第4話
「それで君は、私に他の女との乳繰り合いを話して、何がしたいんだい?」
目を尖らせそう口にした近衛に、弘は首を捻った。
休日明けの三限目の途中。なんとはなしにサボったあと、同じようにぶらぶらしていた近衛と合流して、屋上前に設けられた扉の前まで来た。鍵は開いていなかったが、近衛のどこで身につけたかわからないピッキング技術によって、難なく侵入できた。
普段は入れない屋上へ二人だけ入っている。字面だけ見れば、なかなか乙な状況と言えるものの、生憎、弘はこの長い黒髪の少女と幾度か同じことをしているのもあり、これもまた、愛すべき日常の一つを脱するものではなかった。何より、多少見晴らしがいいと言ったところで、所詮は四階建ての校舎の屋上である以上、たかが知れている。
「おいおい。君の親友であるところの私を無視するなんて、いい度胸だなぁ」
口の端を不自然に歪める近衛を見て、弘は我に帰る。そういえば、なんか難癖をつけられていたんだっけ。
「いやぁ、お前がわけのわからないこと言ってるから、なんて答えていいかわからんくて」
ぶっちゃければ、さほど真剣に聞いてなかったのだが、説明としてわかりがいいため、敢えて細かく語ろうとも思えなかった。近衛は、ああ嘆かわしい、などとわざとらしく告げて天を仰ぐ。ちょうどいい具合に、雲間から細い日差しが差した。
もしかしたら、こいつは天に愛されているのかもしれない。欠片も信じていない文字列を頭に浮かべて、弘は少しだけ面白くなった。
「私とのデートを断ってすぐ、幼馴染と浮気していたんだろう。君の一番を自負する身としては、胸の中がざわざわするのだよ」
「そんなもんか」
っていうか、お前、いつから俺の一番になったんだよ。そんな突っこみをしそうになるのを面倒くさくなりそうなので抑えたあと、いやもしかしたら、ちょっと面白いんじゃないか、と思い直して口を開こうとした矢先、
「矢吹君は、もう少し私のことを大切にすべきだと思うよ」
どことなく真剣な目つきの近衛の訴えを耳にし、なんとはなしに口を閉じる。そんな弘をどう見ているのか、友たる少女は自らの黒髪を房にして掴みながら、
「いいかい? 昨日、私は君を誘った。矢吹君にはふざけているように見えたかもしれないが、友人と最高の休日を過ごしたいという気持ちがあってこそだ。それを袖にしたのはまあ仕方ない。私としては残念極まりないが、明らかに君の気持ちは乗っていなかったからね。百歩譲ってそこは尊重しよう、だがしかしだ」
唇を結んだ近衛は、顔面を指さしてくる。行儀が悪い奴だな、という素朴な感想を弘は抱く。
「寂しい休日を送った私に、君自身の楽しい休日を話すというのはどういう料簡なんだい? もう少し、気遣いというものがあってしかるべきじゃないか?」
そこら辺の機微を弘はいまいち理解できていなかったものの、近衛自身が持ち合わせている不満自体は受けとったため、悪かったよ、と口にする。途端に、眼前の少女はむっとした。
「誠意が足りないね」
「その誠意はどうやって示せばいい」
言質をとられるのは面倒きわまりなかったが、一年程度の付き合いであっても、この友人が臍を曲げると長いというのは心得ていたため、真っ先に欲しいものを渡す。
「そうだなぁ」
近衛は腕を組んで考えこみはじめる。やたら、と様になるなぁ、などとほんの少し見惚れる弘に、長い黒髪の少女はようやく不敵な笑顔を向けた。
「今度の日曜日は私とデートしてくれ。その時に一回、昼食を奢ってくれ」
随分と即物的な誠意だな、と思ったもののそれで済むならと頷いた。
「あらためて、お前の気持ちを考えないで悪かったな」
「私も少しばかり大袈裟過ぎた。すまないね」
日曜日の約束が聞いたのか、近衛は一転して穏やかな顔をしている。
そんなに俺とデートをしたいのか。こんなに好かれるようなことはしていないはずだ、と弘はほんの少しばかり不思議に感じつつも、フェンスに寄りかかり気味に座りこむ。徐々に雲行きが怪しくなりつつある空が広がっていた。
「部活をしようとは思わなかったのかい?」
近衛がそう切りだしてきたのは、例のごとく弘が、退屈だ、と枕詞のごとく口にしたからに他ならない。
「部にもよるとは思うが、少なくとも物理的な退屈とやらは大分、解消されると思うのだが、そこら辺はどうなのかな?」
「あんまり、ピンとこないな」
