銀河デート

庭畑

🪐

 スペースシップ搭乗の前日。

 彼は宇宙旅行への手引きをわたしに手渡してきた。

 それはB6サイズの分厚い本で、開かれたページには『イヤホン、踵のある室内履き、パジャマ、入れ歯ケース』等が載っていた。

 彼は入れ歯じゃないのでケースは省くとして、イヤホンと踵のある室内履きは無い。二十九センチのスリッパを探すのだって一苦労なのに。

 例として写真に載ってるのは……上履き? 大人の上履きなんてあるの?

「あの、これ一週間前に見せるべきじゃないの? 今から宇宙通販で頼んでも、一日届くか届かないかじゃない。最近のamznは届く日数が不安定なのよ?」

「うん、今気付いた」

「……」

 そんな脳内が鳥頭、髪の毛が鳥の巣状態で、照れ笑いされても。

 わたしはテーブルに置かれたタブレットに手を伸ばそうとして……その隣の携帯を掴んだ。

「よしっ、買い物に行きましょう!」

 現在二十二時。

「こんな時間に開いている店なんかないでしょ?」

 わたし達は賃貸アパートに住んでいる。メゾネットなので天井は別段低くない。

 しかし、百九十センチの彼が立つと『あの、設計間違ってない?』と大家さんに突っ込みたくなるほど低く見える。いえ、今頃ナイトキャップを被り、眠っている彼女は悪くないのだけど。

