第二章 乖離する心

 初めてセオドアのコルと対面したあの日から五年──私は何かと理由をつけて彼に会うことをけ続けた。それには様々な理由があるけれど、一番は好きな人から嫌われている事実をき付けられるのが辛かったからだ。次期女王に有るまじき心の弱さである。自分自身のコルは見えないけれど、もし見えていたならば、きっといつもウジウジと縮こまっていることだろう。

 しかしそうやってあの手この手を使ってセオドアを避け続けていても、どうしてもげられない時がある。

「エステル、おそくなりましたが……僕がおくったそのドレス、着てくれたのですね」

 ダンス中、私にしか聞こえないくらいの声量で語りかけてきたセオドアに苦笑いを返した。

 たった今かいさいされている建国記念パーティーのように、王家しゆさいの公式行事に王女である私は当然参加。パートナーは勿論婚約者のセオドア。だんできる限り逃げ回っているが、こればかりは私の都合で水を差す訳にはいかない。

「ええ、じよがどうしてもと言うので」

 しかし、そろいのしようにする必要はあったのだろうか。ネイビーを基調とし、シャンパンゴールドのサテンリボンとすそまわりにほどこされた白いしゆうで飾られたイブニングドレスは、上品でとてもてきだし私好みなのだけれど。

「とてもおれいですよ。綺麗過ぎてだれにも見せたくないくらいです」

「……ごじようだんを」

 同じ色合いで揃えられた正装を身にまとうセオドアは、こんなペアルックみたいなことをしたくないはず。けれどそんなことをちっとも感じさせないがおでお世辞を言うのだ。

 この甘い声と表情でめられてうれしくない女性はこの国にいないだろう──コルによって本心が分かる私以外は。

『なんで王女と揃いの服なんか……』

 貴方あなたが贈って来たんじゃない、とコルの愚痴に心の中で返す。彼のかたぐちでネチネチ不満を垂れるコルを見ながらでは、いくら口で褒められたところで虚しいだけだ。

「エステル、冗談なんかではありません」

「少なくとも誰が着ても一緒でしょう。顔、見えないんですから」

「一緒だなんて、そんなはずがありません。ですが……そうですね。貴女あなたの素顔を見せていただける時が楽しみです」

 そう言ってふわりと微笑ほほえまれ、思わずビクリと肩がねる。私が素顔を見せるのは家族だけ……つまり、結婚するのが楽しみですということなのだろう。もちろん内心は見たくないだろうし、私とてこんな美形相手にもつたいぶったように顔を見せることになるのは勘弁してほしい。

 ──それに、いつかはこのこんやくを解消しようと思っている。だからあいまいに笑って返事はしなかった。意図的に言葉を返さなかったことを察したのだろう、セオドアは何か言いたげな顔をしていたが、気づかないフリをした。

「私のことはいいので、好きなように過ごしていいですよ」

 一曲おどり終わったあと、セオドアとコルそれぞれの返答は分かりきっているが、一応そう声をかけてみる。

「でしたら、となりにいさせてください」

『好きなようにしていいなら、今すぐ帰りたい』

 予想通りの答えに、小さく息を吐いた。コルは私と離れたがって背を向けているのに、セオドアは私のそばから決して離れようとしない。ここまでコルと実際の行動がかいしているのはめずらしく、彼くらいなものだ。

 とはいえ今は公式行事中。演技する必要のない二人きりの時でさえそうなのだから、周囲にたくさんの人がいる中で彼がなかむつまじいフリをするのは当然である。その上セオドアは単なる私のパートナーではなく護衛という任務も課せられているため、責任感の強い彼が私情でその役目を投げ出すはずがない。そうして結果的に大好きな彼にきらわれているのを知りながら傍にいて、さらには無理をさせる。この現状をなんとかしたいから、いずれは婚約を解消したいのだ。

 結局セオドアをともなったまま会場を歩いていると、見慣れた顔を見つけた。

「……ディアーク、久しぶりね」

「エステリーゼ! セオドアきようも久しぶりだな」

「ごしております、ディアーク皇太子殿でん

 ヴェルデていこくの皇太子、ディアークは私たちに気がつくと笑ってこちらに歩いてきた。

 ヴェルデといえばかいと反対側に位置する帝国である。かつてはアカルディをしんりやくせんとする皇帝もいたものの、今の皇帝はアカルディを魔界から人類を守る最初で最後のとりでであると認め、防衛費をえんしてくれるなど関係は良好で、こうしておたがいの公式行事にも出席し合っている。今回は皇太子であるディアークが皇帝代理として来ているようだ。

