第三章 ヴェルデ帝国

 ヴェルデの首都までは、目的地までノンストップで走るこの王族専用のほう列車でも大体四日ほどかかる。アカルディは東西に長細い小さな国だが、ヴェルデは魔界を除いた大陸の半分以上をめる広大な国であり、その首都は遠い。もし列車ができる前ならここまでひんぱんに行き来しなかっただろうから、ディアークとも今ほど仲良くはなっていなかったかもしれない。

 ……なんて、とりとめのないことを考えているのは現実とうだ。何故なぜなら──。

「目的が第三皇女の誕生祭というのはいささか不服ですが……エステルとこうして毎日一緒にいられるのは、凄くうれしいです」

 いくつもソファのあるこの部屋で密着するよう隣に座り、私のこしに手を回しき寄せたままげん良くニコニコしているセオドアに、意識をらさないとドキドキして耳まで赤くなってしまうから。

『王女と何日も一緒だと思うと気がるな。せめて別の車両に移りたいけど……僕から言えるはずもないし』

 はなれたソファに座る彼のコルは相も変わらず真反対なことを言っているが、だからといって身体的せつしよくに全くきんちようしないかといえば別問題である。口づけこそしたことがないものの、こうしたれ合いはよくあることで、あれほどきらっている相手になんとしんぼう強いことかと感心さえする。

「セオドア。申し訳ありませんが、少し一人にしてくれますか?」

 なにはともあれ、それとなく解放してあげなければと気を回したつもりだったのだが。

「……やっぱり、エステルは僕のことがおきらいですか?」

「ち、ちが──」

 しゅんとして私の顔をのぞき込んでくるその様は、犬耳が付いていたらペタリとたおれていただろうなと思うくらい悲しげで。

「少しねむたくなってきたから、横になろうかなあと。ですから……」

 慌ててすようにそう付け足した。とつに思いついたのがバレバレな苦しい言い訳だっただろう。しかしそれを聞いたセオドアはホッとしたように身体からだを起こすと、自分のひざに膝けをたたんでせ、ポンポンとたたいた。

「では僕の膝をまくらにお使いください」

「…………お言葉に甘えます」

 これも断ればさらに落ち込ませてしまうかもしれない。そう考え、かくを決めてセオドアの膝に頭を預けた。満足げに微笑む彼の長い指が、私のかみでるようにかしていく。それが本当にてしまいそうなくらい気持ち良くて、ほうと息をいた。

 しかしどうしてこうなってしまったのか。今のは「では、ごゆっくりお休みください」と言って自然に退室できる流れだったはずだ。なのにそうしないということは……そう、わずかな可能性が頭に浮かんだ矢先。

「そもそも僕はエステルの護衛もねているのですから、お傍を離れませんよ」

 そんなもつともなことを言われ、思考はふりだしに戻る。

「別に、いざとなったら転移するからだいじようです」

 少し期待しただけに、なんとなく上げて落とされたような気になり素っ気ない返事をしてしまった。しかし実際に転移魔法はアカルディの王族の女性以外に使える人もいないし、離れていれば足手まといになることも無いし……的外れなことは言っていない、と思う。

 すると、はああと長いため息が聞こえてきたので見上げれば、セオドアが私を撫でながら苦笑いを浮かべていた。

「エステルにとって僕の傍が一番安全だと思っていただけるよう、もっと強くならなければいけませんね」

「そ、そういうことではありません! セオドアはじゆうぶん強いですよ? ですが私がいれば足手まといになりますから」

「それなら大丈夫です。エステルをかかえたままでも、りゆうの一ぴきや二匹問題なく倒せますから」

 そんな鹿なと言いたいところだが、セオドアなら本当にそれをやってのけるかもしれないと思わせるだけの実力があるのでおそろしい。もちろんじようだんだったとしても、セオドアの傍が一番安全だろうことは、とっくに理解しているけれど。

「……だんはもっとこう、いつでもけんけるようにしているではありませんか」

 セオドアがヴェルデに同行することはこれが初めてではない。だが、普段は彼のコルが今座っている、ローテーブルをはさんでななめ前くらいの一人がけのソファに座り、常に剣のつかへと手をかけていた。美形は何をしても絵になるものだと思いつつ、気まずいので私は毎度書類仕事を持ち込んで無言の姿勢をつらぬいていたのだけれど。なんの気まぐれか、今回はとなりに座って来たのである。