「大丈夫だから、今すぐそのパジャマを脱ぎなさーい」

 わたしは彼の黒いパジャマのズボンを後ろから勢いをつけて下ろした。

「わああ! 自分でやるって!」

「はい! これ、ジーンズ!」

 今度は寝室に飛び込み、こなれていない硬いジーンズを背後の彼に吹っ飛ばした。丁度股間に当たったのか身悶えているが、知らぬ。

 わたしはピンクのパジャマを脱ぎ捨て、お気に入りのピンクのパーカーに着替えた。そして寝るだけだった髪の毛を、ピンク色のサテンシュシュで一つに纏めた。

 ……はい、いい歳してピンクが好きですねと言いたいのでしょう。大家さんに話のネタにされたから、分かってます、分かってますよ。

 毎回大家さんとすれ違う時に限って、ピンクの服なんだもの。前日はブルーの服だったのに。こんな運命のいたずらいりませんっ。

 ベージュのチノパンを手に取るわたしの頭に、大きな影が掛かった。

「着替えたよー」

 緑のパーカーなんて着るから、百四十センチのわたしからは百九十センチの怪獣にしか見えない。

「靴下は」

「ほらっ、履いたよ」

 自慢げに五本指の健康ソックスを見せられた。

「……」

 ああ、出会った当初は指なんかない黒いソックスを履いていたのに、月日は無情……。

「で、どこに行くの?」

 遠い過去、マッシュヘアにパーマをキメてた、現在鳥の巣ヘアの彼が欠伸をしつつ聞いてきた。

「これよ」

 わたしは携帯を出すとアプリを呼び出し、アパートの白い壁に向けてタップした。

 壁にドアが映り込む。これはアプリを起動している限りは消えない。

「今、流行りのウォーキング通販!」

「はぁ」

「いいから、壁のボタンを押して」

 わたしに言われるまま、彼は壁に映り込んだ『ボタン』とカタカナで書かれたボタンに触れた。このダサい仕様はレビューでも評判は良くない。

 押したとたん自動ドアのように開き、中を覗き見ると暗闇に星がまたたく細い道が続いていた。

「……銀河通販」

「そうっ。二十四時間営業だし、ちゃんと手に取って買いたいじゃない?」

「もしかして最近物が増えてるのは――」

「イヤホン、踵のある室内履き!」

 及び腰な彼の背中を、というより、ほぼお尻を無理やり押して、銀河通販の中に入った。

 銀河の中を歩く。

 それは、どういう事かと言うと、そのまんま天の川の中を歩くだけ。足元は黒い地面なので、迷子にはならない。ただ天だけを見ていたら、平衡感覚を失って倒れるでしょうね。

「イヤホン見せてー!」

 わたしは銀河に向かって思い切り叫んだ。

「あの、そんなに大きく叫ばないといけないものなの?」

 指イヤホンで絶叫を防ぐ彼に、わたしは無言で微笑した。そう言えば別に叫ぶ必要はないのに、いつもの癖で叫んでしまった。shiriに叫ぶ人などいないのと同じである。

 ほどなく、一個、二個、というより無限にイヤホンが現れた。

「検索に〝イヤホン〟だけじゃ、ヘッドホンまで引っ掛かっちゃうんじゃないの?」

「い、いいの、これにしよ! 似合うよ!」

 わたしは三十センチ手前に現れた青いイヤホンを手に取った。値段は八百九十円。まぁ良しとする。

 アプリのカートボタンをクリックすると、全てのイヤホンが瞬時に消え、代わりに青いイヤホンの入った買い物カートが置かれていた。

「なんだかスーパーのカートと変わらないな」

「……」

 見た目に頓着しない彼すら不思議がるほど、灰色カートへのダサさもレビューで指摘されている。

「それより踵のある室内履きよ。本当に上履きが出たらどうしよう」

 高校生の子が履くような上履きを履いて笑う怪獣。……帰還後の笑い話になってしまう。

「お~い、踵のある室内履き来い~」

「あっ、まだ詳細検索してないのに!」

「やってみたかったんだもん」

 気持ちは分かる。

 そうして、わたし達の周囲に踵のある室内履きが大量に集まった。

「ほら、マタニティシューズなんて出ちゃった」

「理想の形なんだけどなあ」

「足のサイズを二十九センチに設定し直し!」

 女性、マタニティ、スリッパを除外除外し続け、ようやく満足のいく室内履きをゲット。柔らかすぎず硬すぎないから転倒しそうになっても、これなら安心ね。

 感触を確かめられる銀河通販素晴らしい! と、二人でただの室内履きを天高く掲げた。

 お買い上げありがとうございます、と銀河の中で機械音が響き、二人で室内に戻った。

「あのさ、気付いたんだけど着替える必要なかったんじゃないかな。誰にも会わなかったし」

「……明日に備えて寝ましょう!」

 わたしは誤魔化した。


 翌日の搭乗日。

 彼とわたしは荷物の整理に手間取りながら、ようやく発射場のステーションに辿り着いた。

「湯飲みは持った? 歯ブラシとー室内履きとー、あっ、髭剃り確認してなかった!」

「あるある、全部あるから、落ち着いてよ」

「だって向こうの売店しょぼいだろうし、髭剃りなんてなさそうだし」

「貸してくれって言う」

「百九十センチに合うパジャマを貸して下さいって?」

「なさそうだから一番に確認した」

「えらい」

 頭を撫でたくても背丈が五十センチ差なので、お腹を撫でた。お馴染みな儀式だけど、悪くは思っていないようだ。本当は広いお腹を丸太のように抱き締めたいが、流石に操縦士と医師の前では出来ない。

「……笑い話に上履きにすれば良かったな」

「え?」

「はいっ、行ってらっしゃい! 宇宙ステーションに着いたらお土産買っといてね! 絶対よ!」

「昆虫チョコになるよ?」

「いいの! 帰還の約束!」

 彼はわたしの言葉を飲み込めず曖昧に笑いながら、大きなスペースシップに乗り込んだ。

 空高く、白い雲と共に金色こんじきの光が舞い上がる。

 次のデートもまた銀河通販にしよう。

 銀河の中でデートなんて、あそこしか体験できないもの。そうしたら、今度は怪獣じゃない素敵な服を着てもらおう。あんなへんてこデートを最後になんか絶対しないわ。

 突然の難病。

 宇宙なら治るって。

 だから彼は飛んだ。わたしとの未来の為に。

 どうか、あの銀河デートが笑い話になりますように。

 後日、不気味な昆虫チョコを手にするとは想像もせず、わたしは銀河に祈った。

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