 そんな訳で彼とはこういった場でたびたび会う機会があり、同い年かつけいしよう権第一位同士通ずるものもあって、国力の差はあれど気心知れた仲である。

「相変わらずしけた顔してるな。もっとあい良くしたらどうだ?」

「口元しか見えてないくせに何言ってるのよ」

「分かるさ。口は目ほどにものを言うってヴェルデの言葉を知らないのか?」

「目は口ほどにものを言う、だったとおくしているけれど?」

 そう軽口をたたきあいつつも、ディアークが本気で心配してくれていることは伝わってきた。

 以前、彼にだけはセオドアに嫌われているかもしれないことを相談しており、本気で言っているのかとあきれたように返されたことをよく覚えている。以来こうして何かと気にかけてくれているのだ。

「そうだ、来月の第三皇女ドロテーアの誕生祭は誰が来る?」

第一王子ライモンドが行く予定よ。良かったら気にかけてあげて」

 そうしてとりとめのない会話をわしていると、ふとディアークのコルがみぎうでかばうような仕草をしていることに気がつく。でもしているのか……しているのならば治してあげたいところだが、平静をよそおっている彼が自分から言い出すことはないだろう。しかしコルの表情を見る限り、ずいぶんと痛そうにしていて。おせっかいだと分かっていてもほうっておくことができなかった。

「ところで……きゃっ」

「エステル!」

「おいだいじよう──痛っ……」

 少しごういんな手段だが、ふらついたフリをしてそっと彼の腕にれてみた。触れたと言っても、よろけた時点でセオドアの腕がすぐに私を支えてくれた為、手が届かずでる程度しか触れなかったのだが……それだけでも予想以上に痛がるディアークにあわてて謝罪する。

「ご、ごめんなさい。そんなに強くつかんだつもりはなかったのだけれど……」

「いや、謝らなくていい。少し腕を怪我していてな」

「そうだったのね。おびに治してあげるから見せて」

 そう言えば、躊躇ためらいつつもディアークはそでのボタンを外ししんちようまくった。こうはんに包帯のまかれた腕は血がにじんでいて、傷口を見る前から痛々しい。ある程度の場所さえ分かれば良いので、包帯の上から手をかざして魔法をかける。やはり相当な痛みをこらえていたのだろう、傷が治ると彼は長く息をいた。

「悪いな」

「……何があったの?」

「いつもの叔父おじうえからのプレゼントだよ」

 叔父上──すなわちヴェルデの皇弟は、アカルディをせいふくしたいと考えている開戦派の侵略主義者である。ゆえに彼はアカルディに友好的なディアークが皇位をぐことをしたいようで、過去に何度もディアークの暗殺を試みているのだ。……つまりいつものプレゼントというのは、即ち暗殺者のことだろう。しゆぼうしやが皇弟であることは明白であるものの、彼は決してしようを残さず、その身分もあっていまだにらえられていない。

「怪我くらいいつでも治してあげるから、かくさず言ってくれればいいのに」

「お前の力は貴重だ。安売りするもんじゃない」

「友人の力になりたいだけよ。安売りではないわ」

 そう言うと、彼はセオドアの方をいちべつし苦笑いをかべた。

「今度はセオドア卿からプレゼントをもらうことになりそうだ」

「まさか。セオドアはそんなことしないわよ」

 勿論ディアークの冗談であることは分かっているが、セオドアがしつで暗殺するなんてありえない話だ。人殺しをしないという意味でも、嫉妬するはずがないという意味でも。しかしなつとくがいかないと言いたげに、ディアークは長いため息をついた。

『はあ。こいつらがお互いおもいあっているのは明白なのに、どうしてこんなにこじれているんだか』

 それが実は私の一方通行の想いなのよね……なんて、アンジェリカと同じことを言うコルに心の中で返答する。ディアークは帝国の皇太子だけあって人を見る目もありうそかんも良いのだが、セオドアの演技力はそんな彼さえだましてしまうようだ。

