第3話
休日の昼下がり。気持ちのいい青空の下、弘は一人、街を歩いていた。特に目的があるというわけでもなく、ふらふらしている。
朝方、日々弘と仲を深めたいと公言し続ける自称親友こと近衛愛華からも誘いの連絡があったが、これまた気分が乗らなかったため、ありのままの本音を書いてお断りした。直後に、ひどいだの、考え直して欲しいだの、なんなら報酬をあげようだの、といったメールを爆撃されたため、こえぇよ、の一文を送ってからスマホを切った。
こうした、些事(というにはやや重さを感じさせるが)を振り払ったあとに飛び出した外の空気はこころなしかおいしく感じられた。両親はデートかなにかなのか、お札と少々小銭を置いて出て行ってしまったのもあり、どのみち外に出る予定ではあったものの、ここまで気持ちいい陽気に包まれていたのは、弘にとっても嬉しい誤算だった。
晴れは平穏の香りがする。弘自身の感じ方を持ってして、夏が近づきつつある空の下、陽気を味わう。
行くとすれば駄菓子屋だろうか? ラムネとか瓶コーラを口にすればさぞや気持ちいいだろう、と思えたが、今いる地点からみれば街の外れに位置するかの店はいささか遠い。それに一人で行くと、あとで話を聞いた近衛がうるさい気がした。
だとしたら、どうするべきか。食事代と持ち合わせを想定したうえで考えた結果は、さほど時をかけずに出た。
たまに意識が高いフリをしてみるか。そんな気持ちになったのは、すぐ目の前にある喫茶店のオープンテラスで、ノートパソコンを叩く敏腕らしきサラリーマンや、楽し気に話す大学生とおぼしきカップルの姿を見たのと、端的に腹が減ったからごくごく近くにある店に入ろうと決めたゆえである。
とにもかくにも弘は、バンガローじみた外観の喫茶店の入口をくぐった。できれば、あまり高くなければいい、と願いながら。
メニュー内のさほど好きでもないクラブハウスサンドイッチとアイスコーヒーを注文したあと、椅子の背もたれをギシギシさせる。オープンテラスの上では、雲がゆるやかに流れている最中だった。
退屈だな。平穏が続いたせいか、いつものやや病的な面白いことに対する興味関心がむくむくと膨らんでくる。一方で、まどろみにも近いうららかな空気は、こういったゆったりとした時間も悪くないのではない気がした。いっそ、このまま料理が届くまで昼寝も悪くないかもしれない、と弘が思っていた矢先、透明で細長いガラスのコップを持ったウェイトレスがやってくる。早いなと思い、視線を向ければ、上下を黒い縞模様の半そでシャツと長ズボンに身を包んでいる、茶髪の少女がいる。
「お待たせしました。アイスコーヒーでございます」
「
反射的に口に出した名に、ウェイトレスの少女こと
「ヒロちゃん?」
不思議そうに尋ね返してくる花梨という名の少女。幼い頃からの付き合いが長い友人である少女に、
「お前、ここで働いてんの?」
脊髄反射そのままに問いをぶつける。花梨はこくりとうなづいてみせたあと、
「ヒロちゃんこそ、どうしてここにいるの?」
聞き返してくる。
「お袋と親父がいないから外食してんの」
「ああ、そういうこと」
納得した、と言わんばかりに、いつの間にかアイスコーヒーをテーブル上に置いて空になった手を叩いてみせる。
「食いに来ちゃまずかったか」
「そんなことはないけど」
どこか含みがある様子で黙りこむ花梨。うろんげに首をひねる弘に、少女は、今思いついたとばかりに、
「今日って、まだ時間ある?」
と聞いてくる。
「実は退屈で死にそうなんだ」
こと今日にかぎっては、さほどそういう感じではなかったものの、ついつい大げさに話を盛ってしまう。もっとも、付き合いが長いゆえに花梨は、嘘ばっかり、と薄く笑った。
「ちょっと、待っててくれないかな?」
「それはかまわないけど、昼で上がりなのか?」
弘自身は両親に止められ未経験ゆえに、バイトのシステムにはさほど詳しくはなかったものの、開店してまだ一、二時間という段階でバイトの就業が終了というのは考えにくい。あるいは高校生の就業形態というのは、時間が極端に短く設けられているのだろうか。