「あれは……いかにも護衛の為にいますという姿勢をとってないと、追い出されるかと思っていたので」

「……否定できませんね。ですが、こんな体勢では動きづらいのでは?」

「剣を使わずとも魔法でどうにでもできますから」

「なら、いいのですが」

 何にせよこの状態をのがれるすべはなさそうなので、大人しく膝枕をしてもらうことにする。

「何があっても僕が貴女あなたを守りますから、安心して寝ていてくださいね」

 落ち着いた彼の声はどこまでもやさしくて、私はその言葉通り彼の膝に頭を預けたまま眠りに落ちていった。


    ● ● ●


 それから問題なく旅路は進み、予定通りの日程でヴェルデの城へと辿たどり着いた。

「久しぶりだな、エステリーゼよ」

こうてい陛下におかれましてはごげんうるわしく……」

「良い良い、そんなにかしこまらずとも。わしはお前のことをむすめのように思っているのだから」

 とうちやくした時刻はすでに夕方であったが、その日のうちに皇帝陛下とのえつけんの機会が設けられた。皇帝陛下はこの大国を治めているだけあってげんもオーラもある方だが、その言葉にいつわりなく私のことを可愛かわいがってくださっているため態度はやわらかく、最初のあいさつもそこそこに肩の力を抜いた。

「ありがとうございます、光栄です」

「本当に、次期女王でさえなければディアークの妻にと望んだのだがなぁ。実にしい」

 ディアークはまだこんやく者がいないことになっているが、実際は彼の愛する美人で優しいとあるれいじように内定している。しかし何かとねらわれることの多い彼の弱みにならぬよう、ごくごく限られた人物にしか知らされていないのだ。だから私が次期女王ではなかったとしても、当然そんなことは有り得ない。

 つまるところ今のは皇帝陛下の冗談だ。冗談なのだが……なんだか後方にひかえるセオドアの方からピリピリした何かを感じる。

「父上、俺の暗殺者候補を増やさないでいただきたい」

 皇帝陛下の言葉に返事をしたのは同席していたディアークだった。彼がしようしながらもセオドアに視線を送るので、私も彼の方へとり返ればなんだか少し不快そうにまゆを寄せていた。

 セオドアはディアークに婚約者がいることを知らない。だから皇帝陛下の言葉にどくせんよくからいらったように見える、が──。

『この人が次期女王でなければ、婚約せずに済んだんだよな……』

 と肩を落とすセオドアのコル。慣れたもので、私はそんなことだろうと思っていた。

「はは、すまんすまん。エステリーゼは愛されているなぁ」

 皇帝陛下はセオドアの表情をしつによるものだと読み取ったらしく、そう言っておおらかに笑って。

『──にもかかわらずドロテーアはいったい何を考えているのか。誕生祭のパートナーとしてセオドア殿どのを連れてこられたあかつきには彼との婚約を認めてほしいなどと、儂やじゆうちんたちの前で宣言したが……この様子じゃ可能性の欠片かけらもなさそうだ。まぁ、仮に連れてきたところでエステリーゼの婚約者なのだから、うなずける話ではないが』

 などという大変おんなことを考え始めた。思わずけんに手をやりたくなるのをぐっとこらえる。

 わざわざ私を指名して招待状を送って来たくらいだ。何かしらアクションを起こしてくるだろうとは思っていたが、まさか本当に婚約を願っていたとは。

『やたら自信満々だったのも不安だ……何か問題を起こさなければ良いのだがなぁ』

 着いて早々ではあるが、既にセオドアを連れてきたことをこうかいし始めた。やはりロランドにパートナーをお願いして、彼はどこか任務に行かせれば良かった。が、そんなことを表情に出す訳にもいかず奥歯をめる。今のはあくまでコルが語った話でしかなく、ついきゆうすることはかなわない。そんな当然のことにモヤモヤしながらも、表面上はおだやかな会話をわした。

 できる限り早急にドロテーア皇女に会って、何をたくらんでいるのかをさぐらなければならない。しかし誕生祭も近く、いそがしいであろう彼女に会う機会はあるのだろうか……と不安に思っていたのだが、その機会は思ったよりも早くおとずれた。




