第43話
ライク・ア・トルネード 二
秋風が肌寒く感じ始めた十一月初旬の土曜日の夜ことだった。
いつものように私の部屋に律子が泊まりに来ていて、二人でテレビを観ていた。
律子はクッキーを食べながら紅茶を飲んでいた。
私はビールを飲み、ときどきテレビ画面に目をやりながら本を読んでいた。
静かな夜と穏やかなふたりだった。
九時からの歌番組で女性司会者が「カムバックされたカノン!」と甲高い声で言っているのが耳に入った。
テレビ画面を見るとカノンがホットピンクの鮮やかな色のドレスを着てマイクを持っていた。
「カムバックの曲は『ライク・ア・トルネード』です!」
司会者が叫ぶように紹介した。
私は食い入るように画面を見た。そしてそのとき、私の記憶がよみがえった。
大学を卒業してファイナンス会社に就職してまだ駆け出しのころ、カノンという少女のアイドル歌手がいたのを思い出したのだ。
大ヒットこそなかったが、何年かはテレビやラジオに出演し、紅白歌合戦にも一度だけ出たはずだ。
あのカノンだったのだ。
「どうしたの?」
律子が不思議そうな顔で私を見た。
「いや、このカノンという歌手、ずいぶん久しぶりにカムバックしたんだね」
「そうなの、私は知らないけど、すごく綺麗な人ね」
そうなんだ。本当に綺麗なカノン。ほんのわずかな期間だったけど、濃密な関係だったんだ。
東京タワーや六本木ヒルズを彼女と歩いた。
夫の仕打ちに苦悩し、涙を流す彼女を優しく抱きしめて朝まで眠った。
夫から逃れてきた彼女を守り、正式に離婚にこぎつけた。
軽トラックを走らせて、夫と暮らした家から最後にわずかばかりの荷物を運び出した。
そして・・・カノンは秘密の部分を私に打ち明けた。
私はその秘密を決して誰にも話さない。
井上氏が最後に伝えて欲しいと言った「昔のようにもう一度輝いて欲しい」という言葉の意味が分かった。
そして今、カノンは再び輝こうとしていた。
律子、俺は君と離れて暮らしている間、いろいろと大変だったんだ。
君には決して言えない事情で俺は奔走していたんだ。
俺の考えひとつで、もしかしたらカノンと東京で暮らしていたかも知れない。
律子に大きな心の傷を与えていたかも知れない。
でも大阪に戻って来て、きっとそれでよかったんだ。
私はあどけない表情で紅茶を啜りながらテレビを観ている律子を見てそう思った。
カムバック曲が「ライク・ア・トルネード」か。
カノン、君らしく素晴らしいタイトルだよ。本当に君は竜巻のようだった。
雨の降らない梅雨に文句ばかり言いながら、竜巻のように私の目の前に現れて、そして行ってしまった。
君はもうこの先、心の痛みなんかとは無縁の生き方をしないといけない。幸せに向かって脇目も振らずに突き進むべきだ。
再び輝いたカノン、どうかいつまでもずっと輝いて欲しい。
私は遠くから見守り続ける。
でも君がもしまた何かの困難に遭遇したときは、いつでも君のために駆けつける用意がある。
そして再び君の救世主となるつもりだ。
私はこころの中で呟いた。
カノンが歌い終わり、司会者やゲストたちが賞賛の拍手を送っていた。
私はカノンが微笑んでいるのを確認してから、律子の許可を得ずにゆっくりとテレビのスイッチを切った。
‐ 了 ‐
歌音(カノン) 藤井弘司 @pero1107
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