恋を招く石 11



「失礼します」


筆頭侍女によって大きな扉が開かれ、李妃様の部屋が見える。

軽く見渡すと、雪英(シュウイン)の実家の商品もいくつか見つけることができた。


「お久しぶりですね」

「はい。李妃様も、御子も、お元気そうで安心いたしました」


李妃が座る椅子の横には、まだ揺り籠が置いてある。

今回は赤子が起きていて、共に部屋に入った筆頭侍女が抱いてあやしていた。


「貴方のお陰だわ。この子の食事は貴方の家から直接買っているの」

「そうでしたか…。お役に立てたようで何よりです」


「それで、何の用?」

「彼女は『桃を食べに来た』そうですよ」

「美朱(ミンシュウ)さん……」

「そういえば貴方、変な格好をしているわね」


筆頭侍女は、名を美朱と言った。

しかし美朱の発言の中で、李妃は『彼女』という方に引っかかったらしく、マイペースに話を進める。


「これは、今日限定です…」

「あらそう。似合ってるのに」


(…「変な格好」って言ったくせに)


「失礼しました、今日は『彼』ですね」

「いえ」

「李妃様、彼は雨辰(ユーシン)と言うそうです」

「ふふ、雨辰ね」

「はい」


「で、貴方はどうしてあの二人に桃を食べさせに来たのですか?」

「ええと…」

「まさか、『門で騒いだ宦官から逃げるため』では無いでしょう?」

「……李妃様。違いますから、圧をかけるのやめてください」



「ふふふ、では説明して」

「女官の方に関しては、『蝶の石』の被害者です」

「あらそう、悪いことをしたわね」


「そうですよ。李妃様があんな噂流さなかったら……」

「私、桃が好きなのよ」


「それに、噂の効果を痛いほど知っていますし」

「……その通りでございます」

「まさか、あんなに皆下を向くようになるとは思ってなかったわ」


李妃は微笑んだ。

その微笑みで許されてしまうのだから、全く不平等な世界である。




恋を招く『蝶の石』は李妃が流した噂である。

理由はもちろん、畑を耕させるためではなく、ただ皆に下を向かせるためだった。


紅梅宮の横に生えている桃の木は、長年、後宮内で共有されたお宝の在り処だった。

特に後宮が現皇帝のものになってからは、紅梅宮に后妃は入らなかったため、毎年のように女官や宦官が桃を取っていった。


そんな中、紅梅宮に李妃が入ることになった。彼女はすぐに宮の横にある木を見つけ、またその木になる桃の競争率も知った。

どうにか桃をたくさん食べられないものか。

そう考えた李妃は、視線を下に向けるための『噂』を思いついたのである。


『蝶の石』は李妃の想像以上に影響力を持ち、人々が下を向いている間に紅梅宮の女官たちが次々に桃を収穫していった。



「……冗談のようですね」

「ははは。私よりも長く後宮にいて、何を今更」




「この後宮の方が、よっぽど冗談だわ」



その一瞬の殺気に、雪英は身震いした。

(怖……)



———————————————



「それで?」

「え」

「それが貴方がお招きした女官と、どう関係するの?」


雪英は、「医務局」ということは一旦伏せ、雲花(ワンファ)の身に降りかかったことを簡単に説明した。

「———ということです」

「分かりました」


「女官の方については、私たちが収穫した大切な桃をご馳走しても良いでしょう。私と貴方の仲ですから、特別です」

「ありがとうございます」


「では、あの宦官は?」

「はい。そちらが本題で李妃様の元に参りました」

「何でしょう」


「李妃様、これからご出産を迎えるにあたり、医務局の人間は李妃様の信頼できる人間を置いた方が良いとはお考えになられませんか?」

「ええ、そうね」


「今の医務局は、叩けばすぐに潰れるにもかかわらず、誰も叩けていない状況です」

「聞いています」

「彼は、医務局の連中に小間使いさせられていた宦官です。恐らく、何よりも有力な証言者となるでしょう」

「ふふ、それでは少し弱いわね」

「はい、普通ならそうです」


「ですが、李妃様のワガママなら通ってしまいかねないんですよ」

「……そうね」

李妃は満足げに言った。


「きっと中央も、証拠が無いという理由だけで現医務局を処罰できずにいます。李妃様の一声を何倍にもしてくれるでしょうね。そしてその後の人事も、李妃様の融通をきかせてくれるはずです」

「分かりました」




「どうせやるなら徹底的に、もう少し練ってから中央に進言します。良いですね?」

「…はい」

ほどほどに、なんて言える空気ではなかった。


「ですがお気をつけください。あの宦官と、あと一人、医務局から脱走しています。向こうも警戒しているでしょう」

「分かりました。そう伝えます」

「お願いします」


(…誰に?)


