08 Dr.スズは不器用である






 気持ちを落ち着かせ家の中へ戻ると、アズリールが飲み物の準備をしていた。


「アズリール。起きて大丈夫なのか?」

「あぁ。よく寝たからな」


 炊事場の脇にテーブルと椅子が置かれており、出来上がった食事をマルヴィンが並べている。


「小麦のパンに野いちごのジャム、野菜と卵のスープ、ニシンの燻製くんせい

 今日はスズの歓迎会だから奮発したよ」

「なんてことだ、ありがとう! こんなにバランスのとれた食事は久々だ!!」


 日々インスタント食品ばかりだったスズにとっては、非常に豪勢な食事だった。

 じいさんを含む4人で、テーブルを囲む。


八神はちしんよ、あなた方は今宵もかてをお与えくださいました。

 今日も我々をお導きくださったあなた方のいつくしみに感謝いたします」


 アズリールとマルヴィンが祈りの言葉を唱えた。


七神しちしんもんだったり、八神への祈りだったり……いまいちハッキリしないな)


 そう考えながらもスズは、2人に合わせて手を組んだ。


「アズ、酒はどうする?」

「今日は呑まないと寝られそうにない。少しいただくよ」


 マルヴィンが、赤ワインのような酒をアズリールのグラスに注ぐ。

 アズリールは回復している様子だが、油断は禁物だ。


「水も併せて飲めよ。また脱水になる」

「あぁ。少しだけ吞んだら辞めるよ」

「では私も……」


 スズの言葉に、アズリールは素直に頷いた。

 そして流れにまぎれてスズもグラスを差し出すが、マルヴィンは酒ではなくミルクのようなものを注いだ。


「スズ、君にはヤギ乳だ」

「なぜ! 私も飲みたい!!」

「実際がどうかは知らないけど、君はどう見ても10歳前後だよ」

「そ、そんなぁ〜……」


 項垂うなだれるスズのグラスに、マルヴィンが「乾杯」とグラスを当てる。

 アズリールとマルヴィンもグラスを鳴らし、アズリールはごくごくと酒をあおって言う。


「スズは酒が好きなのか?」

「好きさ。酒が入れば、もっとお喋りになるぞ!」

「いま以上にか」


 酒が入り少し気分が良くなっているのか、アズリールもやや饒舌じょうぜつになっている。


「夜は長い。いくらでも話は聞いてやるから、酒は我慢しろ」


 アズリールがニッと笑った。

 スズは初めて、アズリールの笑顔を見た。


「アズリールは、意外と優しいんだな」

「意外とは余計だ」


 そう言ってアズリールはもう一度グラスをあおった。





 


 マルヴィンの料理はどれも美味しかった。

 スズは酒がなくとも十分お喋りで、この世界について2人に惜しみなく質問をした。


 じいさんは先に寝てしまったので、テーブルを部屋の隅の窓際に寄せて3人で囲んで座った。

 昼間は暑かったがいまは夜風が涼しく、川の流れる音と虫の声が静かに響いている。


「実は魔石ませきストーブは、じいちゃんの発明品なんだ」

「なんと!!」


 魔術具まじゅつぐの話になり、マルヴィンはほろ酔い顔で言った。


「魔術具自体、この数十年で生まれた新しい技術なんだよ。

 じいちゃんは真っ先にそれに飛びついて、ストーブを開発した」

「じいさん、凄い人物じゃないか!!」

「じいちゃんが魔術師まじゅつしだからっていうのもあるけど」


 魔石ストーブが開発されるまでは当然ながら、薪で火をおこしてかまどで調理をしていたらしい。


 新しいもの好きで根っからの職人気質だったじいさんは、時間のかかる調理の火付けを楽にしたいと魔石ストーブを開発したようだ。


「魔石ストーブの特許も取ったし、工房の経営なんてしなくても暮らすに困らないくらいのお金は入ってくるんだけど……どうしてもここは潰したくないって言ってさ」


 この世界には既に特許のシステムがあるらしい。どうりで、田舎暮らしにしては豊かな生活をしていると思った。

 マルヴィンはテーブルに肘をつき、スズを見遣る。


「……スズ。じいちゃんは、治療をしなければどうなるんだ?」


 そう言われてスズは、姿勢を正す。


「何もしなければ、徐々に病状は進行する。

 数ヶ月後には寝たきりとなり、反応もさらに鈍くなり……そのまま死を待つのみだろう」


 マルヴィンは眉根を寄せた。

 家族のために、工房のためにと働いてきたじいさんが、まさかこんな最期を迎えるとは思わなかったのだろう。


「じいちゃんは……治療をすれば治るのか?」

「いま治療を始めれば、歩行障害はほぼ治る。

 排尿障害、認知障害は完治とはいかないかもしれないが、今よりはうんと良くなる」


 スズは、下唇を噛んだ。複雑な想いで、口を開く。


「きっと今よりは幸せに、楽しく生きられる」


 本当なら、治療を受けるかどうかの選択は本人がすべきものだ。

 しかし、正常圧水頭症せいじょうあつすいとうしょうの患者の多くは、自分で決めることはできない。

 病名がはっきりする頃には、認知障害が進行し判断できないケースが多いからだ。 


 本人が判断できなければ、家族が決めるしかない。

 「すぐに手術してほしい」と言う家族もいれば、精査のための脳画像診断さえ受けさせない家族もいる。


 当然、検査ひとつにもお金がかかるので、本人の判断力が低下していて家族が「検査しない」と言えば、病院側にできることはない。

 病状が進行するのを、見守ることしかできない。


「そっか」


 マルヴィンが零すように言うと、アズリールがマルヴィンの肩を優しく叩いた。

 マルヴィンは顔を上げ、控えめに言う。


「じいちゃんは、絶対『治療を受けたい』って言うと思うんだ」

「……あぁ、じいさんならそう言うな。絶対に」


 マルヴィンの言葉に、アズリールも頷いた。アズリールにとってもじいさんは、既知きちの仲だったようだ。


「治療のためには、道具と薬剤を揃えることが先決だ。

 しかしそれらが揃ったところで、一番の難点がある」


 そう。

 ここまで偉そうに言い並べておきながら、2人に話していないことがあった。


「私が不器用ということだ。手術オペは苦手なんだよ」


 スズは申し訳なさそうに項垂れた。







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