第36話 望めぬ夢・虎一郎と藍莉
病室の窓からは、しとしとと降る灰色の雨の空が見える。
室内を照らす蛍光灯の光が、どこか白々しくて嘘くさい色合いに感じるのは被害妄想だろうか。
そんなことを、アイリはコイチローに言ったら。
「はっはっは、そう感じるのも仕方ないことだよアイリ。
だって僕たちの愛は太陽よりも輝いてるから、作りものの冷めた光しか発せない蛍光灯は嫉妬しちゃって嘘くさくなっちゃうのも当然だろう?」
「コイチローっ♡♡♡ そうだよねっわたしたちの愛は世界で一番超新星爆発!
どんなものより輝いてる唯一無二のトゥルーラブサンシャインだもんねっ♡♡♡」
ひしっ。コイチローとアイリは抱き合う。
自分のベッドに腰かけるコイチローと、制服姿のアイリ。
四人部屋の同室者たちが、わざとらしく咳払いしたり新聞をガサガサ鳴らす。
蛍光灯はバカップルの姿を照らし続ける。
どこか白々しく、嘘くさく。
しばらくそうして抱き合ってから、アイリはするりと離れた。
「……もう、検査に行かなきゃ。なんの異常もないけど」
へんにょりとしたアホ面はもうそこにはなく、ただ冷ややかで物悲しげな微笑みだけ。
「わたしがデザイナーベビーだから。今までに例のないような作られ方をしているから、いつどんな異常が起こるかも分からないんだって」
茶化すように、軽い口調で、アイリは言う。
同室の三名は居心地悪そうに、咳払いしたり新聞をガサガサしたりした。
コイチローは、そんなアイリの顔を見上げた。
それから視線をゆるゆると落として、自分の両足を見て、手でさすった。
「この足はじきに、動くようになる。医者からもそう言われてる。
事実、リハビリを続けて、少しずつ動けている実感があるんだ」
顔を上げて、コイチローはアイリに笑いかけた。
「陽の当たる場所も当たらない場所も、暑い時期も寒い時期も、きみにこれからどんなことが起こったとしても、アイリ、僕はずっときみの隣で歩み続けるよ」
「コイチローっ♡♡♡」
アイリはアホ面に戻って、コイチローを抱きしめた。
コイチローはアイリの頭をなでながら、ふっと表情にかげりを見せた。
「けれどアイリ。どんなにきみを愛しても、僕には与えられない幸せがある」
アイリは体を離して、コイチローの顔を見た。
コイチローは少しだけ顔を切なげにゆがめて、ゆるやかに告げた。
「僕にはもう、子供を作る能力はない。
そういう行為もできないし、人工的な手段でもできない」
アイリの表情は穏やかで、そしてガラスのように無機質だった。
その表情のまま、アイリは口を開いた。
「わたしが自分の遺伝子を残したいって、考えてると思う?」
コイチローはアイリの手を取って、痛みをこらえるように見上げた。
「小児病棟で子供たちと遊ぶきみは、とても輝いていた」
アイリは表情を、泣きそうにゆがませた。
手を取り合ったまま、顔をコイチローに近づけて、ひたいをこつりと触れ合わせた。
「コイチローだって、そうじゃんか」
ひたいを、こすりつける。
「子供たちと遊んで、工作して、車椅子に一緒に座らせたりして……
あのときの笑顔が、コイチロー、一番輝いてたよ」
二人で、抱き合う。
温め合うように。
傷口を押さえるように。
「わたしは、コイチロー。バカでいればいいよ。何も考えなくていいよ。
バカップルでいれば、ただ二人っきりの世界でいれば、それでいいよ」
身をすり寄せて、アイリは笑いかけるように、言う。
「この人生が物語なら、コイチローが英雄で、わたしがヒロイン。登場人物はそれだけ。
英雄の愛が、ヒロインの胸をいっぱいにして、それで世界は救われました。
ただそれだけの、物語でいいよ」
コイチローとアイリは、バカップルは、抱き合う。
蛍光灯はバカップルの姿を照らし続ける。
どこか白々しく、嘘くさく。
同室者は居心地悪そうに、ただ息を潜めた。
――――――
・ラブバカ豆知識
アイリにとっての世界とは、どのくらいの広さがあるのだろう。
かつての日々、救世主となった今、違いはあるのだろうか。
彼女にとっての世界は、はたして最初から、狭かったのだろうか。
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