07 Dr.スズは身震いする





 あまりマルヴィンを質問攻めにしていては迷惑だろうと思い、スズは家の外で時間を潰すことにした。


 辺りは薄暗かったが、家の灯りのおかげで周囲の様子は見える。

 家の灯りも、魔術具のようなものだろうとスズは考えた。


 敷地内には数匹のヤギと鶏が飼われていた。大きくはないが、畑もある。

 街からは離れているようだし、マルヴィンはここで自給自足に近い生活を送っているのだろう。


(『聖哲せいてつの合成』か……)


 スズは玄関の前にしゃがみこんだ。


 せい魔術とやらをどうやって発動させるのかわからなかったが、先ほどと同様に経口補水液を作るイメージを浮かべた。


 しかし、何も起こらなかった。


「さっきは材料が揃っていたから合成できたのか……?」


 魔術の世界にも、質量保存の法則が当てはまるのかもしれない。

 辺りを見回し、ここにあるもので合成を試せないかと考えた。


「いま私が欲しいもの……」


 聴診器、血圧計、メモ用紙……いや、それよりも、手っ取り早く現代医学の正しさを見せつけられるものが欲しい。


 工房の裏手には川と、その脇にはごつごつとした岩の斜面があった。その中に、特徴的な岩を見つける。


蛇紋岩じゃもんがんがある……

 ここの土壌にはニッケルとクロムが含まれてるかもしれないな」


 蛇紋岩じゃもんがんのある土壌や蛇紋岩そのものには、レアメタルであるクロムやニッケルの成分が含まれていることがあると文献で読んだ記憶がある。

 白衣のポケットに入れたままの小銭にもニッケルは含まれているが、それは使わずにとっておきたい。


「まずは純鉄じゅんてつをイメージ……」


 高純度の鉄の温度をあげると、その結晶構造がγガンマ鉄に変わる。

 さらにその結晶構造の中に炭素やクロム、ニッケルを一定の割合で入り込ませ、高温で熱しつつ固溶こようさせ……


 スズの手が白く光った。

 周囲の土壌や岩場から、鉄やクロムなどの素材が集まり徐々に形を成していくのがわかる。

 そしてほんの2cm角ほどの、金属の塊ができた。


「これが……『聖哲せいてつの合成』の力……!」


 オーステナイト系ステンレスこう

 いわゆるステンレスのことで、一般的な注射針に使われる合金ごうきんのひとつだ。


「こんなチート能力……あって良いのか……?!」


 ステンレス鋼が実用化され始めたのは、1900年代の初頭。

 中でもオーステナイト系ステンレス鋼は、腐食しにくく医療器具にも多く使用される金属だ。


 本来なら、溶解や製錬のために専用の大型機械が必要なもの。

 ましてや、熱による結晶構造の変化まで再現できてしまうなんて。


「いや……あり寄りの……ナシだ!!」


 科学の進歩に身を尽くしてきた賢人たちを愚弄ぐろうするかのような魔術。

 ナシだ。どう考えてもナシなんだ……!


(しかし今は……この能力に頼らざるを得ない……!!)


 許しがたい愚行ぐこうであったが、捉え方を変えよう、とスズは自分に言い聞かせる。


 スズはいま、過去にタイムスリップしてしまったようなものだ。

 もしも能力なしに送り込まれていれば、更に悶々と生きる羽目になっただろう。


 幸いだったのだ。

 そう思えば、この能力はたしかに「ギフト」と言える。


(与えられた能力ギフトで医学を発展させながら、いずれ能力ギフトを超える科学文明を築く……!!)


 さすれば、やるべきことはひとつ。


「この能力で、どこまでできるかの確認だ」


 今度は難易度を更に上げる。

 プラスチックのひとつであるポリプロピレンの合成だ。


 プロピレンの重合体じゅうごうたいであるポリプロピレンは、配位重合はいいじゅうごう触媒しょくばいを用いて化合物をつくること)によってようやく得られる。


 ポリプロピレンのもとになるプロピレンは、石油を加熱分解する過程でできる可燃性ガス。


 つまり通常は、石油など元になるものがなければプロピレンの生成はできない。


(分子式C3H6、構造式CH2=CH-CH3……)


 ただし、プロピレンを構成する元素は炭素C水素Hである。

 それぞれ分子構造に含まれる形では大気中に存在している元素だ。


 ここからはもはや、科学ではない。スズの手が、乳白色に光を放った。


(高エネルギーを付与し炭素Cイオンと水素Hイオンを生成、炭素Cの二重結合にメチル基CH3水素Hイオンを結合しプロピレンを生成、三塩化チタンTiCl3を触媒に立体規則性のあるアイソタクチック重合にてポリプロピレンを合成)


 科学者にとっては、神の御業みわざだった。

 イオン化の状態では通常存在しない炭素C水素Hを無理矢理イオン化させ物質を生成するなんて、こんな無駄なことは普通しない。


「しかし、できてしまった……」


 ポリプロピレン  PP樹脂  が完成してしまった。

 喜びよりも恐ろしさが勝ち、思わず身震いした。


(なんてものをさずけられてしまったのか……!!)


 原料が無くとも分子構造がわかればなんでも合成できてしまう。

 それはつまり、ダイヤモンドのような希少な鉱物や、それどころか人体の細胞ですら合成してしまえるだろうということだ。


「この能力ギフトは、簡単にさらしてはいけない……」


 神をも凌駕りょうがするような恐ろしい能力を授かったことに、スズは再び身震いした。






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