第33話

 ぐらん、ぐらんと船が揺れた。

 あちこちで悲鳴が聞こえた。

 乗務員が客を甲板に誘導する。

 ホールにいた俺たちはすぐに甲板に出られた。

 甲板に行くとボートの準備がされていた。

 ボートで脱出とかマジかよ。

 東京湾だぞ。

 その瞬間、恐ろしい事に気づいた。

 目線が下がっていく。

 あ、ああああああああ!

 沈没してる!!!

 ぐらんと船が揺れた。

 これだけ大きい船なのに!

 隔壁とかでそうならないようにしてるって聞いたことが……。


「きゃあああああああああああッ!」


 紫苑の悲鳴が響いた。

 船が大きく傾いた。

 俺も紫苑も清水もその場で転倒した。

 それだけならまだいい。

 乗客たちが見えた。

 次々と船から落ちていく。

 ほぼ垂直にように見えた。


「待て待て待て待て!」


 俺はゴキブリのようにジタバタする。

 紫苑も清水も。

 だけど数秒も保たなかった。

 甲板を滑って外に投げ出される。

 その瞬間、俺の髪が勝手にほどけた。

 ピンクの髪が光る。


「あん?」


 容赦なく水に突っ込んだ。

 幸いにも骨は折れてない。

 皮膚も切れてない。

 水の中では何人もがもがいていた。

 だが俺は冷静だった。

 だって、呼吸できたもの。

 髪だろうか?

 とにかく息は苦しくなかった。

 それどころか最高に調子がよかった。

 その瞬間、俺は自分のやるべきことを自覚した。

 俺は泳ぐ、なんということだろう。

 ただ足を揺らしているだけなのに猛烈な推進力で進んでいく。

 水族館のイルカよりも速かった。

 水の中だというのに視界ははっきり。

 小さな光でも感じられるようになった。

 水中の中で紫苑と清水を見つけた。

 俺は泳いで二人の手をつかむ。

 すぐに上まで引っ張り上げる。

 ひっくり返ったボートがあった。

 俺は二人の手を離しボートに突撃する。

 勢いをつけて頭突きした。

 衝撃でボートが元に戻る。

 俺は二人の手を取りボートに乗せる。


「げほっ! げほっ!」


 紫苑が咳をした。


「死ぬかと思った……」


 清水も意識があった。


「けんちゃん……その髪」


「蘭童くんきれい……」


「宇宙人説が否定できなくなってきたな……ま、いいや、二人ともちょっと待ってて」


「けんちゃん何するの?」


「助けてくる」


 大いなる力を持つ物は~なんて言わない。

 でも助ける力がある。

 俺と紫苑のイベントを台無しにしてられないだろ。

 ファンを大事にってやつだ。

 俺は海に飛び込んだ。

 まずはボートの位置を把握。

 沈んだ人を運んでいく。


「おねえちゃんありがと」


 助けた子どもに言われたけど、残念ながらお兄ちゃんなんだ……。

 契約あるから言えないけど。

 外の人を救助したら、今度は水中から船の内部へ突入。

 半分沈んでるから侵入は容易だった。

 つうか!

 リンにモカ!

 そして真田まで!!!

 お前らみんな逃げ遅れてやがった!!!


「ラーナちゃん!」


「戻ってきたぜ!!! ほら行くぞ!」


 マネちゃんの手を引っ張る。


「行くぞって? いや待って、その前にその髪どうしたの」


「髪のことはわからん。なんか光った。避難するから息止めて! ほら、もう一人!」


 真田の手を引っ張る。

 なぜか真田の顔が真っ赤になる。


「あ、あの! て、手を……」


「いいから息止めて!」


 ざぶん。

 二人には水の中は何も見えない闇だろう。

 だけど俺の目には鮮明になにもかも見えた。

 二人とも息を止めている。

 俺は自動車くらいの速度で進む。

 ボートの近くに出た。


「なななななな! なぜに!? 今のスピードは!?」


「わからねえっす!」


 マネちゃん困惑。

 でも答えられない。

 自分のことでもわからんものはわからん。

 宇宙人?

 そんなものいるわけねえだろ!!!

 俺は信じねえぞ!!!

 真田も固まってる。


「ななななな、蘭童!?」


 あ、そっち。


「あー……。謎のアイドル、ラーナの正体は俺でしたー!!!」


「あうあうあうあうあうあうあうあ……」


 あ、壊れた。

 よし、そのまま逃げてしまおう。


「ではさらばだー!!!」


 ざぶん。

 俺は次々と人を助けていく。

 冷静に考えたら、水の中で呼吸ができる変態体質がバレてしまうかも?

 男なのもセットでバレたらヤバそうな気が……。

 むしろリスナーどもが喜びそうな気がする。

 気にしたら負けだ。

 うん、やめよう。

 おそらく乗客の大半を逃がすと救助がやって来るのが見えた。

 乗客に交じって被害者ヅラすればいいや。

 なあに人魚みたいな生き物の話だって極限状況下での妄想で片付く。

 ……たぶん。



「客船の衝突事故の続報です。乗客たちを救助したのは新人アイドルのラーナさん。オリンピック選手顔負けのスピードの秘密とは?」


 まるっと宇宙人や変態部分がカットされてやんの。

 怖ッ!!!

 マスコミ怖ッ!!!

 俺は乗客の救助をした泳ぎの得意なアイドルで決着した。

 もういいやそれで。

 あれから水中の中で髪が光るようになった。

 呼吸もできる。

 事務所が貸し切りにしてくれたプールでスピード計ったら、軽く泳いだだけなのに世界新記録が出た。

 だいたいイルカの全速力と同じくらいだって!!!

 さすがに人間と言い張る気力もなくなってきた。

 でも人間と交配できるんだから近縁種だろ?

 生物学的に。

 たぶん。

 で、アイドルの活動は継続中。

 だけど事件のおかげで有名になりすぎて少し退いた。

 真田の親の会社が全面バックアップしてくれた。

 なぜか最近、真田がやけに俺の事を見つめる。

 話かけようとすると逃げる。

 意味がわからん。

 清水は絶賛ストーカー中。

 親が泣くぞ。

 で、ついでにマネージャーの研修も続けている。

 ……で、紫苑は。


「けんちゃん帰ろ!」


 わざわざうちの学校まで来る。

 あれから俺たちは、なんとなくつきあい始めた。

 お互い死にかけたせいで素直になったということだろう。

 意地張ってたわけじゃなくて、お互い間合いとタイミングを計っていただけなんだけど。

 とはいえ健全な交際すぎて思ったのとは違う。

 むしろ今までとあまり変わらない。

 リスナーたちは相変わらす俺の罵倒を聞きに来る。

 いいのかそれで?

 お前ら本当にいいのかそれで!?

 今日もライブ配信をする。


「お前ら死ねえええええええええッ!」


 いいのか!?

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港区お嬢さま系Vチューバー(埼玉生まれ埼玉育ちの幼馴染み)が俺に泣きついてきたんだが 藤原ゴンザレス @hujigon

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