 ……だから。

「勿論そのようなことはいたしませんが……いくらお二人がご友人といえど、正直いてしまいますね」

 ディアークから引きはなすようにこしき寄せられて、演技だと分かっているのにドキッとしてしまうのも致し方無いことだと思う。

「はいはい、じやものはそろそろ退散するかな」

 ひらひらと手をりながら去っていくディアーク。けれどセオドアが回した腕の力をゆるめることはなく、寄りうような体勢に顔が赤くなってしまいそうなので、いつたん冷静さを取りもどす為セオドアのコルの声に耳をかたむけた。

『……僕も早く退散したい』

 予想通りの冷めた発言に、望んだことのくせに少しだけ落ち込んだこともまた、致し方無いと主張したい。



 パーティーもそろそろ終わりの時間が近づいてきたころ。立て続けにあいさつに来た要人相手の会話にろうを覚えた私は、セオドアに飲み物をとってきてほしいとたのみ、バルコニーで一人きゆうけいをとっていた。

「婚約解消、か……」

 一人といっても数歩後ろにが二人ひかえている。だからそのつぶやきは、後ろの彼らに聞こえない程度のごくごく小さなものだった──のだが。

「今、なんと言いましたか?」

「わっ!?」

 後ろからいきなりそう声をかけられ、思わず王女らしからぬさけび声をあげてしまった。振り返ると、両手にグラスをたずさえたセオドアがどこか思いつめたような表情を浮かべていて。

「い、いえ、なんでも。それよりもありがとうございます」

 どうようを隠すようにグラスを一つ受け取り、口をつけた。アルコールがいつてきだって飲めない私の為に、ノンアルコールのスパークリングワインを持ってきてくれている。そうしてあわが口の中でしゅわしゅわとはじけるその感覚を楽しみながら、全部飲み干してしまうまで、結局セオドアは一言も発さなかった。空になったグラスを片手に、流石さすがに気まずさを覚えて声をかけた。

「何か?」

「その、こんやく解消って……」

 どうやらしっかり聞こえてしまっていたらしい。いずれはそのつもりだが、確定した訳ではないのにかつだった。案の定私の返答を待つコルは、期待に満ちた目でじっと見てくる。

『婚約解消……本当にできるのだろうか』

 王命であるこの婚約の解消を、はくしやく家の次男に過ぎない彼から持ちかけることは難しいだろう。ましてやキエザ家は代々王家への忠誠心が高く、彼の両親がその私情を許すとは思えない。

「色々調べております。過去に前例がないかと」

「どうして……」

 どうしてもこうしても、セオドアが望んでいるからにほかならないのだが。とはいえ、本当のことを王女相手に口に出せるはずもないだろうとむ。

 しかし彼は予想外の問いかけをしてきた。

「エステルは、僕のことがおきらいですか?」

「……まさか」

 嫌いになれればどんなに良かったか。

 セオドアがどんなに私を嫌いうとんでいても、その心の内を知るまでの幸せだった四年間の記憶が未だせんめいで、大切で、好きな気持ちを消すことができずにいるのだから。

 それに──。

貴方あなたが──」

 貴方が私を嫌いなんじゃないか。そう言いかけて、やめた。

 セオドアは本心を隠すことが上手うまい。今だってやっと視線がからまったかと思えば、その悲しそうに細められたじりにはうつすらとなみだが浮かんでいるように見えるのだから。嫌われているだなんて、読心ほうがなければ絶対に分からないことだ。ただの婚約者でしかない状態で、そんじょそこらの国家機密よりもずっととくされているこの魔法の存在をさとられる訳にはいかない。

「……貴方が、不利益をこうむるようには致しませんのでご安心ください。ではそろそろ会場に戻りましょう」

「っ、待ってください! 僕は──」

「セオドア」

 彼の名前をだんより低い声で呼び話の続きを制すれば、セオドアはぐっと押しだまったが、心までは止められるはずも無く。

『僕は、不利益を被ってもいい。婚約解消のためならなんだってする。だから……』

 そのコルの切実な言葉を聞いて、やはりなるべく早く婚約解消してあげなければと改めて思う。すがるような態度をとっていても、本心では婚約解消を強く望んでいる。無理して心無いことを言わせてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 そもそも基本的にセオドアは表面上だけでなく、心の内すらも裏表がなく、だれに対してもやさしい人なのだ。ただゆいいつ私にだけ、あのように冷たくしんらつなコルなのである。だから、きっと私が彼にここまで嫌われるだけの何かをしてしまったにちがいない。