 謁見も終わると、ゆうを持って到着した為本日の予定は特になく。あてがわれている客室に帰ってゆっくりしようと歩き始めた私をディアークが呼び止めた。

「部屋まで送る、いつものとこだろ?」

「……貴方あなた、皇帝陛下にはあんなこと言っていた割にえんりよしないのね」

 彼の申し出を意外に思ってそんな言葉を返した。てっきり彼のことだから、セオドアがいるなら席を外すだろうと考えていたのだ。

 現にセオドアは所有権を主張するかのように私のこしき寄せた。それが本心によるものではなくとも、一応同行を断った方が良いだろうかと迷っていると。

「いいじゃないか、久しぶりに会ったんだからさ」

『こいつらのじやをするのは不本意だが……父上からエステリーゼたちのたいざい中は、あのバカがやらかさないよう極力見張ってろって言われてるからなぁ』

「……確かに久しぶりね」

 ゲンナリした顔でため息をついたディアークのコルが言う、あのバカとはドロテーア皇女のことだろう。皇帝陛下やディアークにはづかってもらってがたいやら申し訳ないやらで、に角今は話を合わせた。実際は建国記念パーティーからまだ一ヶ月もっておらず、全くもつて久しぶりではないから、横でセオドアが久しぶり……? といぶかしげに首をかしげている。彼の疑問は至極当然だけれど、今は気づかないフリをした。

 そうしてディアークもいつしよになり、とりとめのない会話をかわしながらも宛がわれた客室へ向かっていると。

「セオドアー!!」

 とつじよ聞き覚えのある声が左側から近づいて来た。まさかと思って立ち止まり、視線を向ければ。

「もういらしていたの? おむかえしたかったのにい!」

「だ、第三皇女殿でん……」

「もうっ、ドロテーアと呼んでちようだいっていつも言っているでしょう?」

 天高くひびわたるような声量と、よくぞその重そうなドレスで先ほどの機動力を出せたなと感心してしまうような速度で、セオドアにタックルするように抱きついたのはやはりドロテーア皇女だった。かいろうを歩いていた私たち──正確にはセオドアしか見えてはいないだろうが──を見つけ、とつげきしに来たらしい。

「……げんよう、第三皇女殿下」

「あら、貴女もいらしていたのね」

 セオドアに夢中で聞いていないだろうが、一応れいとしてドロテーア皇女に挨拶をしておくと、真意はどうあれ「招待されたのは私だったはずでは……」と言いたくなるような言葉が返ってきた。

 セオドアは何とか自らにしがみつくドロテーア皇女のうでがそうとしているが、彼女のしゆうねんすさまじく、何度剥がしても元にもどってしまう。

 もちろんセオドアからすれば力ずくで剥がすのは容易なことだが、を負わせるおそれもある為、他国の皇女相手に下手なことはできない。それをとがめる権利を持った婚約者の私はと言えば、『王女よりは第三皇女の方がいくぶんましだ』というコルの声に、果たして口をはさんで良いものか判断しかねており、ついに見かねたディアークが彼女をたしなめた。

「おい、ドロテーア。人の婚約者に気安くれるな」

「お兄様に言われたくないわ。お兄様ってばこの人とずいぶん仲がいいじゃないの」

「俺たちは友人だからな。お前のそれはよこれんって言うんだ」

「あーらぁ! すぐに横恋慕じゃなくなるわ!」

「お前……」

 そんな目前で行われる兄妹きようだいの言い争いをあい笑いでやり過ごしながらも、皇帝陛下いわく何かやらかしそうだというドロテーア皇女のコルの声に、今がチャンスと耳をかたむける──と。

『このムカつくベール女をしつきやくさせて、セオドアを私のものにしてみせるわ。……その為にもまずはせい事実を作る準備をしなければ』

 え? と言いたくなりうすくあいた口をせきばらいです。失脚させる? どうやって? それに、既成事実……というのは、セオドアと関係を持つことをもくんでいるということだろうか。かくてきこんぜんこうしようかんようなアカルディでさえ、その相手と結婚することが大前提だというのに。

 ましてや婚前交渉が禁じられていると言っても過言ではないヴェルデにおいて既成事実など……もし本当にそうなれば、いくら相手が次期女王の婚約者といえど、責任を取らせようとすることはさほど不自然な話ではない。

 とはいえ、実際に既成事実が作れるかどうかはまた別の話だ。たとえ力ずくだろうがなんだろうがセオドアがそう簡単に身体からだを許すはずがない。

せつかく会えたのに名残なごりしいのだけれど、あまり時間がないのよねえ』

「今は忙しいからもう行くけれど、また会いに来るわ! それでは御機嫌よう」

 許すはずがない……のだが。自信満々に去っていくドロテーア皇女の背中を見ていると、不安がぬぐえない。そんなしやくぜんとしない気持ちをかかえたまま、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。

「はぁ……二人ともすまない。問答無用できんしんさせたいところだが、誕生祭目前だからな……」

「貴方が謝ることじゃないわよ」

 ディアークは申し訳なさそうにうなれるが、角の立たぬようわざるを得ない私やセオドアの代わりに窘めてくれたのだから、むしろこちらがお礼を言わなければならないところだ。