素直に答えると、友人たる少女は、だろうね、と納得したように口にする。
「なにせ、去年、私が一緒に天文部に入らないかと誘った時も断られたしね」
「それはまじで欠片も興味がなかっただけだ」
星座とかわからんし、宇宙とか怖いだけだし。そんな弘の答えに、少女は、残念だ、と肩を竦めたあと、
「とはいえ、君にだって趣味の一つや二つはあるだろう。それに近い部活はなかったのかい? 親友の私としては少しばかり複雑な気持ちになってしまうが、同じ趣味を持つ仲間と交友を深めれば、あっという間に退屈はまぎれたのではないのかい?」
あらためて問い直してくる。弘は静かに首を横に振った。
「お前も知ってのとおり、趣味はないよ。強いていうなら、小学校の頃と変わらず、友達とどうでもいい遊びをしていられればいいな、くらいの気持ちはあるが」
かくれんぼや鬼ごっこをするには年をとりすぎてしまったが、草野球や缶蹴りくらいは無性にしたくなる。そういう意味で、自分の心の奥底は子供の頃から変わっていないのだな、と弘は実感した。
「ずっと遊んでいたい、みたいな気持ちかな?」
「だいたい、そんな感じ。言ってみるとガキっぽいな、俺」
「いいんじゃないかな。君のそういうところ、私はおおいに気にいってるんだ」
自信満々に告げる少女。近衛の性質的には、他人の未熟なところを嫌いそうなものだが、不思議なものだ。そんな個人的な分析を浮かべつつも、そうか、と意味も分からず頷いてみせてから、
「じゃあ、久々に真剣にあいつと遊んでみるのもいいかもしれないな」
言ってみせる。
「あいつ?」
怪訝そうに口にする近衛に、弘は頷いてみせて、
「かり……秦野だよ。小学校の頃、一番遊んでたの、あいつだしな、たぶん」
正確に言えば、もっとも遊んでいた相手は、もう一人いた男の子であるのだが、今はもういないので些末な問題だと割り切る。弘の内心を知ってか知らずか、友人たる少女は、眉を顰めた。
「私の前で他の女の話をするのは……」
「秦野のことは嫌いだったか?」
桃山委員長の平凡さは嫌っていたのは知ってるけど、こっちは初耳だな、などと呟く弘に、近衛はあからさまにため息を吐く。
「嫌い……かどうかはよくわからない。ただ、君と仲良くしているとすれば、穏やかには見ていられないな」
「なぜ?」
「端的かつ冷静に分析するならば……嫉妬だな」
私以上に君と仲良くしている人間がいるというのが正直言って耐え難い。衒うでもなく大袈裟にいうでもなく、ごくごく自然に言う、自称親友の姿を、弘は興味深く見守る。
「嫉妬ねぇ。だったら、どうする? 俺がかり……秦野と仲良く」
「名前を言いたいんだろう。だったら、我慢をする必要はない。君は君で自由であるべきだ」
「……花梨と仲良くしないように言って聞かせでもするのか?」
「そんなことはしないさ。今言ったように、君は自由であるべきだ。そんな君だからこそ、私は愛するのだからね」
両腕を広げる近衛。女にしては高い背が生みだす影がは覆いかぶさるようなかたちになったのもあり、普段以上に大きく見える。
「つまり、俺の交友関係には口を挟まないと」
「意外かい? けれど、私は別段、君のママではないからね。残念ながら、そこまでする権利はないさ」
「母さんでもそこまでする権利はあるか?」
端的な疑問は、家庭によってはそういうこともあるかもしれない、という想念によって自己解決される。近衛もまた同じ結論なのか、ご家庭それぞれの事情次第かな、と応じてから、ただ、と前置きし、
「とはいえ、できうるかぎり、君が楽しくなるようにしていきたいとは思うけどね。その上で、私を一番に選んで欲しい」
「一番、ね」
少しだけ考える素振りをみせた弘は、毛先をほんの少しだけ落ち着かなげに撫でる近衛の姿を目に収めてから、
「そうなると、一番気になるのは花梨かもな」
ぼそりと口にする。目を点にする友人を見守ってから、花梨の後ろにある、かつての友人である岩成の姿を思い浮かべる。
煙になってからそれなりの年月が経ったことだし、そろそろ本格的に振り返ってみるのも悪くないかもしれない。思いながら、空を見上げれば、今にも泣き出しそうだった。同時に隣からは、歯を噛み締める気配がした。
俺と彼女の暇つぶし ムラサキハルカ @harukamurasaki
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