「後のことは任せなさい。時が来るまで、彼らはこちらで預かっておきましょう」

「助かります」

「貴方もここにいる?」

「…い、いえ」

「居てくれてもいいのに」

「今回は、遠慮させていただきます」

「あら、では次回に期待するわ」

「……」



「出来れば、女官の服を貸していただければありがたいのですが…」

「用意を」

「はい」

筆頭侍女が赤子を抱えたままで部屋を出て行く。

雪英もそれについて行こうとしたら、李妃が彼女を呼び止めた。


「いかがなさいましたか?」

「安心しなさい。美朱も私も貴方の味方よ」

「あ、ありがたき幸せ……」

「ふふ」


朱雀とそれを従える女王。肝が冷えるほど怖いが、その安心感は絶大だった。

「失礼いたします」

「また今度ね」



雲花と沐陽(ムーヤン)に軽く事情を説明したのち、二人には別れを告げた。

その後、引き留める二人をなんとか剥がし、女官の格好に着替えた雪英は自室へと歩いて帰った。

そうして、お土産に持たされた桃を自室で食べ、雪英の長かった一日はやっと、幕を閉じたのだった。



———————————————



事態が動いたのは、それから僅か三日後。

局長を含む医務局の宦官らに処罰が下ったというニュースは後宮内を駆け巡った。

あの日以降、雪英は全く関与していないため詳細は知らないが、沐陽は証言者としての役目を立派に果たしたようだった。


また、これは後から知ったことだが、食堂の女官は雲花のことを医務局の人間だと思っていたそうだ。医務局に良くない噂が流れ始めた頃から、畑にゴミが捨てられている、作物が勝手に抜かれているなどの嫌がらせが続き、食堂は東門の畑を使うのを長い間やめていた。

これは、医務局に近い畑に人を寄せ付けないことで、彼らのサボりがバレるのを防ぐためのものであった。

こうした細々とした罪が明らかになったのも、李妃たちのお陰だろう。



そしてやっと事件が落ち着いた今日は、紅梅宮伝いに雲花と沐陽に合う予定を立てられていた日である。

二度となることのないと思っていた「雨辰」に再び扮し、雪英は医務局まで歩いていた。


「あ!雨辰さん!!待ってました!」

「本当だ、雨辰さん!!」

いち早く雪英を見つけた雲花が、こちらに大きく手を振る。その隣にいた沐陽も、続けて手を振った。



「久しぶりですね。雲花さん、沐陽」

「はい!」

「お久しぶりです!」


「変わらず元気そうで何より、沐陽も元気になったね」

「はい、雨辰さんのお陰です」


雲花と沐陽は、李妃の計らいにより新たに医務局へと配属されることになった。沐陽は医務局の正式なメンバーとして、そして雲花はなんと「畑の世話係」としての配属である。


「雲花さん、本当に世話係で良かった?」

元医務局が何を考え、雲花に何をさせようとしていたか、本人の希望により彼女は全てを聞いていた。


「はい!私が丹念に耕した畑ですから!!もう私にとって、自慢の畑です」

「ふふ、なら良かった」


「沐陽も、本当に良かった?」

「はい。李妃様の指名をいただけるなんて、光栄なことです。前は雑用ばかりでしたが、これからは少しずつ専門的な知識も教えてもらえるそうです」

「そうなんだ」


「はい!雨辰さんが運んでくれた幸運です。本当にありがとうございました」

「私も私も!雨辰さん本当にありがとうございました」


「『先生』の指示もあったでしょうけど、雨辰さんが居てくれなかったら私たちはこんなに幸せになってなかったと思います!本当に感謝してます!」


「雨辰さん、大好きです!!」

「お、おい雲花!」

「何よ!あなたも言えば良いでしょ」

「雨辰さん…大好きです!」

「何照れてんの?大好きなくせにー」

「雲花!」

「雨辰さん!沐陽ったらね、いつでも雨辰さんのことばっかり————」


「ははは」


穏やかな秋の空気に、二人の楽しそうな声が溶けていく。




「あ、雨辰さん!私の実家、今年はまだ茘枝(ライチ)が採れてるみたいで——」

「それは本当ですか!」



雪英は、頑張って良かったと心の底から思うのであった。



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後宮のインチキ占い師 @hello_dosue

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