05 Dr.スズチームは手術に挑む





 ◆


 午前のうちに、じいさんの歩行状態、認知機能の評価が改めて行われた。

 タップテスト前と比べ、大幅な改善がみられていた。


「……今日は、手術だろ。頼むぜ」


 じいさんはまだぼんやりした様子ではあったが、状況は理解している様子だった。

 ようやくじいさんの人となりが見えるような言葉が聞かれ、スズはほっとする。


「じいさん、必ず良くなる。良くなって、家に帰ろうな」


 スズ、アズリール、それにマルヴィンが、代わる代わるじいさんとハグを交わした。





 午後になり、いよいよ手術が行われることとなった。

 アイリは手術室の隅に座り、空間を浄化するせい魔術をかける。


 じいさんに声をかけながら麻酔薬を少量ずつ投与し、全身麻酔をかける。麻酔が効いたら、じいさんを手術台に横向きに寝かせる。


 当然、生体モニター等の大型機械はないので、術中のバイタルチェックは看護師とマルヴィンに用手ようしゅ的に行ってもらう。


「準備はいいな。

 では、カルヴィン・コンラート氏の特発性正常圧水頭症とくはつせいせいじょうあつすいとうしょうに対する、L-Pシャント術を行う」


 今回はL-Pシャント術(腰椎ようつい-腹腔ふくくうシャント術)という方法をとる。シャントとは「短絡路たんらくろ」「分路」といった意味がある。


 L-Pシャント術では脊髄腔せきずいくうから、腹腔ふくくうというお腹の空間にチューブ(カテーテル)を通す。

 脳室のうしつと脊髄腔に過剰に溜まった髄液ずいえきが適切な量になるよう、余分な髄液を腹腔に流し込む水路を作るのだ。


 腹腔に流し込む髄液の量は、先日完成させた『可変式かへんしき圧調整バルブ』で調整する。


「まずは、脊髄せきずい側のチューブを挿入する」


 始めは、腰椎穿刺ようついせんしと同じ要領だ。

 第2・3腰椎の間から穿刺し、髄液の流出を確認する。

 そして、チューブの先端を脊髄腔に通していく。


「上手くチューブが入ったな。

 背部を切開し、チューブが逸脱しないよう固定具で挟んで胸腰筋膜きょうようきんまくに縫合する」


 無事にチューブの先端が脊髄腔に挿入されたので、メスで背中の皮膚を切開する。

 縫合糸で、固定具自体を胸腰筋膜という皮下の膜に固定する。


「……いいぞ、縫合は完璧だ」

「気を抜くと、引きちぎりそうだ」

「大丈夫。上手くいっている」


 チューブも固定具も、非常に小さいものだ。

 眼鏡型の拡大鏡をかけ、アズリールは丁寧に縫合していく。


「チューブとバルブを繋ぐぞ」


 脊髄腔に入ったチューブの先に、バルブを取り付ける。

 バルブの反対側には、腹部側に通していくチューブを繋ぐ。


「今度は腹部を切開して、インラインパッサーで背中から一気にチューブを通す」


 インラインパッサーというで、皮膚の下にチューブを通していく。


 通常、L-Pシャント術では背部・側腹部・前腹部の3ヶ所を切開し、中継しながらチューブを通す。

 しかし今回は、創部からの感染リスクを減らすため背部と腹部の2ヶ所の切開に留める。

 そのぶん、一気にインラインパッサーを通し切らなければならない。


「切開も上手いな。創部を拡げるぞ」


 アズリールがメスで切開した2ヶ所の創部に、スズが開創器かいそうき(術創部を広げる器具)を刺し込む。

 インラインパッサーが通るトンネルをあらかじめ掘っておくようなイメージで、深部まで剥離はくりしていく。


 看護師たちは、あまりにも生々しくグロテスクな術野じゅつやを直視しないよう、手術台からは目を背けながら仕事に当たった。


「目印のライン通りに、皮下ひか1~1.5センチくらいを通していく」

「パッサーはもう少し曲げた方が良いか?」

「そうだな」


 インラインパッサーは、身体のラインに合わせて角度をつけることができる。

 少し角度をつけ、チューブの先端をインラインパッサーの穴に通した。


「大丈夫。アズにゃんならできる」

「……よし」


