03 Dr.スズは饒舌に語る







 一命を取り留めたアイリは、すぐにアーサーの治療院に運ばれた。


「肺は膨らんではいるが、空気が漏れなくなったわけではない。肺の穴が塞がるまでは、しばらく胸腔きょうくうドレナージを行う」


 スズの指示で治療院のベッドにクッションを重ね、アイリの上半身ができるだけ起きるようにセッティングする。


 胸腔きょうくうドレナージは、再び胸腔内に空気が貯まらないように持続的に空気を抜き続ける手技のことだ。


「まずは局所麻酔きょくしょますいを行う。麻酔が効いてきたら、1cm程度切開せっかいして……」


 スズはアズリールに手技しゅぎを説明し、時折手伝ってもらいながら胸腔ドレナージを行った。

 縫合だけは、アズリールに行ってもらった。


「やっぱりアズにゃ……アズリールは器用だな。私はこんなにキレイに縫えない」

「いきなり縫えだなんて、無茶振りもいいとこだよ」


 念のために、救急処置ができるような器具を作成しておいてよかった。

 ドレナージ用のドレーンバッグも、スズが設計しマルヴィンが作成したものだ。

 仕組みは比較的簡単で、手動式の吸引器を操作することで一定の強さで陰圧いんあつをかける装置だ。


「あとは空気の出入りを確認しながら、肺に開いた穴が塞がるまで管理する。

 人によっては数日かかることもある。これからのことは後ほど話し合おう」


 アイリは肋骨ろっこつの骨折もしていた。

 転移てんい(折れた骨同士が大きくずれること)はないため、外固定がいこていでの保存療法でそのうち骨はつくだろう。


「アイリ、胸の痛みや呼吸困難感……些細なことでも不安になったら呼んでくれ。

 お母様、あなたもだ」

「ありがとうございます……!!」


 スズの言葉に、アイリは微笑を浮かべ頷いた。

 アイリの母親は涙を流し、改めてスズの手を握り頭を下げた。







「まずは目立つ出血(開放性かいほうせい創傷そうしょう)がないことと、呼吸状態の確認をした」


 アイリに対する処置が一旦落ち着くと、アズリールの父・アーサーからの質疑応答が始まった。


 アーサーの治療院の医師や看護師からも遠目に見つめられながら、スズはアーサーに説明を行う。


「チアノーゼ……唇や指先が青紫色となっていたことや、頚静脈けいじょうみゃく怒張どちょうが見られたため、心臓に問題が生じていると判断した」

「ドチョウとは?」


 アーサーに問われ、スズは自身の鎖骨さこつと耳たぶの間あたりを指さした。


「ここを通る首の静脈が、大きく膨れ上がることだ。

 全身から戻ってきた血液を肺に送り出す右心うしん(心臓の右側)がうまく働いていない時の徴候ちょうこうだ」


 アズリールとマルヴィンは解剖かいぼう学の本を開きながら、スズの話に聞き入っている。


「母親の話から、受傷じゅしょう直後は話せていたが徐々に意識レベルが低下したことが確認できた。そして、胸が痛いと言っていたとの情報も。


 本来ならここからまだまだ確認すべきことはあるが、せい魔術のおかげで全てはぶくことができた」


 使った能力は『聖者せいじゃ慧眼けいがん』───スズがたまわった、もう一つの能力ギフトだ。


「聖魔術で……何がわかったのだ?」

「私の能力ギフトは、体内をかして見ることができるというものだ」


 アーサーの問いに、スズは複雑な表情で答える。

 命を救うためとはいえ、この能力に頼らざるを得ない自分が情けない。


「アイリの胸部を見たところ、右肺がしぼ胸郭きょうかくの中心が左に寄っていた(縦郭偏位じゅうかくへんい)。

 そのため、緊張性気胸きんちょうせいききょうによるショックを起こしかけていると判断した」

「キンチョウセイキキョウ……」


 アーサーは眉根を寄せ、困ったようにあご髭を引っ張る。


「そもそも肺は右と左に分かれていて、それぞれが胸腔きょうくうという閉じられた部屋の中にある」


 スズはアズリールから解剖学の本を借り、胸部の解剖図を見ながら説明を始めた。


「肺に穴が開き、胸腔内に空気が漏れることを気胸ききょうという。

 それだけでは緊急性はないが、まれにその穴が『チェックバルブ(一方向弁いちほうこうべん)』という状態になることがある。

 息を吸う時には肺から空気が漏れ、息を吐く時にはその穴が閉じてしまう現象だ」


 アイリは馬車にかれ肋骨ろっこつを骨折し、その衝撃で肺に穴が開いたのだろう。

 そして不運にも、開いた穴に『チェックバルブ』ができてしまった。


 アズリールは理解したようで、顔を上げて言う。


「……そうか。そうなると息を吸うたびに胸腔きょうくう内に空気が貯まっていくということか」

「そうだ。

 空気が貯まり、胸腔はどんどん拡がる。拡がった胸腔は、心臓を圧迫する。

 我々がアイリに気付いたのは、ちょうどその頃だったのだろう」


 受傷じゅしょう後まもなくは話せていたアイリだったが、胸腔に空気が漏れるにつれ徐々に呼吸が苦しくなっていったようだ。


「その状態が続けば、心臓は圧迫されて動けなくなる。心臓が動けなくなれば、死んでしまう。

 それを防ぐための救急処置として、胸腔穿刺きょうくうせんし(胸腔に針を刺すこと)を行い空気を外へ逃がした」

「あの……あの数秒で、それを判断したというのか?」

能力ギフトの恩恵も大きいが……そうだな、能力ギフトがなくとも2分以内には判断し胸腔穿刺きょうくうせんしを行っただろうな」

「2分だと……!?」


 元の世界でも、緊張性気胸きんちょうせいききょうは一刻を争う病態だ。

 精査のためとCT撮影などを行えば、その間に患者は死んでしまう。


「ガイドラインのようなものだ。受傷の状況やバイタルサイン、視診、触診等でショック状態の原因を絞り込んでいく。


 胸が痛いというだけでも、気胸ききょう以外に胸腔内出血やしんタンポナーデ、フレイルチェスト、心不全、内臓損傷など可能性はいくらでもある。


 その前提を理解したうえで、気管の偏位へんいや呼吸音の左右差、患側かんそく鼓音こおん(胸郭を叩いた時の特徴的な音)などの特徴がみられれば、まず間違いなく緊張性気胸だろうと判断し胸腔穿刺を行う」


 基本的には緊張性気胸の所見さえみられれば、医者は胸腔穿刺やドレナージで空気を抜く(脱気だっき)。

 穿刺せんしして上手く空気が抜ければ、「やはり緊張性気胸だった」と診断できるというものだ。


 アーサーはもはや、聞くべきことが思いつかなかった。

 いや、聞きたいことは山ほどあったが、あまりの知識の差に圧倒されて言葉を失っていたのだ。


「文句のつけようがないわね」


 周囲で見ていた治療院のスタッフの中から、女性の声が響いた。

 整った身なりをした、40代後半頃の白髪まじりの女性だった。


「すまん、君を呼び寄せたことを忘れていた」

「良いの。説明は全て聞かせてもらったから」


 アーサーが頭をきながら謝るが、女性は気にしていない様子だった。


 つかつかとスズの前まで歩み出て、スズに握手を求める。


「エリカ・ブラックウェル。医術師いじゅつし連盟の総長よ」

「2番目に偉い人……!」


 スズが思わず言葉を漏らすと、エリカは苦笑いを浮かべた。






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