「そう言ってくれると助かるよ。セオドアきようも、アイツの言うことはきかなくていいぞ。何かあったら俺の名を出していい」

「ごこうじよう痛み入ります」

 たよりになる口約束に感謝しつつ、どうかそれが必要な事態にならなければ良いと願いながら再び歩き出した。



 その日の夜。ディアーク曰く実質私専用になっているという客室のリビングルームにて、私はセオドアと共に夕食をとっていた。滞在しているらいひん同士の交流を目的とした、自由参加のディナーパーティーがかいさいされてはいるが、今日のところはつかれていたので食事を部屋に運んでもらったのだ。

「……エステル、先ほどは申し訳ありませんでした」

「ええと、何のことでしょうか」

 メイン料理の皿が下げられデザートの用意がされている最中、セオドアがふいに口を開いた。謝罪されるような心当たりが思いかばずに首を傾げれば、彼は白金のまつふちどられたれいな目をせて答える。

「第三皇女のことです。無理を言って同行させていただいたにもかかわらず、結局あの有様で……」

「ああ……そのことですか。でしたらディアークにも同じことを言いましたが、貴方が謝ることではありません」

 王女の私ですら強くは出られないのだ。大ていこくの皇女相手に小国の一貴族がかえるはずがない。だからこそ彼を連れて来たくなかった訳で、連れて行くと決めたからにはあの程度のことはかくしていた。まぁ、覚悟していたからといって不快に思わないかと言われれば別問題だが、少なくともセオドアに責任があるとは思わない。よって彼が私に謝罪する必要は全く無いのだが……。

こうりよくでも、僕はエステルがほかの人にさわられていたらすごいやだと思いますから」

 その様を想像したのか、彼はこつに顔をしかめる。食事中という大義名分があるのだからだまっていても良かったのに、わざわざこんな会話を始めたのも、じよきゆうに……と周囲にひかえているからだろう。現にこのやり取りを聞いていた侍女たちのコルが黄色いかんせいをあげているし。

「仮にそうだとして、セオドアも私に謝罪を求めないでしょう」

 これ以上思ってもいない台詞せりふかせることが申し訳ないので、これで話はおしまいだという意思を示すためフォークを手に取った。

 まず美しくかざり付けられたあざやかなベリーケーキを食べてみると、さわやかな酸味が口いっぱいに広がる。いつ来てもヴェルデのパティシエはらしいと心の中でしようさんしながら、次は光を反射するほどつややかにコーティングされた一口サイズのチョコレートをパクリと口にふくみ、それをくだいた──そのしゆんかん

「……っ!!」

 チョコレートの中から、のどが焼けるのではないかとさつかくするほどに度数の高い酒が出てきた。

 油断していた為、とつに吐き出すこともできずに飲み込んでしまう。すぐに顔が熱くなり、ガンガンと頭が割れるような痛みにおそわれる。

「エステル!! だいじようですか!?」

 私の異変をいち早く察したセオドアが、すぐにけ寄って来てふらついた身体を支え声をかけてくれるが、返事をしようにも気持ち悪さから視界がうるみ、吐き気をまんすることでせいいつぱいだ。

「きゃあ! 殿下!!」

「私医師を呼んできます……!」

「お前、何をした!」

「わ、私は何も知りません……!」

『毒……!? どこで混入したというんだ!』

 侍女がバタバタと何処どこかへ駆けて行き、控えていた騎士が給仕の男を取り押さえるが、彼は無実のようだ。食事開始時から特にあやしいコルの発言は無かったし、本当に何も知らないのだろう。

 読心ほうはあくまでその人の知り得る情報しか分からない。何かをたくらんでいる人間が無実の人間をかいして干渉してくれば、私はその危険を察知できないのだ。だからこそ悪人からけいかいされぬように、この魔法の存在を知られてはいけないのである。

 そもそもこれは酒であって毒ではないが、アルコールは体質的に受け付けないことは伝えてあるので、だれかが故意に用意したはずだ。寧ろ毒によっては、まだ魔法を自分にかけられるゆうがあるだけ酒よりもましである。

 視界がぐるぐる回り、息苦しくなって、これ以上は、何も、考えられ、ない──。

「エステル……!!」

 私の名をさけぶセオドアの悲痛な声。いつ意識を失ったかすら分からないが、おくが残っているのはそこまでだった。

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心が読める王女は婚約者の溺愛に気づかない 花鶏りり/角川ビーンズ文庫 @beans

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