05 Dr.スズは眠りにつく





 エリカの意見は、もっともだった。


 思想も宗教も、皆違う。

 自分の命がおびやかされても、信仰する宗教のために輸血を拒否する者もいる。


 自ら死を選ぶ者、安らかな死を望む者、最期まで抗う者。

 どう生きたいか、どう死にたいかという考えは、命の数だけ在る。

 自分の行いが絶対だと思ってはならない。


「我々の世界では、じいさんのような症状―――あなた方の言うけという症状を、認知症と呼ぶ」


 考えが無数にあるからこそ、患者や家族の想いを理解し尊重しなければならない。


「認知症は本人の責任ではない。感情を失ったわけでもない。しかしコントロールが効かない。家族にも迷惑をかける。

 まるで閉じ込められた狭い部屋に居るような、そんな感覚ではないかと……私は思っている」


 答えがない時もある。だからこそ、覚悟が要る。


正常圧水頭症せいじょうあつすいとうしょうは特殊な病気だ。認知症状はあるが、治療をすれば治るんだ。


 ……もしかしたら、手術オペをしても数年後には寿命で死んでしまうかもしれない。

 それでも、今のままわけもわからず死んでしまうのではなく、愛する家族が傍にいることを理解して誇りを持って死んでほしい。


 私はそれこそが、じいさんのためだと思っている」


 スズの言葉を聞いて、マルヴィンは思わず身を乗り出した。


「じいちゃんはっ……」


 声を出した瞬間、マルヴィンの目から涙が溢れ出た。

 驚いて、マルヴィンは袖で涙を拭う。


 この数年で国民の多くが命を落とし、大切な人を失った。

 つらいのは自分だけじゃない。そう思ったからこそ、耐えてきた。


「じいちゃんは……新しいものが大好きで、実験や発明を生きがいにしていて。

 失敗を重ねながら、たくさんの魔術具まじゅつぐを開発しました」


 マルヴィンも、じいちゃんと共に苦しみを乗り越えた。

 そんなじいちゃんが、おかしくなってしまった。


 じいちゃんがじいちゃんじゃなくなっていく様を見るのは、苦しかった。

 大好きなじいちゃんの誇りを忘れていくような感覚が、怖かった。


 誰もが「仕方ない」と言う中、たった一人スズだけが、じいちゃんを助けてくれると言ってくれた。


「今は自分で判断できる状態じゃないけど……もし正気だったら絶対『手術を受ける』って言うと思うんです。

 『ダメならダメで、運よく生きてりゃだ』って……言うと思う」


 溢れ出る涙を抑えきれず、最後は嗚咽おえつとなって出てきた。


 スズは珍しく眉を下げ、マルヴィンを見上げた。

 マルヴィンが机に突いた左手を、ぎゅっと握る。


「……よくわかったわ。

 医術師いじゅつし連盟総長として、私はあなた方の考えを全面的に支援します」


 エリカの言葉に、スズとマルヴィンは目を丸くした。

 エリカはふんっともうひとつ息を吐く。


「ただし、最終的な判断を下すのは教皇きょうこう様と王室よ。

 連絡を付けておくから、明日魔術師登録と教皇様の謁見えっけんに伺いましょう」


 交渉は成功した。

 スズとマルヴィンは、ハグしたくなるのを必死に抑えた。


 すると、応接室のドアがコンコン、とノックされた。

 入ってきたのは、アーサーの治療院のスタッフだった。


「Dr.アーサー。衛兵えいへい団が、事故に遭った女性に話を聞きたいと来ていますが……」


 アーサーは肩をすくめ、スズに目線を送る。

 スズは立ち上がり、アーサーの代わりに返答した。


「母親の方は構わない。アイリは今日は安静にしていた方が良いだろう。話を聞くなら明日以降だ」

「しょ、承知いたしました」


 スズが返答するとは思わなかったようで、スタッフは驚いた様子で部屋を出て行った。


「……積もる話ばかりだがDr.スズ、君は少し休みなさい。

 Dr.スズとマルヴィンは、今日のところはうちに泊まると良い」

「しかし……」

「患者に何かあれば起こす。安心して休んでくれ」


 有無を言わさぬ様子で、アーサーは言った。


 アーサーの言葉に甘え、スズは用意してもらった部屋のベッドに飛び込んだ。

 そして一瞬のうちに、意識を手放した。






 ◆


「私は反対です!!」


 枢機卿すうききょうシャルル・ホーエンハイムの声が、大聖堂に響く。

 教皇ジョバンニ・メディチは、固く結んだ唇をさらにぎゅっと締めた。


「異世界から来たなどという異端いたんの者を、神聖なる医術師いじゅつしとして認めてしまっては教会の権威にかかわります!」


 シャルルは、医術師連盟・副総長のアーサー・レーベンフックから受けた連絡を直ちに教皇へと伝えた。


 異世界から来たという少女がせい魔術を扱い、未知の医術を以て患者の治療を行った、と。


「しかし、彼女が聖魔術の使い手であれば、八神はちしん教会としては彼女を受け容れなければなりません。

 七神しちしんからの能力ギフトを粗末に扱うようなことは、決してできませんから」

「それはそうですが……!!」


 教会の考えとして、能力ギフトを賜った者は七神の神子みこと同等に扱われる。

 それがたとえ異国の者や異教徒の者であっても。


「長く続く乱世の中、教会が亡命者を受け入れることも正式に決まりました。

 信教の違いで他者を区別することは八神様の御意志に反すると、そういう話になったではありませんか」

「それとこれとは別の問題です!

 死のやまいが国外からもたらされたことは明らか……それにも関わらず、聖魔術が使えるからといって得体えたいの知れぬ者を医術師連盟で受け容れるなど……!!」


 そこまで言ってようやく、シャルルは余計なことを口走ってしまったことに気付いた。


「シャルル。

 あなたはまさか、【聖愛の女神サンクリディア】の選択を疑うというのですか?」

「め……滅相めっそうもございません」


 七神の中でも、【聖愛の女神サンクリディア】は特別な存在だ。

 国に安寧あんねいをもたらす象徴であると言われており、数多の魔術師の中でもその神子みこである聖魔術師は、最も神聖な存在である。


「シャルル、あなたの気持ちもよくわかります。

 あのような悲劇を繰り返したくないのは私も同じです」


 地獄のような王都の光景を思い出し、教皇は目を細めた。


「まずは彼女の人となりを見てみようではありませんか。もしかしたら、【聖愛の女神サンクリディア】がもたらした救いの神子かもしれませんよ」

「…………だと良いのですが」


 教皇の言葉に、シャルルは諦めた様子で首を垂らした。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る