 スズの声掛けに頷き、アズリールはインラインパッサーを背部の切開創せっかいそうから差し込んだ。


「そのまま腹部の切開創まで、押し込んでいく」

「結構……力技だなっ……!」

「チューブが捻じれないよう、気を付けて」


 腹部の切開部に向かって、アズリールがぐいぐいとパッサーを押し込む。

 皮下を少しずつ、パッサーが突き進んでいく。


「あれは……本当に大丈夫なの……!?」

「麻酔が効いているので、痛くはないはずだが……」

「見ているだけで背筋が凍るわ……!!」


 手術室の様子を見学しているエリカとアーサーが、眉をひそめて言う。


 事前に説明を受けており大丈夫だとわかっていても、恐ろしい光景だった。

 金属の棒が皮膚の下をうごめくようで、見ていて気持ちの良いものではないだろう。


 しかしアズリールはただただ必死で、そんなことなど考えもしなかった。


「貫通した……!!」

「いいぞ。

 チューブがズレないよう固定しておくので、ゆっくりパッサーを抜き取ってくれ」


 スズが、インラインパッサーの穴からチューブを抜き出す。

 アズリールは、インラインパッサーを慎重に皮膚の下から抜きとった。


 スズは、髄液ずいえきをせき止めていた鉗子かんしを一度外した。

 脊髄腔から腹部へと皮下を通って繋がったチューブの先から、髄液がひたひたと零れ落ちる。


「……よし、髄液もちゃんと出てくるので閉塞へいそくはなさそうだ。

 あとは筋肉を掻き分けながら、腹腔にチューブを通す」


 今回腹部側は、マックバーニー点と呼ばれる箇所を切開した。前から見ると、ちょうど虫垂ちゅうすい(盲腸)の付け根の辺りとなる箇所だ。

 そこから、腹腔にチューブを通す。


外腹斜筋がいふくしゃきん内腹斜筋ないふくしゃきん腹横筋ふくおうきんと分け入っていくと、腹膜ふくまくに到達する」


 患者が仰向けに寝ている場合は、腹腔にチューブを通す時に腸管ちょうかんを傷つけないよう注意を払う必要がある。


 しかし今回じいさんはずっと横向きのままの姿勢なので、腸管はやや下方に下がり腹膜から離れているので、そのリスクは低い。

 マックバーニー点を切開したのは、そういった狙いがあった。


 腹膜だけを慎重につまみ上げ、メスで切開する。


「大丈夫、そのままチューブを挿入していこう」


 スズは『聖者の慧眼けいがん』で腹腔内を透かし見ながら、アズリールに指示を出す。


 アズリールには当然、腹腔内の状況は見えていない。

 指先の感覚とスズの指示だけを頼りに、チューブを進めていく。


「……入った」

「よし。チューブが逸脱しないよう、確実に縫合する」


 L-Pシャント術では、挿入したシャントチューブの逸脱により再手術を余儀なくされることも多い。

 固定具を用いて、確実に筋膜きんまくに縫合する。


鉗子かんしを外すぞ」


 脊髄腔と腹腔が完全に繋がったのを確認し、スズが言う。

 アズリールは一度大きく深呼吸し、頷いた。


 スズが鉗子を外す。

 『聖者の慧眼けいがん』で見ると、チューブの中を髄液が腹腔に向かって流れていくのがわかった。


「……大丈夫だ。上手く繋がっていて……バルブも正常に動いている」

「―――良かった」


 アズリールはもう一度、大きく息を吐いた。

 スズも安堵した様子で、二度頷く。


「バイタルサインは?」

「血圧102/70mmHg、脈拍68回/分です」


 呼吸はアンビューバッグで用手的に管理している。血中酸素濃度は計測できないが、問題はなさそうだ。


「皮膚を縫合しよう」


 スズの声掛けにアズリールは頷き、もう一度術野へ向き直る。

 ひと針ひと針、丁寧に切開創を繋ぐ。


 皮膚の縫合を終え、ガーゼで保護を行った。

 アズリールは思わず、天を仰いだ。


「終わった……」


 手術室の向こうからは、拍手が起こっていた。





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