「……エステル、手を」

『早く、この役目から解放されたい』

 ああ、こんな力などなければ良かったのに。そうすれば、彼に愛されているのだと信じてやまないおろかな女でいられたのに。


    ● ● ●


 建国記念パーティーから数日ったある日の昼下がり、女王のしつ室まで来るよう呼び出しを受けた。

「失礼致します。エステリーゼが参りました」

「よく来たわね、エステリーゼ。まぁ座ってちようだい

 室内はペンを片手に微笑ほほえむ母上一人であった。ひとばらいをしてあるあたり、何か聞かれてはならないような話なのだろうかと疑問に思いながらも、うながされるままに着席する。

 どういう原理か分からないが、同じ読心魔法を使える相手のコルは見えない。母上や祖母はもちろんのこと、今はそうに対してもそうであった。従って母上の考えていることはさっぱり分からない。すでに他人のコルが見えることが当たり前になっている私にとって、それはもどかしくもあり、落ち着くようでもある。

「呼び出した用件なのだけれどね。来月のヴェルデのドロテーア皇女の誕生祭、貴女あなたに行ってもらうことになったの」

「それは構いませんが……ライモンドが行く予定だったのでは?」

 第一王子のライモンドは、私の二つ下の弟だ。我が弟ながら大変かしこい上社交性も高く将来有望。こうていの誕生祭ともなれば母上か私が参加する方が良いだろうが、今回は第三皇女なので経験を積ませるべくライモンドに行かせると聞いていたのだが。

「そうするつもりだったのだけど、主役からのご指名なのよ。しかもたいざい中皇女直々に城下町を案内してくださるのですって。……正確にはセオドア目当てね」

「ああ……なるほど……」

 ヴェルデ帝国のドロテーア第三皇女はセオドアにごしゆうしんで、私と同等かそれ以上に私たちの婚約解消を望んでいる人物だ。十歳前後で婚約者を決めるのが通例のヴェルデで、十六歳を目前にしていまだに婚約者がいないのは、セオドアをあきらめられないからだというのは有名な話である。

 アカルディのれいじようたちは、私に対するセオドアのできあいっぷり──演技だが──を見続けた結果、たいていは諦めているらしい。しかしドロテーア皇女を始めとする他国の女性じんはそう接する機会がなく、未だなんとかセオドアを手に入れようと画策している人は少なくないようで。

「だから気をつけなさい。次期女王の婚約者をうばい取るなんてことはそうそうできないけれど、すきを見せたり、借りを作ったりしないように」

きもめいじます」

 ヴェルデとは友好関係を築いているものの、当然国力の差はあり、ヴェルデの皇帝とアカルディの女王とでは皇帝の方が身分が上である。次期女王の私と第三皇女では私が少しだけ上だが……失礼なことをしないよう気をつけなければならない。

「まぁ第三皇女は絵にいたようなワガママおひめ様だし、アカルディをどうにかしたくてたまらない皇弟はげ足取りがお得意のたぬきじじいで、かんさわることは多いでしょうけれど」

 げんはあるが気さくでもある母上は私相手だと結構歯にきぬ着せぬ物言いをする。ワガママお姫様と狸爺とは皇族相手に散々な言いようであるが、正直なところ私としても同意なので、苦笑いを返した。

 そんな私の態度に危機感が足りないと感じたのか、母上がほおに手を当てため息をつく。

「本当に気をつけなさいよ。ああいう女がねえ、とんでもないのろいをかけてくるのだから」

「呪い、ですか?」

「そう。ああいう執念深い女のかなわなかったこいごころうらつらみになって呪いになるの。それは私たち聖女の力をぐ者でも解くのは難しいわ」

 呪いがこの世界に存在しているだなんて話は初耳だが、母上の話しぶりから察するに、実際に呪いの存在をかくにんしているようだった。

「……表向きに招待されたのが私なら、別のパートナーを連れていくことはできませんか? それこそライモンドとか」

「それも考えたわよ。けれどヴェルデの城には魔法の使えない場所がいくつかあるでしょう。ライモンドも魔法に関してはゆうしゆうだけれど、貴女の護衛役もねる意味ではけんうでが足りないわね」

 この世にはどういう原理か、魔法の使えない場所がいくつかある。その一つであるシュティレどうくつの石をゆかかべに使うことで、ヴェルデの城はえつけんの間やホールなど、魔法を使えない部屋を作り上げている。それが暗殺等を防ぐ目的なのは想像にかたくない。ただし、そんな場所でも私たちの魔法は問題なく使えるから、聖女の魔法と四属性魔法とは根本的に原理が違うのではないかと考えている。