花梨は、あはは違うよ、と笑ってみせてから、
「お昼休憩だよ。ちゃんと腹ごしらえしないと、元気がでないからね」
程よく膨らんだ胸を張ってみせた。
さほど時を置かず、休憩に入った花梨は二人前とおぼしきクラブサンドイッチと、自らの飲み物と思しきアイスティーをお盆に乗せてやってくると、弘の向かい側の席に座りこんだ。
「サンキュ」
礼を述べた弘は、小さな声でいただきます、と言ってから、サンドイッチを口にする。トーストに挟まれたベーコンとレタスとトマトをかじりながら、思いのほか分厚いなと感じ、ほんの少し注文自体を後悔しかける。一方で花梨は眼前の食べ物に口をつけないまま、頬杖をついていた。こころなしか、茶髪の少女の表情は楽し気だった。
「見られたままだと食べにくいんだが」
「そうなの? でも、昔からこんな感じじゃない」
「そりゃそうだけどさ」
たしかに花梨は、よく人が食べてる姿を見るのを好んでいる節がある。とはいえ、年頃であるところの弘にも相応の恥ずかしさは存在するので、ぶしつけな視線には何人であろうとも好意的な反応を向けるのは難しかったのだが。
そのまましばらく無言でサンドイッチを頬張ったり、アイスコーヒーを口に含んだりする。花梨もどこか小動物じみた動作ながら、ゆっくり小さくトーストに挟まれているベーコンやレタスやトマトをかじり取っていた。
弘がパンと冷たい飲み物の組み合わせを微妙だな、と感じつつも、ストローの先端を甘噛みしていると、
「こうやって、二人で話すのも久しぶりだね」
花梨が急にそんなことを言った。
「そうだったか?」
「そうだよ。高校に入ってからは、あんまり一緒にいる感じにならなかったし」
どこかもじもじした花梨に、高校に入ってからね、と弘はやや訝しく思う。それなりの年月の間、ご近所さんをしている間柄だけに、その言葉の含みがなにを意味するのかを察している。
「クラスも違ったしね。けど、ヒロちゃんのことはなんとなく見てたよ」
「ストーカーかよ。こわっ」
軽くからかってみせると、花梨は、そうじゃないよ、と頬を膨らませる。弘はその表情を見てすぐ、ストーカーっていうのは、毎日一緒に過ごそうとしているあの女のことかもしれない、と最近行動をよくともにしている美人の顔を思い出し、古い友人の少女に対しての評価が不適切だったのではないのかと反省した。花梨もまた、同じ人物のことを思い浮かべたのか、
「ほら、よく一緒にいる人。たしか近衛さんだったっけ。綺麗な人だよね」
頬をほんの少しだけ赤く染めながら、弘の今の友人について言及した。
「ちょっと、お近付きになりたいかも。ヒロちゃん、紹介してくれない」
「別にかまわないが。変人だぞ、あいつ」
少なくとも、花梨にとってはあまり愉快な相手ではないかもしれない。自身以外への、近衛の当たりの強さを、今の今まで見ているだけに、弘はそんな予想をする。しかし、遠くからの姿しか知らないの花梨からすればそこらへんはあんまり関係ないらしく、
「綺麗な人と知り合いになって、近くで見ていられるってだけで満足だよ」
などと目を輝かせた。
これは、いざ本人に会ったらより幻滅が深くなるやつなのではないだろうか、と弘は思ったものの、そこら辺も含めて幼馴染の選択か、とすぐさま割り切る。それとは別に、よく知らないということを踏まえたうえでも、近衛の外見だけしか価値がない、とも受けとれそうな、古くからの友人の物言いには、ほんの少しばかり腹が立った。
「気楽に話してたら、急な角度からとんでもないことを言われたりするし、時には人が傷つきそうなことだってずかずか言ってきたりもする。そんなやつだけど、大丈夫か」
「わたしはいいけど……ヒロちゃんは、なんでそんなにボロクソに言う相手と友達でいるの」
脅しにも似た弘の言に、花梨は苦笑いしながら、もっともな問いを投げかけてくる。
「とりあえず、退屈しなさそうだからだな」
