02 Dr.アーサーは驚嘆する





 ◆


 医術師いじゅつし連盟・副総長、アーサー・レーベンフックは困惑していた。


「あなたがアズリールのお父上か。わざわざ迎えに来て頂き、感謝申し上げる」


 礼儀正しくお辞儀をしたのは、10歳にも満たないような少女だった。

 真っ白なロングジャケットのような服を羽織はおった少女は身体つきも華奢きゃしゃで、なんだか頼りなかった。


「君が……Dr.スズかい?」

「あぁ。なにぶん、この世界についてはわからないことばかりだ。迷惑をかけるかもしれないがよろしく頼む」

「息子を……アズリールを救ってくれたと聞いた。本当にありがとう」

「当然のことをしただけだ」


 しかし話しぶりだけは、堂々たるものだった。


(アズリールと同年代で、医術の発展した異世界から来た医術師で、せい魔術を使える……)


 それが本当であれば、国賓こくひん級のもてなしをしなければならない。

 なんせ今この国は医術師不足にあえいでいるうえ、貴重なせい魔術師であれば尚更だ。


枢機卿すうききょうがどうお考えになるかはわからんが……)


 異世界から来たなどという異端いたんを枢機卿がどう考えるかは不明だが、今の教皇きょうこう様であれば受け容れられるだろう。


「アズにゃ……アズリールの家は、この近くなのか?」

「スズ……本当に蹴り飛ばすぞ?」


 アズリールは末子ではあるが非常に優秀な子だ。分別もわきまえている。


 そのアズリールが、この少女を迎えるためにわざわざ父親であるアーサーを連れ出した。

 アズリールは直感的に、この少女を味方につけた方が良いと感じているのだろう。


「マルヴィン、久しぶりだな。どんな調子だ」

「アーサーさん、僕は相変わらずです。いつもじいちゃんのこと、気にかけてくださってありがとうございます」

「当然のことだ」


 マルヴィンのことは特に気掛かりだったが、実家の工房に戻ってからは十分な支援もできぬままだった。

 この数年はアーサーもマルヴィンも、とにかく自分たちのことで手一杯だったのだ。


 レーベンフック家の自宅けん治療院に着くと、何やら治療院の前が騒がしかった。


「……師を! 医術師を呼んでくれ!!」

「アイリ、アイリっ!!」


 馬車の御者ぎょしゃらしき男が、治療院の門を叩いている。

 馬車の荷台では、女性が必死に声を上げている。


「女の子が馬車にかれたんだ!!」


 御者の声に、アーサー達は急いで駆け付け荷台を覗いた。


 10代後半頃の少女が、苦しげに呼吸をしている。その横で母親らしき女性が、少女を腕に抱き懸命に名前を呼んでいる。


「すぐに治療院の中へ……」

「アイリ、どこが痛い? 話せるか?」


 アーサーが言いかけたが、スズはそれよりも早く荷台に飛び乗った。

 少女に声をかけ、少女の服のボタンを外す。


「ヒュッ、ヒュッ……」

「胸が! 胸が痛いって言ってました!!」


 少女は苦し気に浅い呼吸を繰り返すだけで何も答えず、母親が代わりに返答した。


「脈拍上昇、血圧低下、チアノーゼ……かすかに頚静脈けいじょうみゃく怒張どちょうもみられる」


 手首に指を当てながら呟き、全身に目をやる。


 かと思うと反対の手を、少女の上半身にかざす。

 するとその手は、乳白色の光を放った。


「これがせい魔術……!」


 アーサーは驚き、思わず声を漏らした。アーサー自身、聖魔術を目にしたことは数えるほどしかなかった。


緊張性きんちょうせい気胸ききょうだ」


 そしてスズは一言、そう呟いた。


「なんだ、それは……!」


 アーサーは眉根を寄せながら言った。

 スズはマルヴィンが抱えていたトランクを受け取り、早口に答える。


鈍的どんてき外傷により肺が傷つき、胸腔きょうくう内に空気が漏れている。

 そのため心臓が圧迫され、閉塞へいそく性ショックを起こしかけている」

「ど、どういう……」

「すまん、説明はあとだ。

 処置をしたいので馬車から馬を外してくれ」


 御者はすぐに馬具ばぐを操作し、馬車本体から馬を離した。


 スズは手早くトランクを拡げると、手袋を装着した。


「お母さん、私は医者だ。せい魔術も使える。

 いまアイリを救うには、胸に貯まった空気を抜くしかない」

「待て待て! 君はまだ医術師免許は……」


 もはやアーサーの制止の声は、スズには届いていなかった。


「一刻も早く空気を抜かなければ、心臓が動かなくなりアイリは死んでしまう」

「そんな……!!」


 母親が両手で口元を覆う。

 スズは選び取った1本の長い針を母親に見せながら、言った。


「この穴の開いた針を、胸に刺す。そうすると胸に貯まった空気が抜ける。

 空気が抜ければひとまず呼吸ができるようになり、心臓への圧迫も軽減する」


 スズの表情は緊迫していたが、声色は驚くほどに優しかった。


 母親は困惑したように少女を見遣る。

 スズを見つめていた少女の虚ろな目が、一瞬光ったように見えた。

 少女は苦しげな表情のまま母親を見返し、頷いた。


 母親はほんの1、2秒押し黙り、頷きながらスズに答えた。


「……お願いします。アイリを救って」

「わかった」


 母親の言葉に、スズは唇をぎゅっと結んで頷いた。


「マルヴィン、念のためドレーンバッグの用意を」

「了解!」


 マルヴィンに指示を出しながら、スズは少女の胸元を湿らせた綿布めんぷぬぐう。

 そして手をかざし、聖魔術を発動させる。


 マルヴィンが心配そうに見つめながら声をかける。


「だ、大丈夫なのか……」

「間違わずに刺すだけのことだ。

 それに聖魔術のおかげで、穿刺せんし部位がよくわかる」


 そしてスズは迷いなく、少女の胸に針を突き刺した。

 群衆も、固唾かたずを飲んで見守っている。


 針が深く入り込むと、皮膚の上に突き出た針の末端からシューッと空気が漏れ出てくる。


「アイリ、聞こえるか。呼吸できるか」

「ハッ……は、……」


 浅くなっていた少女の呼吸が、少しずつ深くなる。


「上手だ。しっかり息を吸え」


 スズは確認するように聖魔術を発動させながら、優しく語りかける。


「胸の空気は上手く抜けた。

 心臓の圧迫も解除され、血液はちゃんと循環じゅんかんしている。窮地きゅうちは脱したよ」

「良かった……!!」


 母親は、少女の手を握り涙を零した。

 少女の呼吸が落ち着いたのを見て、群衆も大きな拍手と歓声に沸いた。





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