「では、の中でいえがらも問題ない誰かではどうでしょうか」

「セオドア以外を連れていけば不仲だなどとうわさされるかもしれないわよ?」

「セオドアには、何か長期の任務を命じるなどして……」

 呪いがどういったものか分からないが、片思いでもセオドアは大切な人。危険な目にあわせたくなくて何とかできないかと考えをめぐらせていると、不意に母上がくすりと笑った。

「ふふ、セオドアを奪われるのがいやなのね」

「それは──」

 長年セオドアに対して素っ気ない態度をとり続けているにもかかわらず、私がセオドアを好きだと確信しているような口ぶりだ。母上にも私のコルは見えないのだが……と考えたその時、はたと気づく。

 母上だってコルが見えるのだから、セオドアの本心を知っているはず。なのに何故なぜこんやく解消の提案をしないのだろう。

 確かに結婚相手として相応ふさわしいねんれい層の中で、セオドアが一番の実力者であるのはちがいない。けれど彼が特出しているだけで、二番手三番手も通常なら次期王配に選ばれてもおかしくないだけの実力を備えているのだ。だから私の相手は、セオドアが望ましいが必ずしもセオドアでなくても良い。少なくとも、私をあれほどけんし、苦痛を感じている彼に無理押し付けてまでは。

 ならば何故。まさか私がセオドアのことが好きだから……? いや、母上はむすめの為だろうと、こんな風に一方に負担をいるだけの婚約を良しとするような非情な女王ではない。

 ……まさか、私にはセオドアのコルが正常に見えていないのだろうか?

 ──いや、そんなはずがない。読心魔法そのものが異常ならまだしも、セオドアのコルだけが都合良く異常だなんてことは、きらわれていない可能性をいだしたいだけの、ただの願望に過ぎない。

「それは……嫌ですよ。セオドアは優秀な人材ですから、奪われる訳にはいきません」

「あらあら、なおじゃないわね。まあに角、セオドアを連れていくかどうかは本人と話し合いなさい。明日ヴェルデに返事を出すから、それまでに決めて頂戴ね。連れていかない場合は代理の者も考えておくように。でも私としては、セオドアを連れていくことをオススメするわ」

「……かしこまりました」

 複雑な心境のまま母上の執務室を出たあと、そのままの足でセオドアがいるであろう訓練所に向かう。王配の一番重要な役割は希少な力を持った女王を、護衛をすぐ近くに配置できない時──例えばダンスの時やしゆうしん時──にもそばで守ること。次期王配としての仕事や教育を受けるのにいそがしく、騎士団で役職を持っている訳ではないセオドアも、私を守る力をつける為予定が何もない時間は騎士団で訓練をしている。

 先に行ったじよが話を通してくれていたので、特に事情の説明もなく訓練所の中に入ることができた。剣で打ち合うような音と気合いの入った声のする方へ向かえば、そこに目的の人物がいた。

 セオドアは現在団員たち相手に指導をしながら二十対一で戦っている様子。……まぁ、この間のじやりゆうとうばつ任務を想定より一ヶ月以上も早く終わらせた彼なら、このくらいはウォーミングアップのはんだろう。

 中断させてしまうのも悪いな、と思いかべぎわで切りの良いタイミングを待っていると。

「……殿でん? セオドアにようならお呼びしましょうか?」

「あら、ロランド」

 きゆうけいからもどってきたらしいロランド・オベルティに声をかけられた。燃えるような赤いかみが印象的な彼はオベルティこうしやく家の長男で、セオドアと同い年。幼少期は性格に難ありだったが、今では真面目まじめで実力も高く、つわものぞろいの第一小隊の副隊長にもなっている。

「終わるまで待ちますから構いませんよ。それより……ずいぶんがんっていますね」

「き、きようしゆくです。まだまだ未熟ですがしようじんして参ります」

 そう畏まって頭を下げるロランドは、剣術の力量もパートナーとしての家格も問題ない。セオドアの代わりとしてヴェルデに連れて行くのにうってつけの存在だ。……本当に、幼少期は性格に難ありだったが。