何の躊躇いもなく口にした一言に、花梨は軽く瞬きをした。その眼前で、弘は残っていたサンドイッチを平らげてから、まあまあだったな、という感想を抱きつつ、アイスコーヒーを口にする。やはり、組み合わせとしてみると、いまいちな気がした。
「退屈しなさそう、か」
まだ、半分ほど残っているサンドイッチから目を反らした花梨。その視線の先には、徐々に雲が増えつつある空があった。
「ヒロちゃんは、昔からそれだね」
「あんまりに暇だと息が詰まるからな」
応じつつ、さほど大それた願いではないだろう、と弘は思う。毎日、事件が起こってほしいというわけではなく、時々刺激が欲しいくらい、可愛いものだろう、と。
そんな弘のことをどう考えているのか。花梨は、牛乳で乳白色に染まったアイスティーを一口含んでから、伏し目がちになる。
「じゃあ、コウくんと一緒にいた時は退屈してなかったのかな」
コウくん。その響きを懐かしく感じながら、ゆったりと頷く。
「それなりに、楽しかったとは思うよ」
言いながら、頭に浮かぶのは、もう一人の旧友である、コウくんこと
「それなりか。親しくしていた友達にその言い方はないんじゃない?」
「無茶苦茶楽しかった、っていうのも恥ずいしな」
お茶を濁しつつも、その実、印象がぼやけているという方が的確だった。なにせ、岩成は永遠に二年前に縫いつけられたままになってしまっているのだから。
花梨は顔を伏せたまま、小さくため息を吐く。
「あの頃からだよね。ヒロちゃんが笑わなくなったの」
「いや、俺だって笑うし」
「笑ってないよ」
強い否定をする花梨の表情は固い。ここまで言うということはそうなのかもしれない。さほど、未練もなく自らの考えを手放した弘は、そうなのかもな、とどうとでもとれる台詞を残して、ストローを甘噛みする。何度も遊んでいたせいか、先端のプラスチックはぼろぼろになっていた。
「表面上は、コウくんみたいな笑顔が多くなったよね。でも、あれからいつ見ても目は笑ってないし、周りに合わせるようになった」
「へぇ。そうなのか」
「そうやって他人事みたいにふるまうところもだよ。どんなことも自分と関係ないみたいな感じが……ちょっとだけ、歯痒かった」
そう寂しげに花梨は振り返る。実のところ、弘としても感じなくもなかった。とりわけ、比較的一緒にいた、中学時代の最後の方は、この古くからの友人の物言わぬ視線をよく浴びた。
「今もコウくんのことで悩んでるの?」
直球で尋ねてくる古い友人の言葉を耳にして、目蓋を閉じる。
そんなことはない、と弘は思った。
「別に」
一方で否定しきれない、という気もしている。仮に無意識下で、幸三のことを考え続けていたとしたら……今、自らを主体だと思っている弘の表層意識は預かり知れない。つまるところ、可能性だけであればいくらでもこじつけられるゆえ、否定しきれないというだけだった。
「その言い方は思うところがある時の言い方だよ」
儚げな花梨の微笑みを見つめ返しつつ、たしかにそうだな、と弘は考える。とは言え、弘自身が意識する心模様とはどうにも嚙みあわない。
「変な言い方して悪かったな。幸三がいなくなったことに関しては、俺自身は割り切ってるつもりだよ」
言われるまで忘れていたくらいだ、と続けようかとも考えたが、明らかに角が立ちそうだったので、止めた。尚も心配そうな目を向けてくる花梨は、
「わたしの前では無理しないでいいからね。いつでも、なんでも言ってくれていいから」
心強い言葉を口にしたあと、ギュッと唇を結んだ。
弘は率直に、大袈裟だなぁ、という感想を持ったものの、きっとありがたいことではあるんだろうとも受け止め、そんな時は頼りにさせてもらうよ、とリップサービス的に言った。古い友人の眉に不満げな皺が寄ったあと、残り少ないアイスコーヒーへと視線を落とした。
ついつい、笑いそうになるのを隠すためだった。
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