06 Dr.スズチームは月夜に夢を描く







 無事に手術を終え、じいさんは治療室へと移動した。

 スズは術後の片付けや治療院スタッフへの申し送り、シャルルを始めとする医術師連盟や教会の者とのやり取りに追われた。


「じいさんの様子はどうだ?」


 ようやくじいさんのもとを訪ねる頃には、夜8時を過ぎていた。

 その間、アズリールとマルヴィンがずっとじいさんに付き添っていた。


「バイタルサインは安定している。痛みや痺れもないようだ。話も問題なくできた」

「じいちゃんも疲れたみたいで、今また寝ちゃったよ」


 スズもじいさんの身体に手を当て、『聖者の慧眼けいがん』で体内を診る。

 体内に留置したシャントチューブもシャントバルブも、問題はないようだ。


「シャントの圧も大丈夫そうだな。2人は夕食は摂ったか?」

「あぁ。先程、交代で食べた」


 アズリールが答えると、スズはニッと笑った。


「では、軽く慰労会といこう」


 そして得意げに、ウイスキーのボトルを掲げた。






 スズは治療室の隣の休憩室に、グラスやおつまみを次々と持ち込んだ。

 「すぐ隣にいるから」と伝え、じいさんの見守りを治療院のスタッフに替わってもらった。


「この酒、どうしたんだ?」

「Dr.エリカに見繕ってもらったんだ。

 治療費を払うと聞かなかったので、代わりにいい酒を用意してほしいってな」


 持ち込んだものを窓際のテーブルに次々と並べ、スズは2人を呼び寄せる。


「あとは、これだ」

「これは……?」

「氷の製造機だ。水魔術の術式を用いて作った」


 スズが2人に見せたのは、小型の製氷機だった。

 この世界には冷蔵庫と冷凍庫のような魔術具はあるが、製氷機はなかった。


 レバーを下げると、グラスにガラガラと氷が落ちてくる。

 スズはアズリールにそのグラスを手渡し、ウイスキーを少量注いだ。


「氷を作るだけの機械か。贅沢だが……売れそうだな」


 そしてマルヴィンにも同様に、グラスを渡す。


「今すぐにでも特許申請した方が良いね。

 酒を冷やして飲むって発想はなかったけど」

「氷を入れると薄くはなるが、そのぶん長く楽しめる。あと、これもな」


 今度は水が入った瓶に、スズが手をかざす。

 『聖哲せいてつの合成』で、大気中の二酸化炭素を水に解け込ませる。

 マルヴィンは興味深そうに瓶を覗き込んだ。


「泡が出てきた……!」

CO2二酸化炭素H2O→H2CO3。炭酸水だよ。

 ウイスキーはロックも美味いが、ソーダ割りも美味い。いわゆるハイボールだ」


 アズリールとマルヴィン、それぞれのグラスに炭酸水を注ぐ。

 そしてスズは自分のグラスにも氷を入れ、炭酸水だけを注いだ。


「どうせ私は呑めん。

 じいさんのことは任せて、2人は呑んで寝るといい」


 3人は、グラスを合わせカチンと鳴らした。


「……美味い!!」

「おいしい……!! これ、これ凄いね……!!」

「だろ? レモンを加えるとなお美味いが、時期的に手に入らなかった」


 アズリールとマルヴィンは、感激した様子で声をあげる。

 2人が喜んでくれたので、スズも満足げに笑った。


 カラン、と氷が躍る。

 出会った日の夜とは違い、窓からは明るい月明かりが差し込む。


「今さら、震えてきやがった」


 アズリールはグラスを置き、左手で右手を抑えた。


 自らの手で命に携わった重みは、少しずつアズリールに伸し掛かってきた。

 助けるためとわかっていても、身体にメスを刺し、皮下をえぐった感覚が忘れられない。


 スズは眉を下げ、少し間を置き、アズリールとマルヴィンの手を取った。


「2人とも、本当に良くやってくれた」


 2人にどれほど大変な役目をになってもらったか、スズはよく理解していた。

 しかしそれ以上に、2人が覚悟を持って治療に臨んでくれたことも理解していた。


 スズの小さな手を先に握り返したのは、マルヴィンだった。


「お礼を言うのは、こっちの方だよ。じいちゃんを助けてくれて、本当にありがとう」


 病気になったじいちゃんと2人、先の見えない闇の中を歩いていた。

 スズがそれを救い上げ、もう一度光を照らしてくれた。


「それに……僕の力が、じいちゃんを救う力になれた」


 死の病の時、自分はあまりにも無力だった。何もできず、家族のほとんどを失った。

 しかし今回は、じいちゃんを救うための一助となれた。


「ほんとに……ほんとに、ありがとう」


 マルヴィンは、ボロボロと涙を流した。

 マルヴィンの手を、スズは強く握り返した。


「……俺もだ。

 これ以上ないほどの経験をさせてもらった。人を……命を預かるということがどれほど重いものか、身に染みた。

 ありがとう」


 流れに任せて医術師になり、アズリールは自分がどう生きたいのかも見えぬままだった。


 しかし、スズの言葉は驚くほど真っ直ぐにアズリールの心に響いた。

 人の生命と医学に向き合うということを、初めてちゃんと教わったような気がしたのだ。


「できることなら……この先も、この手で命を救いたい。

 もっともっと俺に、教えてほしい。どうしたら命が救えるのか、守れるのか」


 そして傲慢にも、もっと人を救いたいと思ってしまう。

 スズについていきたい、スズの知識を全てすくいとり、誰かを救う手助けがしたいと。


「僕もだ。

 なんだって作ってみせる。何個だって、何度だって作る。

 僕の能力を、人々の命のために使いたい」


 マルヴィンも、想いは同じだった。

 2人の想いを感じ取り、スズはもう一度ニッと笑った。


「奇遇だな。私も君たちにそれを頼もうと思っていた」


 3人の想いは、すでに繋がっていた。

 互いに目を合わせ、思わず笑い合った。


「やっぱり、スズは凄いな」

「お? どうしたアズにゃん、私を褒めてくれるのか?」

「知ってるか、マルヴィン。スズは、人に褒められたいから医術師になったんだと」

「あはは! 僕らとたいして変わんないじゃないか」


 月明かりに照らされて、カラン、シュワワ……とグラスが鳴る。

 穏やかで優しい、3人だけの夜。


「幼少期から褒めちぎられて育ったからな……

 医者か研究者か芸術家にでもならない限り、大人になっても褒められるってことはなかなかないだろう」

「そうかもな。じゃあ俺たちももっとスズを褒めないといけないな」

「うーん……なんかアズにゃんとマルちゃんに褒められるのはむず痒いな」

「俺もだ。スズに褒められるのはむず痒い」

「僕も」


 笑い声を上げながら、グラスをあおり。3人は、まるで永遠のような月夜を楽しんだ。








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