「ふふっ、まさかあの意地悪ロランドが最年少で第一小隊の副隊長になるなんて」

「殿下……その話は人生のてんなので、かんべんしてください……」

「私だってすご𠮟しかられたんですから、いいじゃないですか。本当に人って変われるんですね」

「それは、殿下のお言葉のおかげですよ」

「……まぁ、その話はずかしいわ」

 ロランドは昔公爵家の権力をかさに着て、自分より家格が下の子に対してじんな暴力をるっていたのだ。ある日たまたまその現場に出くわした私が、「じゃあ貴方あなたも王女の私には何されたって文句言えないわよね?」とタコなぐりにした結果、以来心を入れえたのだという。

「言っておきますが、だれかれ構わず手を出していた訳じゃないんですよ。あのころは自分が王配になるのだと思っていたので──」

「誰が王配になるって?」

「うわっ! せ、セオドア……!」

 ロランドを揶揄からかうのに意識を向けていたので、セオドアが近づいて来ていたことに気がつかなかった。彼は少しあせをかいてはいるもののほとんど服がよごれていないあたり、あの二十人が彼にひざをつかせることは難しかったようだ。

「ごめんなさい、じやしてしまいましたね」

「いえ、それは構わないのですが……二人で何の話をしていたんですか?」

「ち、違うんだ。今のは昔の話で」

 ロランドは何故かセオドアに対して必要以上にけいかいし、敵意はないとでも言いたげに両手を上げて後ずさっていく。そのみような動きを疑問に思いながらも、あまり彼らの時間を奪うのも悪いと本題に入った。

「そうです。本題は別で……来月ヴェルデに行く時、ロランドにパートナーを務めてもらおうかと思いまして、話しに来たのです」

「殿下!?」

『殿下は何を言っているんだ!? そんなことになればセオドアに殺されてしまう!』

 ディアークといいロランドといい、セオドアのことをなんだと思っているのだ。彼はおだやかでやさしく、しんらつなのは私にだけなのだから。セオドアはそんなことしないでしょう、と不必要にふるえるロランドのコルに思わず言い返したくなる気持ちをのみ込んだ。

 セオドアがそんなロランドをいちべつし、難しい顔をして私にたずねてくる。

「エステル、どういうことですか?」

「どういうことも何も、そのままの意味ですが……」

「殿下、どうか最初からくわしく説明してください!」

「ええと……」

 母上はせんたくほうが使える。いくつかのせんたくがある場合より良い結果につながるものが分かるという、国の頂点たる女王に相応しい魔法だ。そんな母上がセオドアをと言うのであれば、彼を連れて行くのが正解なのだろう。が、個人的には連れて行きたくない。セオドアだって行きたくないだろう。それに、もし仮に婚約解消して彼がほかの人と結ばれることになっても、のろいの話が気になるし、その相手はできればドロテーア皇女であってほしくない。

 ……と考えたところで、そのドロテーア皇女がセオドアを呼んでいるというくだりを話していないことを思い出した。

「そうでした。ロランドにパートナーとして参加してほしいのが、ドロテーア皇女の誕生祭なんですよ」

「第三皇女……ですか」

 彼女のことを思い出してか、セオドアが苦虫をつぶしたような顔になる。

 ドロテーア皇女は会うたびに私とセオドアの間に割って入り、こいびとかのようにセオドアのうでつかんではなさないというなかなかに押しの強い女性だ。ただ、彼のコルは私なんかよりは彼女の方がずっと良いと言っていたから、嫌ってはいないのだろうと思っていたが。

「元々ライモンドが行く予定だったのですが、わざわざ私を指名してきたんです。言うまでもなくセオドア目当てですよね」

「それで殿下は俺に?」

「ええ、ロランドには護衛の一人として同行してもらいますから。その間セオドアには長期の任務にでも行ってもらおうかと」

 そう言うとセオドアはなやましげに手のひらで頭を押さえた。表向きはそばにいさせてください、が基本スタンスの彼にしてはめずらしく、迷っているらしい。もちろんコルの方は『長期の任務の方がいい』と迷いなくうなずいているが、ロランドの前ではそんなりを見せることができないようだ。

「ですが、ヴェルデに行く際毎回ロランドに任せる訳にもいきませんから、やはり僕が」

「それもそうですが、今回は何かたくらんでいるのか、たいざい中はドロテーア皇女直々に城下町を案内してくださるそうなのです。それに彼女は主役ですから、ダンスの相手等を要求されても断りづらいですよね」

