06 Dr.スズは早朝から動き出す






 日が昇る前に、スズは目を覚ました。

 窓を開け広場の時計塔に目をやるが、外は真っ暗で時間はわからない。


 机の上のランプを点ける。

 この卓上ランプには光魔術を記号化した術式が埋め込まれており、魔石ませきを動力源として動いている。


 魔石を動力源とする『魔術具』を所々で見かけるが、まだ種類はそれほど多くないらしい。

 一般的な家庭にあるのは、ストーブコンロにランプ、浄水じょうすい装置、冷蔵庫くらいなものだとマルヴィンは言っていた。


(せっかく起きたから、作業するか)


 マルヴィンの家から持ってきたトランクを引っ張り出し、書き物を始めた。


 この世界ではまだまだ紙は貴重なものらしいので、『聖哲せいてつの合成』で木材から合成して紙を作ってきたのだ。

 スズは合成はできても成形はできないので、マルヴィンがナイフで丁寧に大きさを揃えてくれた。


「……ダメだ、インク切れか」


 集中して書き物をしているうちに、元の世界から持ってきていたボールペンのインクがなくなってしまった。

 仕方がないので手を止め、うーんと伸びをした。






 日も昇りかけていたので、着替えてアイリの様子を見に行った後、家の外に出た。

 季節は夏だが、朝の空気は程よく冷えていて気持ちが良かった。


「やけに早起きだな」


 玄関のドアが開き、振り返る前に声をかけられた。


「アズにゃん」

「それをデカい声で言うな」


 アズリールだった。

 アズにゃんと呼ぶなと言わない辺り、アズリールは優しい男だと思う。


「早く寝すぎて、早く起きてしまった」

「夕食も食べずに寝たからな。何か食うか?」

「いや、朝食の時間を待つよ」


 段差に腰かけるスズの隣に、アズリールも座る。


「さっきアイリの様子を見て来た。

 初めに比べるとエアリーク(肺からの空気漏れ)も落ち着いているので、明日の朝にはドレーン抜去ばっきょできそうだ」


 スズがこんな早朝に患者の様子を見に行っていたことに驚いたが、なるべく顔に出さないようにアズリールは「わかった」と答えた。


「あの2人は、亡命者ぼうめいしゃらしいな」

「亡命者?」

「北大陸の南東の国から亡命してきたそうだ。

 南大陸からの侵攻が勢いを増していて、2人も国を追われて逃げてきたらしい」

「そうか」


 歴史は繰り返すと言うが、やはりどの世界でも人間がやることは変わらないなと、スズは息を吐く。


「この国も、どこかと戦争をしているのか?」

「今は……そういうことはないよ。

 亡命者の受け容れは行っているけど、今は基本的に国外からの出入りを制限しているしな」

「へぇ。大きな国なのに、珍しいな」


 日本のような島国ならまだしも、大陸の半分以上を国土とするプリミジェニア王国だ。

 国外からの出入りを制限するといっても、簡単なことではないはずだ。


「スズは……3年前に王都で起こったことを、聞いたか?」

「3年前? いや、聞いていない」


 スズが答えると、アズリールは眉を寄せ、視線を地面に落とした。


「3年前……王都は原因不明の流行はややまいに襲われたんだ。

 治療も効かず病は急速に蔓延まんえんし、多くの人が死んだ。王都の人口は、半分に減ったと言われている。


 病気は国外から持ち込まれたと言われていて……それで今でも、王国内への出入りを制限しているんだ」


 ペストのような感染症か、と思ったが口には出さなかった。

 アズリールの表情から、測り知れない悲壮感を感じ取ったからだ。


「アズにゃんも……治療に関わったのか?」

「あぁ。あの時は学生も医術師見習いも皆駆り出されて対応に当たった。

 治療というか、死者の人数を数えたり死体を処理するのが仕事だった」

「……だから2人は、解剖かいぼうの経験が豊富なのか」

「そこら中、献体けんたい(解剖用の遺体のこと)だらけだったからな」


 マルヴィンの家で話していた時、2人が驚くほど人体解剖学に精通していたため理由を尋ねてみたのだ。

 すると2人は、「解剖の経験だけは豊富なんだ」と話していた。


「マルヴィンの村は……初期の頃に病が流行り、特に被害が酷かった。

 マルヴィンの家族で残ったのは、姉さんとじいさんだけだ」

「それでマルちゃんは、医者になるのを辞めたのか?」

「あぁ。実務経験が足りないので、今もマルヴィンは医術師見習いのままだ」


 スズは、昨日のマルヴィンの涙の理由がようやく理解できた気がした。

 マルヴィンにとってじいさんは、悲しみを共に乗り越えた大切な存在なのだと。


「スズ、君なら……あの病を、治せたか?」


 マルヴィンが、控えめに尋ねる。

 スズは珍しく「うーん……」と言葉を選びながら答えた。


「……どうだろうな。難しいところだが、少しは犠牲を減らせたかもしれないな」


 病原体びょうげんたいが何であるのか定かでないため、断言はできなかった。

 細菌性であれば抗生物質が効くが、ウイルス性であれば対症たいしょう療法(症状そのものに対する治療)しかない。

 病原体がまったく未知の真菌しんきんや寄生虫という可能性もある。


「我々の世界ではそういうたぐいの病気を、感染症や伝染病と呼ぶ。

 虫や動物を介して感染したり、人間同士、水や食べ物を介して拡がったり、空気感染するような病気もある」


 アズリールは視線を落としたまま、スズの話を聞いている。


「しかし、人間はそういう病気と戦い、あらがい、打ち勝ってきた。

 何世代もかかるかもしれないが、諦めずに挑み続ければどんな病にもいつか勝てると、私は信じている」


 スズが言うと、アズリールはようやく顔を上げる。

 スズはニッと笑って、アズリールの頭をぽんぽんと撫でた。


「アズにゃん、私が世界を変えてやる。

 そんな暗い顔をするな」


 あまりにも頼もしいスズの言葉に、アズリールはなんだか力が抜けてしまった。


「君は本当、かっこいいな。チビッ子のくせに」

「ふん、アズにゃんに24歳の私のダイナマイトボディを見せられないのは非常に残念だ」

「ははっ! 15年後に期待している」


 アズリールが笑ったので、スズはほっとして立ち上がる。


「すまん、やらねばならんことが増えた。申し訳ないが朝食は部屋まで運んでくれないか」

「えっ? それはまぁ、構わないが……」

「出発の時間が決まったら教えてくれ。あぁ、あとインクとペンを貸してくれ」

「何をする気だ……?」


 それからスズは部屋にこもり、アズリールに借りたインクとペンで書き物を再開した。

 アズリールが再び部屋に迎えに来た時には、用紙100枚にも及ぶ大作が出来上がっていた。






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