眉間を深く寄せた。


「それは気遣い不足でしたねぇ。

 おわびにもっと二人が密着できるよう、『握っ』てあげましょう」


 両手を上げたツマゴに、剣が振り抜かれた。純白騎士トワ。

 空間を『握っ』てゆがませることで回避しながら、ツマゴはいぶかしんだ。


「肺を潰したはずですが、妙に元気ですねぇ」


「バカップルのおかげ……」


 トワの体に、バカップルの桃色オーラがまとわりついていた。

 高まる愛のエネルギーにトワの細胞が生命の神秘を刺激されて活性化し、またたく間に新陳代謝して肺が再生したのだ。


 コイチローが補足。


「ツッコ、トワさんをフォローしてあげてね。副作用があるから」


「は?」


 突如、トワはツッコにしなだれかかり、白い肌を赤らめてうるんだ瞳を向けた。


「ツッコ……キスして……」


「おいトワ!? ちょっコイチローこれ何やった!?」


 コイチローとアイリはサムズアップした。


「僕らの愛が感染して、高まる恋心を抑えられなくなったのさ。気が済むまで愛の言葉でもささやくといいよ」


「ツッコくん、ガンバっ☆」


「ふざけんなバカップルーー!?」


 トワはハートマークをぽわぽわ浮かべてツッコに迫り、ツッコは必死でなだめすかした。

 ツマゴはまた嘆息した。


「どうにも真面目にやってくれなくて、困りますねぇ」


「そうだね。僕も同意見だよ」


 コイチローはツマゴに対し、いどむような顔で笑ってみせた。


「妻を捨ててまで極めたというその『握り』の技術を、戦って敵を破壊するために使うなんて、真面目じゃないとしか思えない」


 柔和なままの視線を向けたツマゴとの間に、火花が散るような錯覚がした。

 コイチローは不敵に笑い、挑発した。


「寿司を握ってみなよ。さっきあり合わせで作った芽ネギのひとつで終わりじゃなく、きみの技術を全力でぶつけた最高の寿司を。

 それで僕たちを屈服させて初めて、自由恋愛の否定ときみの選択の肯定になるんじゃないのか? 『寿司職人』ツマゴさん」


 ツマゴはしばし、沈黙した。

 夜の闇に、音が吸い込まれたような錯覚。

 やがて、ツマゴは口を開いた。


「そうですねぇ。あなたの提案に乗るのはシャクではありますが、一理あります」


 そして、両手を構える。


「『握り』ましょう。最高の寿司を」


 空間を『握る』。黒光りする最高級のマグロが引き寄せられる。作業台も。


「やさしくさばいて欲しいマグロ……♡」


 ツマゴは包丁を入れる。解体する。

 星々に照らされててらてらと輝く赤身が現れる。

 捌く。よどみない動き。

 切り出した部位は、トロ。大トロ。白いあぶらが星雲のようにかすみがかって、切り身のシルエットが溶け出してにじむような錯覚すら与える。


 ツマゴは『握る』。

 酢飯と大トロを、重ね合わせる。

 体温が伝わりすぎない素早さ。持ってほぐれず口の中でほぐれる適切な酢飯の固さ。

 一連の動作は、流れるよう。


「……お待ちどうさまです。大トロです」


 最高級の握り寿司が、バカップルの前に提供された。


 ツッコは目を見開き、戦慄した。


「やべえ……! コイチローだめだ、それは食っちゃ、ダメなヤツだ!

 そんなん食ったら、間違いなく、屈服する……!」


 言う間にもツッコの口からは、滝のようなよだれがこぼれ落ちた。

 トワも感じた。その寿司が持つ魔性を。後光すら発するような神性を。

 それは魔力ではない。うまさ。ただうまいというその絶対的な存在質量が、視覚を通しただけで精神を屈服させ人生を投げ出すに値する価値が存在すると、脳に刻みつけてくる。

 見ただけでこれなら、食べて、味わって、抵抗できるものなど――!


 コイチローは、そしてアイリは、その寿司を見た。


「きれいなお寿司――」


 アイリが、口を開いた。


 コイチローは、アイリの手を握り、彼女がしゃべるままにした。

 アイリの目には、理知の光が宿っていた。


「卓越した握りの技術。こんなにも完璧に握れる職人はそうはいない。

 文句なしの最高級だよ。まるでこの一貫の中に、握り手の人生がすべて濃縮されるような――」


 そしてアイリは、その視線を、ツマゴに向けた。


「だからこのお寿司なら、あなたがここにいるってこと、知らせられる」


 コイチローが、アイリに口づけをした。


 二人の愛が高まり、桃色のオーラをさんさんと輝かせた。

 オーラのきらめきがトロの脂に反射し、プリズムのように七色の光条となって長く長く伸びた。

 長く。本当に長く。大陸じゅうに届くほどに。


 ツマゴはいぶかしんだ。

 大トロが反射する輝き、その中には封じられた握り手の人生が刻まれていた。三次元コードのごとく、輝きの乱反射の中に情報が含有されていた。

 それは導く。ツマゴ・ロッシという人間の情報が記録された大トロ光沢は、彼を必要とし彼に必要とされる真の存在を呼び寄せる。


「あなた」


 かけられた声に、ツマゴは顔を向け、驚きの表情を作った。


「ダイコ……!?」


――――――


・ラブバカ豆知識


クウシンサイ(空芯菜)はヨウサイとも呼ばれ、中国や東南アジアで主に食される。

茎の中心が空洞であることからその名で呼ばれ、料理としては炒め物に使われることが多い。

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