恋を招く石 10



雪英(シュウイン)が目を合わせると、筆頭侍女はただ頷いた。


「お、お前、この女官は誰だ」

引くに引けなくなった宦官は、しかし彼女を前にして大声を出すしかできない。


(当然だろう、私とは格が違いすぎる)

(私にすら固まっていた奴が、この人の圧に耐えられる訳がない)


「私は、こちらの筆頭侍女です」

「…筆頭侍女……」


「真ん中にいる貴方、お名前は」

「雨辰(ユーシン)です」

雪英は答える。


「雨辰、奥にいる方は?」

「医務局の方だそうです」

「そうですか…」


「医務局の方が、我々に何の用でしょうか?」

「…こ、こいつらが仕事をサボって逃げ出したのを追って。お、おい!お前らさっさと帰るぞ」

宦官が、今度は雪英の腕を掴む。


「貴方に帰る場所はないと言ったでしょう?」

「お、お前…」

「ここで騒ぐのはおやめなさい」

雪英と宦官の小競り合いを、筆頭侍女が一蹴する。



「雨辰、貴方は医務局の宦官なのですか?」

「いいえ」

「ではお引き取り下さい。私はこの三人にのみ、入宮の許可を与えました」


「は?」


「聞こえませんでしたか?」

「…う、嘘だろ」

宦官の顔は一気に青ざめる。



「二人に桃を食べさせて貰えませんか?」

「ええ、そういたしましょう」

「ありがとうございます」

「いえ」


雪英は雲花(ワンファ)と沐陽(ムーヤン)の二人を先に紅梅宮の中に入らせた。


「雨辰さんは?」

「私は、もう少し『先生』のお使いをしてから行きます」

不安そうな雲花に向かって、雪英は微笑む。


——「明日になれば、貴方に幸運が訪れているでしょう」

——「私は私が出来る方法で貴方に幸運をもたらしましょう」


「…『幸運』ってこれのこと?」

一介の女官が宮に入れることなどそうそうない。


「いいえ、でも待っていてください」


「今に、この上ない幸運が貴方に訪れるでしょうから」

雲花は呆けていたが、ゆっくりと頷いた。


「君もだよ、沐陽」

「…え」

「『君にも、幸運がやってくる』って言ったよね?」

「そうなの⁉︎」

「う、うん…言われたけど…」

「だから、待っていて」


「雲花さん、沐陽を頼みました」

「分かりました!」

こういう場面では女の方が強い。雲花は沐陽の手を握って、力強く返事した。


筆頭侍女が他の女官に指示を出し、二人が案内されていったところで、雪英は宦官の方を向く。

彼は先程までの面影はないほどに憔悴し、地面に膝をついて、その姿は同情せざるを得ないほどだった。


(……)


「ここに居て良いのですか?」



「……俺、帰る場所…」

彼は事の重大さを理解した上で、相応の反応をしているようだった。


「『ここに居て良いのか』と言っているのです。分かりませんか?」

「………」


「どこに行こうが勝手ですが、すぐにここから離れなさい」


宦官が顔を上げる。


「駆け込むなら、中央じゃないでしょうかね。無難に」

見兼ねた筆頭侍女が発言する。

「…ははは、無難ですね」


「分かったのなら、早く行きなさい」

「…わ、分かりました。……」


宦官は一礼し、駆けていった。



「良かったのですか?」

「…二人には秘密にしておいてください」


「貴方は厳しいのか甘いのか分かりませんね。情に流されやすいというか…」

「返す言葉もございません」


紅梅宮の門には、桃の香りが風に乗って運ばれてくる。


「さて、李妃様がお待ちです。お急ぎください」

「分かりました」

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