第3章 手術編

01 Dr.スズは手術室を用意する





 翌日朝早く、スズとマルヴィンは馬車に乗り込んだ。

 王都へ発ってから3日もたたないうちに戻ってきたので、マルヴィンの姉は驚いていた。


教皇きょうこう様からも承認を得た。じいちゃんを王都で治療することになったよ」

「……そう」


 マルヴィンが言うと、姉は複雑な表情で頷いた。






「どう?」


 マルヴィンとスズは、工房の裏手の水場に並んでしゃがみ込んでいた。

 作成した『可変式かへんしき圧調整バルブ』が、どんな環境でも作動するかを確認していたのだ。


「問題ない。どれも上手く作動している」

「スズの世界の人はすごいね。こんな仕組みを考えるなんて」


 この圧調整バルブは、じいさんの手術の際に体内に留置することになる。

 脳を圧迫している脳脊髄液のうせきずいえきの量を調節するバルブだ。


 現代では、体内にセットしたバルブの圧を身体の外から調節するのが一般的だ。


「しかし、魔術具を体内に入れるなんて前代未聞だよ」

「初めは圧が調整できない固定式バルブで考えていたが、魔術でコントロール可能だと気付いてな」


 この世界で一から磁気による制御の仕組みを作るより、魔石を動力源に魔術具としてバルブを作成する方が確実だった。


「身体の外から操作するってこと?」

「お姉さん。まさにそういうことだ」


 いつのまにか後方から、マルヴィンの姉が2人の様子を覗き込んでいた。


「バルブ本体をシャントという管に繋いで体内に残し、身体の外からリモコンで操作する」


 そもそも魔術具は、基本的な魔術の術式を記号化し、記号化した術式を道具に刻んだものだ。

 魔石を動力源に、その道具自体が魔術を発動できるという仕組みになっている。


「圧はステッピングモーターで10mmH2Oずつ調整可能だ。

 バルブ基盤きばんとインジケーターそれぞれに位置を示す記号を付与し、全く同じものをリモコンにも記述してある。リモコン側のインジケーターを操作することで、本体のモーターが同期して動くようになっている。バルブ基盤上のホワイトマーカーとインジケーターの位置を確認することで、CT撮影をすれば体外からも設定圧の確認が可能だ。リモコンとバルブ本体にはそれぞれを識別する記号が付与されているので同じ記号を持つリモコンからしか操作できない仕組みで……」

「もういい、もういい。最初の1行から理解できなかった」


 マルヴィンの姉はスズの説明を遮り、諦めたようにかぶりを振った。


「スズは別の世界から来たんでしょう?

 それなのによく術式を使いこなせるわね。学校では習ったけど、私はさっぱりよ」

「我々の世界では、無機物を動かすときや物質を生成するときに言語を使う。

 使う場面に応じてプログラミングと呼んだり化学反応式と呼んだりするが、結局のところは全て言語―――この世界でいう、術式だ」


 姉は理解するのを諦めたのか、「ふーん」と曖昧に相槌あいづちを打った。


「……しかし、異世界から来たなどと言うわけのわからん私を、お姉さんもよく受け入れてくれたな」

「わけのわからん私って、自分で言う?」


 スズが言うと、姉はケラケラと笑った。


「マルヴィンとアズリールが、あなたを信頼してるようだから。

 それに教皇様のお墨付きって言われたら、文句は言えないわ」


 マルヴィンの姉とじいさんには、既に今回の手術の方法を説明していた。

 姉も以前は看護師として働いていたようで、内容はざっくりと理解した様子だった。じいさんも、頷きながら聞いていた。


「大丈夫だ。じいさんを必ず無事にここに連れ帰る。約束する」


 スズの真剣な表情に、姉は「絶対よ」と頷いた。







 翌朝、スズとマルヴィンはじいさんを連れ、王都のレーベンフック家の治療院へと戻ってきた。


「いい感じだな!」

「広さはこんなもので大丈夫かね?」

「十分だ。ありがとう、Dr.アーサー!」


 アーサーに頼んでいたのは、簡易手術室の設置だ。治療室の1室を仕切り、その出入口を二重構造とした。

 中には手術に必要なベッドやキャビネットが用意されている。


 一部分には、見学用にビニールカーテンを隙間なく張ってもらった。

 ビニールカーテンはポリ塩化ビニル製で、スズが能力ギフトで合成したものだ。質量が大きかったため、さすがに合成後しばらくは動けなかった。


「その魔術具は?」

「ガラス繊維せんいで作ったフィルターとかぜ魔術を組み合わせて作った空気清浄機だ。

 手術室内を陽圧ようあつに保つことで、外部の汚れた空気が入り込まないようにする」


 せい魔術でも空気の清浄化はできるらしいが、どの程度微粒子びりゅうしを除去できているかはわからない。

 簡易的な作りではあるが、聖魔術と組み合わせて使えばそれなりに無菌状態を保てるだろう。


「じいさんの体調に問題がなければ、明日タップテストを行う」


 手術室が無事に完成したので、治療院のスタッフを集めて説明を行う。


 枢機卿すうききょうシャルル・ホーエンハイムと、医術師連盟総長エリカ・ブラックウェルも来ていた。


「タップテストとは、膨らんだ脳室のうしつと繋がっている腰の脊髄腔せきずいくうから、腰椎穿刺ようついせんしにより脳脊髄液のうせきずいえきを抜くことだ。


 脳室の膨張が軽減し脳の圧迫が緩和されれば、一時的に歩行状態が改善する。

 改善が見られれば、シャント手術の適応であるといえる」


 基本的な施術せじゅつの流れについては皆、アズリールから事前に説明を受けている。

 話の本題は、ここからだ。


「施術は私とアズリールで行い、マルヴィンと手術室看護師  オペ看  に数名入ってもらう。

 手術による感染は絶対に防がなければならない。看護師と見学者には徹底的に清潔操作を理解してもらう」


 それからスズは、医原性いげんせい感染と清潔操作の意義・方法について講義と実技を行った。

 菌とウイルスの定義から始まったスズの講義は2時間に渡り、終わる頃には聴講者は疲れ果て、スズは声が枯れていた。






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