「……」

 ついにセオドアは頭をかかえてしまった。しばらく待っても彼から言葉が出てきそうにないので、青い顔で私とセオドアをこうに見ているロランドへ向けて話を続ける。

「ロランドは今もまだこんやく者は決まっていませんよね?」

「え、ええ」

『昔のこともあるしな……アカルディのとして恥じない自分になるまでは……』

 私からすればとっくに立派なアカルディの騎士となっている彼は、過去の行いをかえりみていまだに婚約者を定めていないようだ。とはいえ若手の中ではセオドアに次ぐ実力があるのだから引く手数多あまたのはずだし、七歳差にはなるが妹のアンジェリカの婚約者候補の一人としても名前があがっているほどだ。なんなら私の婚約者──つまりは次期王配としても申し分ない。

 だからもしセオドアとの婚約を解消したら、次の相手はロランドが有力だろう。そうして私とロランドが婚約することになれば、アンジェリカとセオドアが婚約すれば良い。ロランドは私に敬愛をいだいてくれているし、セオドアとアンジェリカはれんあい感情ではなくともたがいに親愛を抱いている。こちらの方が丸く収まるのではないだろうか。

 考えをまとめ、改めてロランドにパートナー役をお願いしようとした丁度その時。

「でしたら──」

「エステル」

 だまり込んでいたセオドアに名を呼ばれいつたん口をざす。王女の話をさえぎったことを失礼と思うようなあいだがらではないが、そのどこか必死なこわいろに少々おどろいていると。

「セ、セオドア?」

 彼が私の足元にひざまずいたかと思えば、何気なくおろしていた手をそっとすくい取られた。

「確かに第三皇女のことは気にかかりますが……それでも、どんな理由があっても、貴女あなたとなりを誰にもゆずりたくありません」

 それが本心のはずがない。コルは全く違う思いでいるのだから。

 だけど──。

「ですからどうか、僕にパートナーを務めさせてください」

 つらそうにまゆをきゅっと寄せ、しんけんひとみで真っぐに見つめられてそうこんがんされては。

 いくら相反する彼の心の内を知っていて、それが結果的に彼を苦しめるのだとしても、それでもロランドを連れていく……とは流石さすがに言えなかった。

「──分かりました。では、よろしくお願いいたします」

「ありがとうございます……!」

 安心したように満面のみをかべたセオドア。

 これで良かったのだろうか。けれど決めてしまったものはもうどうしようもないので、微笑ほほえみ返した。

『良かった……! セオドアのうらみを買うところだった……!』

「では、自分は先に訓練にもどります! 失礼いたします!」

「ええ、がんってください」

 セオドア以上にホッとしている様子のロランドは、ばやく礼をしてそそくさと去っていく。……パートナーはセオドアに決まったが、何があるか分からない。いざという時のためにロランドの分の正装も手配しなければ、とその背を見ながらぼんやり考えた。

「先ほどロランドと楽しそうに話をしていらっしゃいましたよね。それに王配がどうとか……何をお話しされていたのですか?」

 どうやらまだ訓練に戻るつもりのないらしいセオドアは、私の手をにぎったまま立ち上がるとそう聞いてきた。まるでしつしているかのような口ぶりだが、深い意味は無いのだろう。

「ロランドが昔はいじめっ子だったのに、今では立派な騎士になって副隊長にも選ばれたなんてすごいですねと言っていたんです。そうしたら、ロランドはだれかれ構わずいじめていた訳ではなくて……という話をしていたところでした」

「……なるほど」

『あのころのことか。聞かれたくない話だったから、良かった』

 私の短い説明でもロランドが言いたかった話を察したらしい彼は、それ以上深く聞いてくることは無かった。その聞かれたくない話のしようさいを、勝手にコルから聞いてしまわないようにあわてて話題を変える。

「それよりも、本当に良かったのですか? 貴方あなたをパートナーとしてヴェルデに同行させてしまっても」

 ヴェルデに行くとなると二週間ほどの行程になる。その間ずっといつしよにいなければならないのは、彼にとってかなりの精神的負担だろう。コルだって『行きたくないけれど、ロランドの前だから仲の良いフリをせざるを得なかった……』と頭を抱えている。

 それでも彼は、何てことのないように微笑んだ。

「勿論です。僕のいないところで、他の誰かがずっと貴女の傍にいるだなんて……えられそうにありませんから」

 政略的な婚約者相手ではなく、恋人にかけるようなどこまでも甘い言葉。それが本心からのものであればどれほど良かったかと小さくかたを落とした。

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